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Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。寄稿のご依頼などはhoahoahoashi@gmail.comまでどうぞ。

『BLEACH』第623話「Against the Judgement」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週の『BLEACH』の感想です。

 

BLEACH』第623話「Against the Judgement」

 尸魂界を覆う暗闇の天蓋を、藍染は『黒棺』と自身の霊圧だけで破壊してしまっています。もはやさすがとしか言いようがありませんが、それでも、あの椅子に拘束されたままで霊王宮を撃ち落とすことは難しいようです。あの椅子を創り、「霊圧を留めておく力」の匙加減をいま掌握しているのは涅のようですが、おそらく彼が尸魂界の技術開発を統括する以前から、これと似たような拘束具は存在したのだろうと思います。というのも、涅が技術開発について責任ある立場に就いたのは、100年前の『仮面の軍勢』が誕生した一連の事件以降のことであり、中央地下大監獄というものが間違いなくそれよりも前の時点から存在していたことを踏まえると、100年前の時点で囚人の拘束手段が全く確立されていなかったとは考えにくいからです。涅がゼロから無間の拘束具を創ったのではなく、すでに存在していた拘束具を涅がアップデートしたという意味なのだと思います。

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久保帯人BLEACH』37巻60頁)

 

そして、ここで何より注目しておきたいのは、「涅マユリの開発した拘束具が藍染の力をかなりの程度抑制できている」という点です。以前、「根っからの「科学者」である涅は「神を否定する者」という役どころを与えられているのかもしれない」ということを話しました。

涅はこれまで、「過去を見通す力」という、ユーハバッハの『全知全能』の対極にあるような力をもたらす薬を行使したり、死の淵からでも転生を繰り返せることで「完璧な生命」を自称する破面・ザエルアポロを「科学者」として完全否定したりという具合に、「神」を自称する者に逆行し、否定するような言動を繰り返し行なっています。ザエルアポロが「完璧な生命」を自称した第305話の扉絵は、磔刑から蘇った「子なる神」イエスを明らかにそのモチーフとしていますから、ザエルアポロの言う「完全性」がいわゆる「神」を志向したものであることは間違いないものと思います。

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久保帯人BLEACH』34巻196,198頁)

 

また、涅がザエルアポロを降したうえでその言葉を完全否定した第306話のタイトルは「Not Perfect is GOoD」です。”GOoD”というちぐはぐな表記は明らかに”Good”と”GOD”のダブルミーニングですから、涅の発言内容に沿って考えれば、「完璧でないものが良い」「神すらも完璧ではない」というような二つの意味合いが込められているのでしょう。また、その扉絵に描かれている涅は頭部が「山羊」になっています。これは彼の奇抜な髪型や装飾(?)が山羊のツノに似ていることによるわけですが、キリスト教的価値観における「山羊」は、邪悪なもの・悪魔崇拝の象徴とされています。「神を否定する者」の象徴としていかにも似つかわしい動物なんですね。

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久保帯人BLEACH』35巻10~13頁)

 という具合に、涅マユリというキャラクターの特質が、今回は藍染との関係性から再提示されているものと解釈できます。「神」に近い存在になっているはずの藍染の力が、涅の手で創られた「尸魂界の技術力の結晶」によって掌握されているわけですから、まさに「科学者が宗教的存在を否定する」という図式そのものになっています。

 

 また、「死神の霊圧というのは心臓が動いている限り延々と湧き出てくる」という説明もありました。これは今までに繰り返されてきた死神の霊力についての描写とも整合しますね。

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久保帯人BLEACH』6巻111頁)

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久保帯人BLEACH』7巻71,83,142頁)

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久保帯人BLEACH』11巻78,80頁)

 死神の霊力の発生源である「魄睡」と、そのブースターである「鎖結」について言及しているシーンです。いずれの場合も、「胸部」と「腹部」を攻撃していますよね。それぞれの臓器が胸と腹のどちらにあるのかまでは分かりませんが、「人間でいうところの心臓と同じ位置に、霊力の発生あるいは増幅をつかさどる臓器が存在するらしい」ということはこれらの描写からも十分に読み取れますよね。「内からの力による戦い」という表現もこのことについて言ったものでしょうし。

 

 話を戻しましょう。白哉の手で斃されたかに思われていましたが、ナジャークープが参戦しました。与えられた聖文字は「無防備(the Underbelly)」。”underbelly”とは、「弱点・急所・穴」などを意味する言葉です。ナジャークープのこれまでの言動から察するに、「相手の霊圧を”観察”することでその弱点(=”無防備”なポイント)を発見し、そこをピンポイントで攻撃することによって相手を麻痺させ、行動不能に陥れる」というような能力なのでしょう。藍染の身体の表面に直交座標系のような線が引かれているのは、弱点の正確な位置を座標として視覚化するためだと思われます。彼が「モーフィーン・パターン(=morphine pattern)」と呼んでいるのは、この直交座標系の線分のことではないでしょうか。”morphine”とは麻酔薬として知られる「モルヒネ」のことで、"pattern"という語には「模様・図形」という意味がありますから、「相手を麻痺させるポイントを視覚化した図像」を表す言葉として相応しいように思えますし。

 

 京楽から浦原への呼びかけ方が「店長」となっており、傍点まで付されていますね。浦原がもはや護廷十三隊の「隊士」ではないのだ、という点を強調しておきたいのかもしれません。100年前の『仮面の軍勢』にまつわる一連の事件のとき、京楽はすでに藍染に対して警戒心を抱いていました。にもかかわらず、結局当時の彼は事の真相に思い至ることは無く、浦原・テッサイ・夜一・『仮面の軍勢』らが尸魂界から放逐されるのを看過してしまったわけです。このあたりについて、京楽の中には蟠りや自責のようなものがあったのかもしれませんね。「自分の行動次第では浦原たちを救出できたかもしれない、無実の罪で放逐されるようなことにはならなかったかもしれない」というような(もちろん一番悪いのは加害者たる藍染であって、京楽が強いて責任を感じなければならないことではないのですが)。だからこそ、ここでは明確に距離を置くような呼びかけ方をしているのかな、と思います。

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久保帯人BLEACH』36巻175~176頁)

 

 本題に戻ります。死神への戦意を持っていたのはどうやらナジャークープだけだったようで、バズビーの「バーナーフィンガー1」によって彼は背後から撃ち抜かれました。バズビー・リルトット・ジジの三人がユーハバッハへの叛意を表明し、護廷十三隊へ協力を申し出たところで今週は終わりました。

 この申し出を受け入れるかどうかを最終的に決定するのは総隊長である京楽だろうと思いますが、もし彼らの協力無しに霊王宮への「門」を創造するのがどうしても難しいのであれば、京楽はこれを受け入れるのではないかと思います。大罪人である藍染惣右介を自ら招き入れたくらいですから、滅却師を二、三人迎える程度のことにいまさら抵抗感を抱くことなどは無いでしょうし。

 もし京楽がこれを断るとすれば、それは彼らを信用しきれない(=利害がさほど一致しない)と判断する場合になるかと思います。とはいえ、今のところ彼らの利害関係(=「門」創りを手伝ってやる代わりにユーハバッハとの戦いに合流させろ)はバッチリ一致しているように見えますから、たぶん最終的には受け入れる流れになるんではないでしょうか。何が起こるか分かりませんからあまり適当なことは言えませんが。

 

 さて、今週のタイトルは「Against the Judgement」でした。直訳すると「審判に背いて」という感じでしょうか。「神」を僭称する滅却師の始祖・ユーハバッハに対して叛旗を翻した滅却師らのことを表しているのでしょう。というのも、キリスト教神学において”judgement”という言葉は、

 

”the Last Judgement(最後の審判)”

”the Judgement Day(裁きの日)"

 

といった語句からも分かるように、キリストがこの世に再臨して、らゆる死者をよみがえらせて裁きを行ない、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという、いわゆる最後の審判を意味するからです。〈千年血戦篇〉の戦いのなかで多くの者がゾンビになったり、「命」や「心」を無くしたりして「生と死の狭間」のような状態に置かれているのは、ひとつにはこの「最後の審判」を戯画化しようという意図があるからかもしれません。

 

【2015年4月15日22時加筆】

また、ここで思い出しておきたいのは、ユーハバッハがこれまで作中で二度にわたって行なった『聖別(アウスヴェーレン)』もまた、「善なるものか悪なるものかという二分法で地上の人間を区別し、善なるものに力を与え、悪なるものを滅ぼす」という、最後の審判にきわめてよく似た行為であるということです。バズビーらがユーハバッハへの叛意を固めたのは、彼らがこの『聖別』によって「自分たちは見捨てられた」と悟ったからなわけですから、”Judgement”という言葉は『聖別』をも含意しているらしいと考えることができます。

【以上加筆】

 

 ユーハバッハは、『見えざる帝国』の影の力によって瀞霊廷を覆い尽くすとき、「世界の終わる9日間だ」と明言しています。〈千年血戦篇〉の戦いは、「神」なるユーハバッハとそれに使える「天使」の姿をした滅却師の軍勢が世界に終末を齎すために仕掛けた戦いであって、これが「最後の審判」を戯画化した戦いであるということがここにも表れています。これに刃向かうということは神に刃向かうのと同義ですから、今回叛意を示した滅却師らの姿にそのまま当てはまるかと思います。『見えざる帝国』の軍勢が明らかに聖書宗教をモチーフにしているという点については以前もお話ししましたね。

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久保帯人BLEACH』61巻113頁)

 

【2015年4月16日16時加筆】

 また、バズビーたち滅却師が自身の血脈の始祖であるユーハバッハを裏切ろうとしているのは、以前から繰り返し述べているように、『自らの「血」と訣別するための物語』というのが〈千年血戦篇・訣別譚〉のテーマの一つになっているからではないかと思います。自身の「血」の因縁についてしつこく言及されている一護や雨竜だけでなく、およそ全てのキャラクターに何らかの「訣別」が訪れるということなのかもしれません。

【以上加筆】

 

 今回の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。