Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BURN THE WITCH』第4話「If a lion could speak,we couldn't understand」の感想

どうも、ほあしです。

早いもので、今回で『BURN THE WITCH』も最終回。

はりきって参りましょう。

 

タイトルは「If a lion could speak, we couldn't understand」。ざっくり訳すと「もし獅子が喋れたとしても、我々は理解できない」という感じですかね。市街の破壊をやめるようエリーに語りかけるメイシーにその無意味さを説く、ニニーの言葉から引いたものですね。

 

トップ・オブ・ホーンズ大集合の扉絵。並び方的に、やっぱりウルフギャングは護廷十三隊における総隊長的な立場にあるっぽいですね。結局今回の集中連載でまともに出てきたのはブルーノとサリバンくらいでしたので、制作が決定したという『BURN THE WITCH』Season2での登場に期待しましょう。S2のほうだと、少なくとも開発隊長官サカ・リンの登場は確定していますね。今週公開された予告ページに載っているネームには「坂 輪」という漢字表記も出てきているので、なんかそれっぽい名前だなとは思っていましたが、やっぱり日本人だったみたいですね。ていうか、聖務隊長官のキュントナイア・ミリーヴの服、ちょっとヤバすぎやしませんかね。エロさに躊躇がないタイプのソシャゲでもまあまあビビられるレベルのドスケベ衣装ですよこれ。

 

エリーの有する「透色竜鱗(ステルス・スケイル)」という能力、第2話のタイトル「Ghillie Suit」はこれを踏まえてのことだったんですね。「そこらのドラゴンが使っていい術じゃねえぞ!!」とブルーノは言っていますので、こういう、気配や姿を消すという能力は希少なものみたいですね。『BLEACH』で藍染が造った巨大虚(院生時代の檜佐木たちを襲撃したやつ)にも同様の能力があり、そいつについても通常なら想定できないような存在として描かれていたので、「魔力だの霊圧だのを誤魔化す」というのはやはり非常に特殊な技術なんでしょうね。隊長格を遥かに凌ぐ霊圧を持ちながら死神たちの目を欺き続けた藍染の異様さがここで更に引き立ってきました。まあ彼の場合は『鏡花水月』の完全催眠に頼ってなんとかできるという部分もあったでしょうが。

 

エリーの正体は、裏ロンドンに伝説として語られる七頭の邪竜「童話竜(メルヒェンズ)」の一種『シンデレラ』だったとのこと。こういうのマジで好きです。こういうカッチョいいドラゴンを延々考えるだけでどんぶり三杯食えるんですよね。普通の連載形式だったら絶対「読者の考えたダークドラゴンが作中に登場するよ!」企画が開催されてたでしょ。みんなもぼくだけのさいきょうのダークドラゴンを考えよう。

とはいえ、なかなか予想外の方向に話が転がってきました。まあ個人的には「やっぱりメイシーは思いっきりシンデレラに寄せようというつもりで描かれてるキャラだったんだな」という確信が得られたので、思わぬかたちでバシッと答え合わせしてもらえたような気分ではあります。

成竜になったエリーこと『シンデレラ』、めちゃくちゃ綺麗ですね。ドレスアップしたお姫様のイメージなので当然こういうデザインになる。他の「童話竜」たちもこんな感じなんでしょうか。

ちなみに、こんなもん説明するだけ野暮だとは思うんですが一応言っておくと、『シンデレラ』の名前の由来として「粉末状の爆弾”星灰(スターアッシュ)”」なるものが挙げられている理由は、Cinderellaという名が「燃え残り」「灰」を意味する語cinderから来ているからですね。日本では17世紀フランスの作家ペローが書いたものが特に有名で広く知られていますが、そこから訳された和名も「灰かぶり姫」です。「夜になると美しいお姫様に変身して、身に降り積もった灰を振り落とす」という、まさにシンデレラそのものの竜なんですね。「その粉末に触れると 全てのものは光りに包まれる」という言い方をしているので、灰そのものよりは「魔法のドレスからこぼれ落ちる輝き」のほうをイメージしているのかもしれません。まあ両方ともに引っ掛けてるんですかね。その灰に触れると爆発するというのが邪竜たる所以だなという感じですが。

あと、「童話竜」の特徴の一つとして「六本指」が挙げられていますね。これ、たぶん中華文明圏における「龍」に由来する設定だと思うんですが、中華文明においては、象徴する対象によって、龍の指の本数や色彩などがかなり厳しく制限されていたんですね。具体的には、「五本の指(爪)を持つ龍は皇帝を象徴する」というもので、たとえば明代では、

3つ爪の竜は下級官吏や一般大衆に愛用された。(様々な明朝の唐物で広く見られる)。しかし、帝室に密接に関連した選ばれた皇族だけが、様々な象徴的な色彩を大抵は持つ竜を利用できた。皇帝を除いたいかなる人物でも、完全に金色な5つ爪の竜を利用するのは死罪であった。

と言います(中国の竜 - Wikipedia)。指の本数によって、それが象徴するものの高貴さや力の強さの意味合いが変わってくる。このへんの話を設定に取り入れたんだろうなと思います。皇帝の象徴をさらに超える六本の指となったら、それはまさに伝説的・神話的存在そのものというわけですね。

 

「童話竜」について、「リバース・ロンドンの誕生以前から存在する」という言い方が気になります。ある時期までは存在しなかった、なんらかのきっかけや理由があって”裏側”が生まれた、そういう意味ですよね。ドラゴン接触禁止法の制定が1609年という話は出てきてましたが、裏ロンドンの成立自体がもしかするとそれくらいの時期なのかもしれません。考えてみると、「ウイング・バインド」がわりと近代的な会社組織の体裁を取っているのも、出自そのものの若さゆえなのかもしれません(若いと言っても最低400年くらいの歴史はありそうなわけですが)。

 

ブルーノは「童話竜」のことを「ダークドラゴンの始祖」と表現しています。単に大昔から存在しているので「最初のダークドラゴン」的なニュアンスとしてそう呼ばれてるだけなのか、「童話竜の出現がきっかけとなってダークドラゴンがこの世界に生まれるようになった」みたいな裏事情があるのか。たぶん前者なのかなという気がしますが。

また、「邪竜指定」という言葉はなかなかワクワクしますね。たぶんダークドラゴンのなかにもその有害性などによるランク付けがあって、「邪竜」とか「害竜」とかいう呼び名自体がドラゴンの等級を表すという面があるんでしょうね。大虚におけるヴァストローデ・アジューカス・ギリアンというレベル分けみたいな。他にもランクがあるなら知りたいですね。字面として考えられそうなのは「悪竜」くらいでしょうか。

 

「ドラゴン憑き」どころの騒ぎではない、というかこれ以上は望めないレベルの大手柄のチャンスが目の前に転がり込んできたことで、ブルーノの標的がバルゴからエリーに移りました。理屈はわかるけどマジで現金なやつですね…。ブルーノが戦闘態勢に入るために巻いたスカーフ、『虚化』にも程がありすぎてちょっと笑ってしまいました。戦闘にスプレーを使うのでこういうマスクが必要になるんでしょう。そこは普通にストリートアートをやる人と同じなんですね。

リッケンバッカー、特に『黒化』してるみたいなこともなく、ブルーノにめっちゃよく懐いているっぽいですね。体色の表現にトーンワークが見られるのも『黒化』の兆候とかではなく、ただただ「そういう色」というだけみたいです。まともに使える翼が3枚になってしまったことを気遣うブルーノの様子も、良きドラゴン使いという風情。やっぱり魔女/魔法使いが使役するドラゴンが『黒化』しないのは、元の人間性とはあんまり関係ない理由があるっぽいですね。

で、ちょっと気になる点が一つ。モノクロ漫画なので判然としないのがアレなんですが、リッケンバッカーの体の色って、もしかして赤色だったりしませんかね。本日公開された劇場版のPV第二弾を見ると、成竜となったエリーは全身が白銀色の毛皮で覆われています。だとするとこの二頭の竜の構図って、『ブリタニア列王史』の「赤い竜と白い竜の伝説」そのまんまなのでは?

「赤い竜と白い竜」の話、上記のリンク先を読んでもらえば概要はつかめるのですが一応かいつまんで要約すると、「ブリテンの王ヴォーティガンが、サクソン人との戦いのために塔を建てようとした。ところが塔の基礎が沈んでしまって建築が進まない。魔術師たちの助言に従って、夢魔を父に持つ少年マーリンが塔建設の生贄に選ばれる。マーリンは『”生贄が要る”などという魔術師たちの嘘を証明する』と宣言して、「塔の基礎の地下に巨大な水たまりがあるせいで基礎が沈んでしまう」「地下の水たまりの底には竜が眠っている」と予言。掘り返してみると本当に水たまりが現れた。地下の水を抜いて待っていると、赤と白の二頭の竜が現れ、戦い始めた。はじめ劣勢だった赤い竜が最終的には勝利し、白い竜を退かせた。マーリンはこれらの竜について、『赤い竜はブリテン人であり、白い竜はサクソン人である』と説明し、さらに『この争いはコーンウォールの猪が現れて白い竜を踏み潰すまで終わらない』と予言。この予言は、コーンウォールの猪』ことアーサー王がサクソン人を破るというかたちで成就されることとなる」というものです。あんまりかいつまめてないけど許してほしい。

何が言いたいかというと、赤い竜がリッケンバッカー、白い竜がエリー、最終的に白い竜を踏み潰す『コーンウォールの猪』ことアーサー王が「英雄の息子」ビリー・バンクスJr.で、竜の居所を予言する夢魔の少年マーリンが「ドラゴン憑き」バルゴだったりするのでは…? という与太話ですね。

ただ今回、バルゴはいきなり笛から剣を繰り出していて、ニニーたちもなんじゃその剣は!?っていう反応をしてますよね。もしかしたらあれがアーサー王伝説「誰も引き抜いたことのない王の選定の剣を引き抜いた」という話に当たるのかもしれないなとも思い……。そうするとバルゴは「マーリンでもありアーサー王でもある」みたいなポジションなのかも? その場合主任はウーサー王とかそのあたりになるのかな。ウーサー王もまた、サクソン人との戦いに勝利してブリテンを守った王の一人なので。

いやまあ、リッケンバッカーが赤い色じゃなかったらだいぶ意味がない話になるので、話二割くらいのつもりでお願いします。さっき貼ったPVだと、ブルーノの背後にリッケンバッカーの体が映ってるような気がしないでもないカットが最後(0:50くらいのとこ)に一瞬だけあるんですが、それを見るとなんか青色っぽく見えるんですよね。もうなんもわからん。。。

あとこれは余談ですが、赤い竜と白い竜の伝説といえば、先般、スタジオコロリドが制作を担当した『ポケットモンスター ソード・シールド』の短編アニメシリーズ『薄明の翼』でもがっつり描かれていたモチーフですね。


詳細は省きますが、無敵のチャンピオン・ダンデの相棒リザードンと、ダンデの永遠のライバル・キバナの相棒ジュラルドンの戦いが、明らかに「赤い竜と白い竜」を下敷きにしているんですよね。スタジオコロリド、ごく短期間のうちに全く同じ神話をモチーフとするエピソードを手掛けることになっていたのは、なんとも面白い偶然です。

 

バルゴの命を守りたいがために増援要請を拒むのえる。裏ロンドンを守るという職責よりも優先されるくらい、バルゴのことを大切な存在だと思い始めているようですね。世話係としてほぼ常に一緒にいることで、バルゴの為人、特に底の抜けた善良さについてもよく見えてきたのかもしれません。 

魔陣隊の戦い方、予想が大当たりして嬉しいです。リッケンバッカーの翼にスプレーで直接描きつけてるのとかめちゃくちゃカッコいいですね。リッケンバッカー、こういう使い方を許容するくらいブルーノのことを慕いまくっているわけです。『黒化』しそうとか言ってマジですまんかった。このスプレー魔法、ニニーたちが使っている「マジック」とは完全に異なる体系を持つ術みたいですね。「解放番号(リリースコード)」は4桁あって、今回出てきたものだけでも2028番が登場しましたから、かなり膨大な数があるようです。たぶん「魔陣の紋様」と「それに対応する解放番号」が一致して初めて解錠(アンロック)されるセキュリティになってるのかな? それを使いこなして戦う魔陣隊、風貌に似合わずめちゃくちゃ頭を使う部署なのでは。

このスプレー魔法、先週も紹介したように、公式サイトでは「封印された魔陣を解放」するという表現になっているので、なんかこう、ダークドラゴンが繰り出してくる異能やらクリーチャーやらをとっ捕まえて封印しておいて、それを適宜解放して使役する、という仕組みなのかなと思いました。ファイナルファンタジーで言うと「魔物使い」とか「青魔道士」とかみたいな、魔物の力を利用する系のジョブ。だから先述したようなセキュリティが必要になっているのかなと。

 

『シンデレラ』の殺し方、めちゃくちゃロマンチックですね。魔法で作られたティアラを破壊されると、シンデレラはお姫様ではいられなくなるということですね。

あと、エリーが変身したあたりのタイミングで時計塔の時計が11時45分を指しており、そこから時計が画面に映り込むたびに少しずつ時間が進んでいるので、たぶんエリーが討伐された瞬間が午前0時ピッタリだったんでしょうね。先週書き忘れてましたが、ニニーたちがリアリスツ社屋に向かったのが昼間、ブルーノから逃げてメイシーの話を聞き始めたのが夕方頃っぽい描き方だったので、たぶんニニーたちは半日近く逃げ回っていたみたいです。それだけ長い時間逃げ続けていたからこそ、結界を破られた時点でバルゴの「害龍指定」も降りてしまったのでしょう。

 

マジック#68『スパーナル・ジェイル』、綴りはおそらく「Supernal Jail」で、意味は「天上の檻」。見た目はちょっと「光の護封剣」っぽい。神話的存在を捕らえるに相応しい名前ですね。ニニーとのえるの二人で詠唱を分け合っています。これはたぶん、二人がかりで詠唱することで力を強める的な、そういう効果があるんでしょうね。あるいは、二人はマジックの専門家ってことでもないでしょうから、ちょっと身の丈に合わない強力なマジックを二人がかりで無理やり使ったということなのかもしれません。ただ、劇場版PV第一弾でより詳しく描写されていたりしますが、第1話の終盤にのえるが単独で使用したマジック#75『ガトリング・クラウン』は、番号としては『スパーナル・ジェイル』よりも後ろにあるんですよね。

 となると、「単独でも使える魔術を二人がかりでより強くした」という線のほうが濃厚っぽいかなと思います。

あと、これは個人的な印象の話なんですが、魔女たちがつかう「マジック」の詠唱って、なんか「マザーグース」の歌にすごくノリが近い気がするんですよね。ほとんどの単語が子供にも分かるすごく平易なレベルに収まっていて、英文詩の特徴である押韻への意識も見られますよね。第1話の『ブルー・スパーク』や今回の『スパーナル・ジェイル』の詠唱なんかがかなり分かりやすい例だなと思います。

それに、「マザーグース」という通称の元になっている大衆的イメージとして「ガチョウもしくはアヒルに騎乗して空を飛ぶ老婆の魔女」というのがあるんですね。これ、「ドラゴンに騎乗して空を飛ぶ魔女」の姿になんとも似ていると思いませんか? もちろん、ニニーたちが騎乗しているドラゴンたちは「ブルームバギー」と呼ばれる種族であって、あえて和訳するなら「乗り物箒」とでも言うべきものですから、このドラゴンの下敷きとして第一にあるのはガチョウなどよりもまず「魔女の箒」であろうことは改めて強調しておきます。あくまでも「こういうのもイメージの源流の一部にあるのかな」という話でした。

 

「強欲の帷(グリーディカーテン)」、まさに魔陣隊そのものって感じの魔陣ですね。この魔法はアニメだとどういう感じで表現されるのか、個人的に特に楽しみです。

あとこのくだりをよく見ると、ブルーノがマスクがわりに巻いているスカーフのドクロ模様が、ブルーノの喋りに合わせて動いているようなんですね。このスカーフもなんかしら魔法が織り込まれたものなんでしょうね。考えられるとしたら、「マスクをした状態でも命令や指示を間違いなく行き渡らせるために、音声を明瞭化する魔法」とかでしょうか。その演出として、マスクで隠れた口と一緒にドクロが喋ってくれるという。そう考えると結構茶目っ気がありますね。

 

破壊の限りを尽くすエリーに語りかけるメイシー。これ、セルビーに話しかけてたバルゴと同じなんですよね。ドラゴンが隠していた邪悪な本性を表すことを「魔法が解ける」にちゃんと引っ掛けてくるのも見事としか言いようがない。あとここでのえるが「魔防壁」の展開を提案しています。先週はブルーノが部下に同じ指示をしていましたが、これは魔陣隊特有のものではなく、汎用的な防御方法みたいですね。

魔法が解けてしまう本当の理由が「それが自分の力じゃないからよ」というの、「俺は俺自身で戦う」「THE BLADE IS ME」のラインに繋げるにあたってこれ以上ないほど鮮やかな表現で、思わず天を仰いじゃいました。このテーマに繋がるんだろうなというのはまあ先週時点でわかってはいたのでアレですが、魔法使いのおばあさんにかけてもらった魔法というのは、「自分の力」であるわけがないんですよね。勝手に解けることがない永遠の魔法が欲しければ、それは自分自身が強くなる以外にないんだよ、という話。『BURN THE WITCH』、主要キャラクターや舞台が大きく変わってドラマとしては完全に仕切り直しているとはいえ、『BLEACH』という作品がこれまで提示してきたテーマを、やはり明確に受け継いだ物語になっているんですね。

「あたしたちは魔法をかける側でしょ」という言葉、(三人の魔女たちを順番に映していくカット割りからも明らかなように)当然魔女としての資質の話ではあるわけですが、ニニーの胸の内としては、やっぱり「メイシーにCD2をやめてほしくなかった」というような想いがあったのかな~とか、そういうニュアンスも感じちゃいますね。

 

エリーの再攻撃の間際、バルゴが形だけの装備として渡されたはずの笛から、なぜか突然剣を出現させました。これ、マジで何なんでしょうね。『BLEACH』の設定を流用して解釈すると、「特定のアイテムに紐付いたかたちで発動する異能」という意味では『完現術』っぽく見えます。ただ、完現術にはそのアイテムに対してある程度の「愛着」が必須なんですよね。バルゴの笛はこの日の昼間に主任から手渡されただけのものなので、完現術の引き金になるほどの愛着があるとはさすがに解釈しづらいですよね。

完現術ではないとするとやっぱり真っ先に思い浮かぶのは『斬魄刀』なわけですが、あれも生身のままいきなりポンと出せるような代物ではないので、どっちとも言いようがないというか、少なくとも現時点の情報では『BLEACH』の知識から確固たる答えは出ないように思いますね。10年にわたってドラゴンと身近に接触し続けたバルゴは、通常のドラゴン憑きともさらに一線を画す”異常な何か”を得てしまっていたっぽい、というあたりが現状言える限界かなと思います。この剣がバルゴにとっての「自分の力」ということになっていくのかなと思うんですが、まあまだよくわかんないので、シーズン2以降に期待しておきましょう。

ところで、これはわりと念頭に置いといたほうがいいよなと思ってることなんですが、「裏ロンドンの組織構造、その管轄下にあるドラゴンや魔法などの能力体系」と、「瀞霊廷の組織構造、その管轄下にある虚や斬魄刀などの能力体系」は、必ずしも厳密な一対一対応の関係にあるはずだと考える必要はないと思うんですよね。

あくまでも個人的な手触りとしてなんですが、これたぶん、土地によって「魂の循環のあり方」そのものが大きく異なってるってことだと思うんですよ。そもそも、瀞霊廷は現世からは完全に切り離された「死者のみが住む異世界」ですが、裏ロンドンの住人はどうやらバリバリ生存中の生身の人間ばっかなんですよね。通貨の両替による経済的な繋がりすらできているのが裏ロンドンであって、彼らの生活は表側のロンドンと限りなく地続きなんですよ。もうこの時点で、『BLEACH』世界の模式図をそのまま流用することなんか土台不可能だなと思います。

なので、『BURN THE WITCH』の設定やら世界観やらを『BLEACH』の設定に絡めて考えたいときには、あくまでも参考程度、発想のヒントを貰いに行く、くらいのつもりに留めておくのが丁度いいのではと思います。

たとえば「ドラゴンとは虚そのもののはずだから大虚にあたる存在が要るに違いない…」とか、「裏ロンドンも尸魂界の一部なんだから霊王みたいな”全ての仕組みを作った大元の存在”がいるはず…」とか、そういうのをあんまり神経質にパターン化して当てはめすぎないほうがいい気がしますね。あんまり焦ってそういう考察パズルにばかり没頭してると「この設定がいつまで経っても出てこないのでカス!」みたいな終わりきった思考回路にもハマってしまいがちですし。

 

話が逸れました。動きを止めたエリーを超長距離狙撃で瞬殺する主任。たしかに「やるときはやる系おじさん」なのかなとは思ってましたが、ちょっとあまりにもバケモンすぎてドン引きですね…。彼の下敷きがアーサー王なのだとしたら、この狙撃ビームはエクスカリバーなのかな。彼のバックボーンについても今後語られていくでしょうが、正直ここが一番楽しみかもしれません。

 

さて、「童話竜」シンデレラの討伐には成功したものの、市街への損害との差し引きでニニーたちにはほとんど実入りがなかったようです。書類上、主任はこの討伐には一切絡んでいないことにしているようで、とにかく能がありすぎる鷹が爪を隠し倒しているわけですね。サリバン長官の目が節穴だったわけではなくて本当に良かった。

メイシー、「軽度」とは言われていますが普通にドラゴン憑きなんですね。ということは、魔法の素質があるからと言って必ずしもドラゴン憑きにならないわけではないようです。ということは、魔女/魔法使いになってドラゴンと接触できるようになるためには、単なる体質以上の何かが必要になるということなんでしょうね。魔女たちの認定試験まわりについても詳しく知りたいところです。

 

バルゴの「害竜指定」を取り下げる申請を、なんとなんとブルーノが提出し、滞りなく受理されました。このヒキを見るに、今後の不定期なシーズン連載の内容は、残り六頭の「童話竜」を討伐していくお話になるのかな? 「童話竜」、名前だけ見せられてワクワクが止まらなかったので、早く見たいですね。個人的に『バブルズ』と『シュガーハウス』はどんなデザインになるのか非常に楽しみです。

余談ですが、『スノーホワイト』(白雪姫)は『BLEACH』だとルキア周りのイメージとして引用されたことがありましたね。ルキアvsエス・ノト戦の佳境で、『袖白雪』という名に引っ掛けて「Dance With Snowwhite」というサブタイがありました。「氷や雪を操るドラゴン」というイメージだとどうしても『氷輪丸』が思い浮かぶところはありますが、まあ今回はあんまり関係ないんじゃないかな~と思います。

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久保帯人BLEACH』63巻119頁)

 

バルゴ、どうやら二ヶ月前のメイシーがエリーと出会った雨の日に、メイシーに傘をあげちゃってたようです。マジでお人好しすぎるでしょ…。第2話の回想、メイシーがエリーの姿を見つけたコマがまさにその瞬間だったらしく、メイシーの持つ傘には「I ♡ MY DOG」という文字列の後半だけが辛うじて読み取れます。そのメイシーのすぐ後ろで頭を隠してるパーカーの青年こそがバルゴだったんですね。伏線の張り方がマジで老獪すぎる。。。

この二人、今回顔を合わせた時にお互いのことに気づかなかったのかなとちょっと思ったんですが、「二ヶ月前にたまたま会って傘をあげた(もらった)知らない人」というのは、正直かなり薄い情報だと思うんですよね。メイシーはその直後にエリーに出会ったのでそれどころではなくなったでしょうし、バルゴにしても「CECILE DIE TWICEのメイシー・バルジャー」という強烈なキャラクターが「二ヶ月前に傘をあげた人」にすぐ接続できるかというと、なかなか難しいだろうと思います。正直、よっぽど特徴的な風貌でもないと絶対覚えてられないよなと思います。

 

のえる、バルゴの無事が確定したことがよほど嬉しかったんですね。彼女のなかでのバルゴの存在感は確実に大きくなっているようです。

先週言った、「バルゴが自分自身を見つめ直して自分の力になるものを見つける」という話は、今回笛から飛び出した剣の謎も含めて、今後のシリーズ連載の大きな縦軸になるのかなと思います。そのなかでバルゴの内面を丁寧に描いていくことは、そのままのえるがバルゴに心惹かれていく過程を描くことにも繋がっていくと思うので、この二人のお話は、シーズン2からようやく本格的に始まるのかなという気がします。本当に楽しみです。

最後に、ちょっとこのくだりで気になったのが、「バルゴが借りていたマントと笛をチーフに回収された」という話。単に一時貸与用の備品だったからというだけならいいんですが、ただでさえバルゴは「笛から剣を出す」という前人未到らしい意味不明な現象を起こしちゃってますし、しかも主任はサリバン長官が一目も二目も置くバケモンなわけですよね。バルゴの身に起きている何らかの変化について主任が調べようとしている、そういう描写の一端なのかなと思うんですよね。思えば主任は第2話の冒頭で竜頭議場を偵察したりもしていましたし、そういう内偵活動を活かした暗躍をずっと繰り返してきたのが彼という男で、そこに気づいたのがサリバン長官だったんじゃないかなとか、そういう想像は容易にできそうなんですよ。とにかくオイシいポジションだ。

 

というわけで、『BURN THE WITCH』シーズン1の感想は、今回で終わりです。

いつかシーズン2が始まった時に、またお会いしましょう。

それでは。