『BLEACH』第626話「THE HOLY NEWBORN」の感想・考察
こんばんは。ほあしです。
今週の『BLEACH』の感想です。
『BLEACH』第626話「THE HOLY NEWBORN」
雪緒の能力で生み出した小部屋が、霊王大内裏に向けて発進しました。夜一の目論見通りにいけば、一護らは親衛隊の迎撃を回避してユーハバッハの目の前に現れることができるはずですが、果たしてどうなるでしょうか。少なくとも現時点では、ユーハバッハらがあの「杭」に気付いたというような描写はありませんから、ひとまず霊王大内裏に辿り着くことはできそうかなと思います。とはいえ、すでに半壊状態にある大内裏は戦場としてあまり長持ちしそうには見えませんから、また河岸を変えることになりそうな気もしますが。
チャドがペルニダの能力(『強制執行(Compulsory)』)について疑問を呈していますが、あれは本当にどういう能力なんでしょうね。喰らった本人である夜一にすら正体が分からないとなると、誰かが説明してくれるのを待つしかなさそうです。少なくともペルニダ本人が人間の言葉を話せるようには見えませんが。
”compulsory”という単語自体も「(法・命令によって)強制する、強制的な」というほどの意味だそうですから、いまのところは「相手を強制的に折り畳む」くらいの解釈しかできそうにありません。しかしこれは明らかにつよい(確信)。誰がどうやって戦うのか楽しみです。
などという話をして士気が落ちそうになる織姫に対して、リルカが突き放すような言葉を投げていますが、これ、織姫がお礼を言っているところからも分かるように、リルカなりの激励なんですよね。言い方が少々乱暴なだけで、内容としては「過ぎたことを気にしすぎるな」という旨を言っています。
リルカが言葉づかいとは裏腹の優しさをそなえた人物であるということは、〈死神代行消失篇〉においてもしっかり描かれていたことでしたね。しかも今週と同じように、織姫とのやり取りの中で。織姫は、かつてリルカと言葉を交わしたときに、彼女の優しさにきちんと気づいていました。
だからこそ、今週のリルカが発した、一見すると当たりが強いように感じられる言葉に対しても、織姫はまず最初にお礼を言うことができているのかなと思います。こういうセリフの端々からキャラクターの繋がりが見えてくると本当に楽しいですね。しかしこの二人は本当にかわいい・・・。リルカがフードの耳で織姫をはたいているコマから迸る癒しの波動がもう大変なことになっています・・・。
グリムジョーが浦原に協力した理由は、「虚圏の消滅を阻止するため」という至極単純なものだったようです。虚圏の存亡は、虚にとっては生存そのものに関わる問題ですから、当然と言えば当然の理由ですね。多くの小さく弱い虚にとって、虚圏とは、大気中に漂う霊子を吸っているだけで生きていけるある種の楽園です。グリムジョーのような強大な破面にとっても、それは少なくとも現世よりは生存しやすい環境だろうと思われます。それが無くなるかもしれないとなれば、立ち上がる動機としては十分ですよね。
今週のタイトルは「THE HOLY NEWBORN」です。このタイトルには二通りの訳し方が考えられるかと思います。
ひとつは、”the Holy”をイエス・キリストの尊称を意味する固有名詞として、”newborn”を形容詞として捉えるやり方で、この場合は「復活した至聖者」というほどの意味になります。
もう一つは、逆に”holy”を形容詞、”newborn”を名詞と捉えるやり方で、この場合だと「神聖なる新生児」という感じになるでしょうか。
いずれの場合も「なにか神聖な存在が新たに誕生した」という意味は揺るぎませんから、ひとまずその点だけ押さえていればよいと思いますが、今週のユーハバッハの姿を見ると「新生児」という言葉は全くそぐわないように思われますから、第626話のタイトルとしては前者の意味合いを強めに捉えておく方が良いかと思います。
ただ、ユーハバッハは生まれた当初から神の再来として崇められ、それゆえに「YHWH(ユー・ハー・ヴェー・ハー)=ユーハバッハ」と呼ばれるようになった人物なので、「神聖なる新生児」という訳し方も、ユーハバッハという人物を表す言葉としては大変相応しいものと考えられます。
このように、”the Holy”という、イエス・キリストそのものを意味する単語がユーハバッハに対して用いられている以上、「『見えざる帝国』のモチーフの一つにキリスト教的宗教集団がある」「〈千年血戦篇〉はキリスト教神学における”最後の審判”を描こうとしている」という読み方はほぼ間違いないものと考えてよいでしょう。現時点でわたし個人が気づいて指摘できている部分だけでも、この解釈を支えてくれるような描写があまりにも多いので。
場面が変わって、霊王大内裏でくつろぐ親衛隊。ハッシュヴァルトが霊王の消滅を告げ、「ここからは 新たな世界だ」と宣言しています。霊王(ユーハバッハ曰く「不全の神」)が治めていた世界が終わり、ユーハバッハという真の「神」による新たな世界が始まるのだ、という宣言ですね。ユーハバッハの「第一の息子」、神のしもべの第一人者に相応しい言葉だと思います。
どうせなので、ここでハッシュヴァルトのモチーフについてもお話ししておきますね。彼は、腰から提げた大きな剣と「天秤」という言葉とがトレードマークになっていて、「星十字騎士団 最高位(シュテルンリッター・グランドマスター)」という地位にある人物です。
「星十字騎士団」は、「完聖体」の姿を見れば明らかなように、唯一の神ユーハバッハに従う天使の軍団として描かれています。ハッシュヴァルトはその軍団の長というわけです。
一般に「天使の軍団の長」と呼ばれる存在といえば、旧約聖書に名前が登場する「熾天使」ミカエルです。
(グイド・レーニ『大天使ミカエル』1635年頃)
このミカエルという天使が宗教画に描かれる際は、その図像イメージとして、右手と左手のそれぞれに、「剣」と「魂の公正さを測る天秤」を持った姿であることが多いそうです。剣と天秤を携えて天使の軍勢を率いるハッシュヴァルトの姿は、まさしくミカエルそのものです。このことからも、「見えざる帝国」がキリスト教的宗教集団をモチーフにしていることが読み取れます。
霊王を吸収しきったユーハバッハの姿は、以前にも増して悍ましいものになっています。ユーハバッハの瞳が三つに増えたときの気持ち悪さも相当なものでしたから、やはり「目の個数や形状が常軌を逸した状態」になっているのを見ると、ほとんど条件反射的に薄気味悪さを覚えてしまいますね。
人間は、相手の「目」の表情をコミュニケーションの指標として用いる部分が非常に大きいですから、こういう異常なかたちの「目」に対しては、底知れなさとか内心の窺い知れなさのようなものを感じて、恐怖してしまうのだと思います。不気味さや恐怖を演出するための図像として「目」がきわめてポピュラーなものになっているのもそのためでしょうから、ここでもその力が大いに発揮されているように見えます。ナックルヴァールが怖れおののくのも当然だと思います。
どうでもいいことですが、こういうデザインのアイマスクがあったらわたしはかなり欲しいです。気味が悪いのは間違いないのですが、あのユーハバッハの造型はデザインとして非常にかっこいいとも思うのです。どこかで誰かが作ったりしませんかね。
霊王を吸収したユーハバッハの力は、これまで彼が見せてきた「滅却師としての力」を明らかに超えているように見えます。目の前の霊王大内裏をノーモーションで破壊しているところから察するに、霊王を吸収した彼は、「あらゆる物事を自らの思い通りにできる」というような状態になっているのかもしれません。だとすれば本当に「全知全能の神」そのものなわけですから、彼のこれまでの描かれ方に相応しい状態になったと言えそうです。
放埓の限りを尽くそうとするユーハバッハに対して、ハッシュヴァルトは「御導きを」と言っています。これ、明らかに、人間が神の導きを希うときの物の言い方なんですよね。それに対してユーハバッハは「我が後ろに立ち 我が歩みを見よ」と端的に命じます。彼のこの言葉づかい自体も非常に超然としていて、やはり「神」そのものとして描こうとしているらしいことが窺えます。ユーハバッハが「まずは 我等の国家を創り変えよう」と宣言し、地上の『見えざる帝国』を破壊しはじめたところで今週は幕です。
この「我等の国家」という言葉、もちろん作品内では、滅却師らの隠れ家として千年にわたって秘匿されてきた「尸魂界の影の世界」を指しているわけですが、劇中の状況を「最後の審判」に照らして考えてみると、いわゆる「千年王国」、「神の国」を指しているものと考えられます。これは、従来の世界が終末を迎え、神が直接地上を支配することになるという、キリスト者を救済する楽園のことです。そのように考えると、ユーハバッハは、自らに仇なす死神や虚を滅ぼして滅却師のみの楽園を創り出そうとしているように見えますね。
ただ、ユーハバッハは「まずは」と言っていますから、地上に「神の国」を建国した後にもまだ何かやるつもりのようですが。それについては続きを楽しみに待つとしましょう。
今週の感想は以上です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは。