『週刊少年ジャンプ』2016年49号の感想
こんばんは。ほあしです。
今週のジャンプの感想です。
◆『火ノ丸相撲』第120番「感謝」
蛍くん、やはり「物言い」の末に取り直しで敗退となりました。火ノ丸相撲、どこまでもシビアというか地に足ついているというか、相撲という競技に対して真摯なマンガだなと思います。
今回の蛍くんの戦い方って、言ってしまえばものすごく現実離れしているというか、マンガ的な演出や内面描写ありきでようやく説得力が出てくるものというか、実際にこれと同じことをやってもまず成功しないような代物なんですよね。もちろん読者の心情的にはめっちゃ燃えるやつですし「勝ってくれ~~~」と思わされるものではあるんですが、そういう意味も含めて良くも悪くもマンガ的。だからこそ、今回の戦い方では「同体」までが限界だったのかなと思います。全国大会を6連覇している超強豪校のレギュラー相手に勝ち星を得るには、蛍くんの戦い方はあと一歩説得力が足りなかったのだろうなと。蛍くんが見せた「勝利」への異常なまでの執念自体は紛れもない本物だけど、だからといって強敵相手に番狂わせを演じられるとは限らないという、勝負の世界では当然の前提であるシビアさをこの作品は絶対に失わないんですよね。勝負のアツさそのものは極限まで演出しながら、それと同時に「でも勝敗の付け方については甘くしないぞ」と自ら釘を刺していくような、ある意味、描き手である川田先生自身への厳しさみたいなものをしばしば感じます。
で、ですよ。こういう、マンガとしてはやや過剰なほどのシビアさを存分に示した直後にまたアツいのを持ってきてくれてますよね。蛍くん本人の戦績だけを見れば勝ちには結びつかなかったかもしれませんが、蛍くんの不屈の努力は、隣にいた「天才」の闘志を大いに燃え上がらせたんですよ。他のメンバーが蛍くんに発奮させられて勝利を掴むことができればその努力は無意味などではなくなる、という理屈なわけですが、これは蛍くんというキャラクターの活かし方としてものすごくアツいと思います。こういう流れにすることで、蛍くんが「大太刀高校にとっての火ノ丸」や「白楼高校にとっての天王寺」とほとんど同じ立ち位置になっているので。この辺、もうチヒロが全部言っちゃってくれてるんですが、「・・・お前らだってそうだろう 負けた天王寺の道が間違ってると思いたくなくて 燃えてるんだろうが」「火ノ丸の道もホタルの道も無駄じゃねぇ」「それを・・・ホタルに熱を貰った俺が てめぇに勝って証明してやるよ!!」という風に、いまこの場において蛍くんは、火ノ丸や天王寺とまったく同じ水準で「こいつのために勝ってやりたい」と思われるような存在になっているわけです。たった一度の勝利のためにあらゆる犠牲を払って戦い、それでも敗れた蛍くんを本当に「無意味」にしてしまわないようにするべく、いまチヒロは燃えているわけですね。端的に言って最高です。
◆『僕のヒーローアカデミア』No.114「合否その後に」
まさか2週続けて「トイレその後に」もじりで来るとは思いもしませんでした・・・。なんかこう、語呂が良いので使いやすいのかもしれませんね。
雄英1年A組の面々は、轟くんとかっちゃん以外は全員合格のようです。かっちゃんの不合格は偏にクソを下水で煮込んだような性格のなせる業なんだろうというのが想像つきすぎて特に疑問もないんですが、轟くん不合格はやっぱりトバッチリ感あるよなーと思います。すべての原因である夜嵐くんが今更謝ってきてるのももはや逆に腹が立つというか、「いま夜嵐くんがこうして謝ってきてるのは不合格になったからであって、もし合格しちゃってたら彼は絶対自分の狭量さを省みたりせずむしろ居直るくらいしてたでしょ・・・」と思ってしまうんですよね・・・。彼については、私はもう完全に「第一印象が最悪すぎて全ての言動がクソに見える」的な状態になってしまってます・・・。
二次試験不合格者への救済措置については、オールマイト引退という状況を勘案すればまあ十分ありうる流れだよねと思います。というか、個人的に感じていた「試験というよりも演習っぽい」という違和感の正体がきれいに提示されたことになるので、その意味ではたいへん納得感が大きいです。試験の最中ですらHUCから指導が入っていたのは「育てる」という意図があったからなんだなと。
で、士傑高校の「ケミィ」さんですが、やっぱりトガちゃんが化けてたんですね・・・。一次試験での肉体脱ぎ捨て描写からの「カッコイイねえ」発言が出た時点でもしかしたらとは思っていましたが。ヒロアカはキャラの名前を見れば"個性"の大枠がわかるので、トガちゃんが「身体を被る」的な力を使うことはほぼ既出情報に等しかったですし。
デクの血液を採取されてしまったわけですが、これをどう利用するつもりなんでしょうね。一次試験でお茶子に変身していたのをデクに一瞬で見破られたり、士傑高校の毛の人に「ここ数日のケミィは普段とは様子が違っていた」と言われていたりしたことからも分かるように、トガちゃんはただ姿形を変えられるだけで芝居はろくに出来ないっぽいんですよね。デクに化けて雄英内部を撹乱するとか、そういう真似は基本的に通用しないように思います。あるいはもっと直接的に、デクのお母さんに接近して何かいらんことをするということなら全然使えそうではありますが、今更そんなケチくさい攻撃を敵連合が仕掛けてくるとも思えませんし、ちょっと予想がつかないですね。
◆『ワールドトリガー』第164話「玉狛第2 ⑳」
「千佳は人を撃てるのか」問題、動きそうですね。個人的には「対人模擬戦を重ねるうちに鉛弾なしでも人を撃てるようになるはずだ」と思っていたのですが、当真さんは「追い込まれれば撃つ」と言っています。いまの千佳は「自分の手で撃つこと」が嫌なだけであって、「仲間を支援するかたちで攻撃行為に参加すること」は抵抗なくできる以上、性格的には十分に「バトル向き」のはずだということのようです。たしかに、「自分の手だろうが他人の手だろうがとにかく人を攻撃するような行為に参加したくない」ということなら、鉛弾での攻撃支援すら成立しないはずなんですよね。仲間に手を下してもらうことに抵抗感がないなら、自分で手を下すことも出来るはずだと。あとは千佳が肚を括れるかどうかという感じなんですかね。なんかこういうエピソードがBLEACHにもあったなあとふと思いました。一護が恋次に月牙天衝を放ったときの回想で語られた「敵を傷つけることへの"恐怖"と、敵を斬る"覚悟"」の話です。テーマ的にはほぼそのまんまですね・・・。
また、「どうしても人を撃てない隊員はC級のうちにオペレーターか技術者に転属させる」という話が出ていました。この「ボーダー隊員の戦闘行為に対する心理的抵抗」については以前から個人的に色々想像を膨らませていて、鳩原未来や千佳のように人を撃つことに抵抗のある隊員が現れることは大いに想像がつくことですから、それについてボーダー側は何らかの対策を講じているのではないかと思ってはいたんですよね。具体的には「心理的抵抗を低減できるようにするための感情制御の技術講習」などを想像していたんですが、少年兵がメインの組織でそこまでするかという話もありますし、適性が著しく欠ける者を無理に戦闘員に仕立て上げるよりもさっさと転属してもらう方がよほど理に適っているよなと思います。カゲ曰く「感情を排して攻撃する」というのは遊真や東さんくらいにしか不可能な特殊技能のようですし。
で、修は修で、何やら言い知れぬ不安を抱えているようです。ワートリでこういう前フリを入れられると本当に何かとんでもないことが起きそうでめちゃくちゃ怖いですね・・・。とりあえず、「自分も何か新しいことをしたほうがいいのでは」という修の焦りは、二宮隊・影浦隊・東隊とぶつかったときを思い起こさせるものはあるなと思います。自分の手で点を獲ろうと焦りすぎるあまりに手ひどくやられてしまった、苦々しいランク戦です。今回の焦りはそれとは少し質が違う(今回は別に直接的な得点を欲して焦っているわけではない)ものではありますが、あのときと似たような流れで思わぬ落とし穴にハマってしまいそうな不安感があります。
で、この流れでトリオン装備に関する仕様が明かされましたが、やはり緊急脱出システムの存在感が非常に印象的ですよね。もし緊急脱出を装備しなければ、その分のトリオンをそのまま戦闘に回すことが可能になるわけですから、ものすごく単純に考えれば隊員一人あたりのパフォーマンスは向上するはずなんですよね。にもかかわらず、戦闘員のトリオンを大きく消費させてでも緊急脱出を装備させるのは、どう考えても旧ボーダー時代の悲劇を繰り返さないようにするためですから、現ボーダーがいかに「隊員の生命を守ること」に腐心しているかが窺えます。もちろん、「高度な訓練を経た強力な隊員を安易に失っていては組織が立ちいかなくなるから」という実利的な理由も大いにあるはずですが。
◆『鬼滅の刃』第37話「折れた刀身」
蜘蛛パパの圧倒的な威圧感を前にして命を完全に諦めようとしていた伊之助ですが、炭治郎の声を思い出して奮起しています。これ自体は本当によくある流れなんですが、伊之助でこれをやるというのがすごくアツいなと思います。あまりにも浮世離れした野生児すぎてちょっと人間としての愛着が湧きにくいなーと思っていたんですが、この流れのおかげで「あ、伊之助もちゃんと周りの人に対して絆を感じてくれていたんだな」というのがはっきりと分かったので。
そして伊之助、ただの野生児的なアレかと思いきや、出生には結構な曰くがありそうですね。血にまみれた姿の女性(たぶん母親なんでしょう)が、まだ赤ん坊だった伊之助を崖下へ捨てたように見えます。というか、彼の「伊之助」という名前は親から貰った名前だったんですね・・・。なぜその名前を名乗り続けることが出来ているのか、というあたりも含めて、彼のバックボーンに期待です。
伊之助の窮地をぎりぎりで救った鬼殺隊の"柱"の一人・富岡義勇ですが、彼は炭治郎と同じ「水の呼吸」を使うんですね。これ、やっぱり師が同じということなんでしょうか。鬼殺隊の面々が用いる「呼吸」については未だにほとんど何もわからない状態なので、少しでも情報がほしいところです。
そして炭治郎ですが、まさか日輪刀そのものを切断されるとは・・・。やはりこの少年が十二鬼月っぽいなあと思った矢先、まさか最後のコマのアオリ文でネタバレを喰らわされるとは思いませんでした。「その刃、十二鬼月には届かず!!」じゃあないんだよ。こういうのは基本的に担当編集者が考えているものと思うんですが、作中で提示された情報と提示されていない情報との整理はきちんと付けておいて欲しいものです。
◆『左門くんはサモナー』第56話「左門くんは久々」
マステマのキャラ造形ですが、やっぱり彼は『「敵意」とか「憎悪」といった概念そのものが人間のかたちを得た』というコンセプトでデザインされているようですね。「マステマを超えてくれ」という言い回しの裏付けを得られた感じで非常にスッキリしました。
で、第三の刺客・皆殺しのアンドラスですが、前座三人の最後に持ってくるキャラとしてはちょっと格が低くなりすぎてるかなーと思ってしまいました・・・。内面的には悪役として十分なクソ野郎っぷりなんですが、戦闘面での実力がものすごく低く見えてしまっているんですよね・・・。「皆殺し」という仰々しい異名を持っているわりに、不意打ちでもサルガタナスを殺しきれなかったこと(これについてはむしろサルの強さを再評価するべきなのかもしれませんが)を指摘されたばかりか、受肉して弱体化したネビロスすらも満足に倒せない、というのはさすがに物足りなく感じます。ネビロスの負傷の描写がもっと深刻(それこそ四肢の欠損とか)だったら戦闘狂キャラとしてもう少しマシな印象になったのかなあと思うんですが、実際には少し血飛沫が飛び散っている程度ですから・・・。まああくまでも『左門くん』はコメディ作品だからということで、そのあたりの描写には少し強めのセーブが掛かっているのかもしれませんが。
アンドラスに殴らせすぎたネビロスは戦線を離脱し、左門くん単身でマステマに挑むようです。「灰になるまで強い(その)まんまなら 好きだぜ」というセリフがすごく良いですね。軽々しい言葉遣いでありながら「信仰を試す悪魔」としての圧力があります。これと全く同じ気持ちをジャンヌ・ダルクやてっしーといった"聖者"に対しても抱いているんでしょうね。マステマの人間観が垣間見えるセリフです。
今週の感想は以上です。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
それでは。