Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

裏ロンドンにおける霊王の権能の影響度について

どうも、ほあしです。

タイトルに書いてあるような話についてちょっと考えをまとめたいなと思ったんですが、Twitterでアレするにはちょっと長くなりすぎそうな気がするのでこっちでやります。

人に読ませるためではなく自分のための備忘録という感じで書いてるので、論理や発想の飛躍などが出てきた場合でも私自身が考えをまとめるにあたって不都合が出てこない限りは特に直す気はありません。

 

東梢局・西梢局の各種用語の対応関係

魔女:死神

魔力:霊圧

ライトドラゴン:整

ダークドラゴン:虚

 

『BURN THE WITCH』の作中描写から、ざっくりこんな感じだと思われる。

人間の魂魄は、瀞霊廷管内では虚に、ウイング・バインド管内ではドラゴンになるらしい。「なぜそうなるのか」については分からん。土地の問題かもしれんし、信仰や文化の問題かもしれんし、もっと別の要因かもしれん。

「魂の力」のことを瀞霊廷では「霊圧(ないし霊力)」、裏ロンドンでは「魔力」と呼び習わしているが、この違いはあくまでも「呼び方」だけの話であって本質的には完全に同じものなのか、それともエネルギーとしての性質そのものが大きく違うのか、そのあたりもわからん。魔女たちの「マジック」はかなりあからさまに「鬼道」と同じことをやってるので、少なくとも現場レベルでの使い方にさほど違いがあるようには見えない。

 

ロンドンは裏と表が地続きっぽい

根拠その1:瀞霊廷の住人たる死神は(基本的には)魂魄しか持たない存在だけど、ロンドンの魔女たちは、裏側の住人であっても生身の肉体を具えた「生きた人間」である。のえるはサウス・ブラクストン校に通いながら魔女をやってるし、ニニーはセシル・ダイ・トゥワイスでばりばり活動しながら魔女をやってる。バルゴもメイシーも「ドラゴン憑き」として裏ロンドンにやって来たけど、だからって別に生身の肉体が無くなったわけではない。

根拠その2:表ロンドンと裏ロンドンは、建造物の状態が共有されている模様。裏で破壊された建物はそのまま表でも壊れる。二つの世界の状態が互いにダイレクトにフィードバックされている状態。

→ロンドンは瀞霊廷管下と比べて、「生者の世界」と「死者の世界」との境界線が非常に曖昧である。

 

「生と死の入り交じる渾沌」じゃん

これ、ユーハバッハが回帰を目指した、この世界の本来の姿『生と死の入り交じる渾沌』に非常に近いっぽいですよね。

そもそも、生と死が分断されている現在の状態は、霊王の権能によって維持されている人為的・作為的・非自然的なもの。

つまり、ロンドンは霊王の権能による「生と死の分断」の「影響が薄い地域」なのではないか? だから瀞霊廷管内に比べて、世界本来の姿たる「生と死の入り交じる渾沌」に近い状態であり続けているのでは?

 

じゃあなんで「影響が薄い地域」なんてものが生じているのか?

知らん。それこそ地域・文化・信仰、あるいは歴史的経緯などによって「生と死の分断」の度合いは結構まちまちで、こんな感じで生者の世界と緩く繋がった状態の分局が尸魂界には他にもいっぱいあるのかもしれない。

とはいえ、瀞霊廷にしても裏ロンドンにしても、「魂の力」を発揮できない通常人にとっては「死者の魂と交流することができない」という点は何も変わらない。その意味においては、やっぱりロンドンでも生者と死者が「分断」されてはいる。一部の例外を除いて表ロンドンの住人は裏側の存在すら知らないというのも、瀞霊廷と同じ。

となると、読切版『BURN THE WITCH』の発表当初言われていたような「霊王の支配は実はごくローカルなもので、あれが消えても他の地域には影響ないんじゃね?」的なのはやっぱりちょっと違うんだろうなと思う。

緩やかではあってもロンドンにも確実に「生と死の分断」は存在していて、たとえば霊王の権能が完全にこの世から消え去った場合、ロンドンでは魔力の有無とか関係なく表側の住人にもドラゴンの姿がバンバン見えるようになって、社会的に大混乱をきたすんじゃないかと思う。ただ地域によってそういった影響の「程度」が変わるというだけで。そんな感じなんちゃうかな。

 

ガチで関係ない余談

はい、めっちゃ話が変わるんですが。スノーホワイト=氷輪丸説というのをTwitterでたまに見かけるんですけど、個人的には「あんまり無さそう派」なんですよね。。。

「氷の竜である」という点以外にそれらしい共通項が見当たらなさそうなのと、そもそも「白雪姫」ネタって、『BLEACH』においてはむしろルキアがかなりガッツリ担当しちゃってるんですよね。

そもそも「スノーホワイト」という語は「雪のように白い」という意味で、あくまでも白色を形容するための言葉なんですね。「雪」は「白さ」を称えるためのツールであって、本題ではないんです。和名が「白雪姫」となっているので日本語ではこのニュアンスがしばしば見落とされるんですが、原義に忠実であろうとするならば本来は「雪白姫」とでも訳すべきタイトルなんです。このニュアンスは大元にあるドイツの民話の頃からかなり一貫しているようです。

で、ルキア斬魄刀は『袖白雪』という氷雪系のものですけど、彼女が繰り出す技にはすべて「白」という字が含まれているんですね。刀そのものの名前にも含まれていますし、「初の舞・月」「次の舞・漣」「参の舞・刀」と来て、最後に卍解霞罸』というように。また、「刀剣全体が雪のように白く、尸魂界で最も美しい斬魄刀と言われている」みたいな話を、破面篇でウサギのチャッピーが語ってましたよね。この賛美、どう読んでも「白雪姫」の特徴そのまんまです。エス・ノト戦のなかで「Dance with Snowwhite」というサブタイがあったりもしました。

というようなアレがあるので、童話竜「スノーホワイト」が『氷輪丸』ってことになっちゃうと、そのへんのキャラ表現的なものがめっちゃブレそうなので、やっぱ違うんじゃないかなと思います。なにより、これからは魔女たちの話を丁寧にやってこうねっつってんのにまた死神たちの話に振られても、それはさすがにノイズになってしまうのではと思いますし(前作キャラの合流というのはファンサービスとしてあり得ない手法ではないですが)。そもそも『氷輪丸』は白色ですらありませんからね。

あと同様の理由でレッドドレス=大紅蓮氷輪丸説もまあ無さそうかなと思ってます。元ネタである「大紅蓮地獄」は血に染まった赤色なのかもしれませんけど、氷輪丸そのものは別に赤くないので。でももしこれでどっちかが『氷輪丸』やでってことになったりしたらガチで恥ずかしいな。。。

 

まあそんな感じです。

シーズン2以降の展開を楽しみに待ちましょう。