『BLEACH』第670話「The Perfect Crimson」の感想・考察
こんばんは。ほあしです。
今週のBLEACHの感想です。
『BLEACH』第670話「The Perfect Crimson」
剣八がジェラルドを両断しました。剣八を案じてか近付こうとする日番谷を白哉が制止しています。いまの剣八はどう見てもバーサーカー状態ですからこの判断は賢明でしょうね。誰かれ構わず斬ってしまいそうな危うさがあります。この卍解も、ゆくゆくは京楽のように「人が大勢いるところで使うべきではない卍解」などと呼ばれそうです。
そして、やはりと言うべきか、ジェラルドは両断された状態からでも蘇りました。滅却十字が現れていて、なおかつ『神の権能(アシュトニグ)』という完聖体のような名を述べていますから、もしかしたらこれがジェラルドの完聖体なのかもしれません。とはいえ、他の完聖体と比較するとかなり異様で、見かけ上、霊子兵装と思しき部分がほぼ皆無に見えるのが気になるんですよね。それっぽいのって剣の柄くらいじゃないでしょうか。あるいは、彼の肉体そのものが霊的なものに変わっている、というリジェのようなパターンなんでしょうか、やっぱり。「ジェラルドは霊王の心臓らしい」という話を知ってしまっているので、彼には何か特別な部分があるんじゃないかとどうしても勘繰ってしまいます。
復活したジェラルドが日番谷たちに向かって光の矢を放ち、市街地がまるごと破壊されます。リジェの『裁きの光明』などもそうでしたが、力を増した親衛隊の攻撃は規模が桁違いですね。広範囲の瓦礫をまとめて氷結させることで落下を防ぐ日番谷も相当なものです。まあ彼の場合、「全ての天は俺の支配下だ」と言ってしまうくらいですから、これくらいなら軽いものなのかもしれません。
ここでジェラルドが『神の権能(アシュトニグ)』という名乗りを上げます。「霊王の心臓」と目される人物に相応しい名前に見えますね。これ、言葉の響きとしてはすごくドイツ語っぽいんですが、該当する語は存在するんでしょうか(わたしが調べたかぎりでは、それらしい言葉は全く見つかりませんでした)。もしこれがジェラルドの完聖体だった場合、この「アシュトニグ」というのはおそらく「久保先生がオリジナルで考案した天使の名前っぽい響きの言葉」だと思いますから辞書を当たるだけ無駄なんですが、他に比べて「ドイツ語感」みたいなものが強く感じられるのでちょっと気になっているんですよね。
で、ジェラルドはこれに続けて「高潔なる神の戦士 死して尚 神の為に剣を振るう者なり!」と言っています。「神のために戦う」というのはまさしく天使そのものだなあと思う一方で、「死して尚」とわざわざ言っているのがちょっと気になります。これ、「天使」よりもむしろ「エインヘリャル」に近いイメージなんじゃないかと。
エインヘリャルとは北欧神話における「戦死した勇者の魂」のことで、彼らはヴァルキューレに見初められてヴァルハラへ導かれ、主神オーディンのために戦う戦士として歓待されると言われています。「ジェラルド・ヴァルキリー」という彼の名前を踏まえれば、久保先生が"そういうつもり"でジェラルドを描いていることは間違いないと思います。
ただし、「ヴァルキューレ」と「エインヘリャル」は全くの別物なのでその辺はご注意ください。ヴァルキューレはオーディンに仕える「女神」であり、エインヘリャルはそれに導かれて神の国へやって来る「死んだ人間の魂」です。「巨人」であることもあわせて考えると、たぶんジェラルドは「主要な北欧神話ネタ全部乗せ」みたいなノリで考えられているのかなと思います。
そんな神の戦士・ジェラルドに対して再び真っ向から立ち向かうべく刀を振りかぶる剣八ですが、突然、右腕が張り裂けます。やちる曰く「剣ちゃんの力 解放しすぎちゃった」「剣ちゃんの体の方がたえらんなかったみたい」とのことなので、そういうことなのでしょう。このやちるの言葉は、「剣八の卍解が本来持つ力はこの程度ではない」ということを遠回しながら明言していますね。剣八の体が耐えることさえできれば、彼は更に大きな力を振るうことが出来るわけです。
そしてこのシーンは、グレミィの最期に酷似しているんですよね。肉体が壊れてしまう理由までまるっきり同じ、「剣八の力に体が耐えられなかったから」です。
(久保帯人『BLEACH』64巻150~152,157~158頁)
グレミィの体が壊れたのは、彼の言ったとおり、「剣八の力の全てを正しく想像できていたから」なんですね。ただ、このシーンを振り返っていて興味深いのは、「『剣八の力に耐えられるのは剣八自身だけ』というグレミィの見立てすらも結局は誤りだった」というところです。剣八が本来持っている力には、剣八自身の肉体を以てしても耐えることができないわけですから。剣八が「力がデカすぎて封印できない」と言っていたのはこういう意味もあったのかもしれません。
自滅していく剣八を、今度はジェラルドが両断します。「まだ上がある」という含みを残してここでリタイアするということは、剣八とやちるの関係性については次の機会へ持ち越しのようですね。次の機会となるといよいよユーハバッハとの決戦くらいしか無さそうに思えますが、誰と戦うにしても楽しみです。正直、個人的には、ここまで来ると戦いぶりそのものよりも関係性のエモさのほうが気になっているので、久保先生にはぜひともエモさ全開のやつをおもいっきり描いてもらいたいなと思います。
ジェラルドに薙ぎ払われた日番谷を、白哉が千本桜で受け止めてやります。千本桜、こういう繊細な使い方も可能なんですね。触れたら無条件で斬れてしまう刃の怒濤くらいに思っていましたが、普通の刀と同様に、刀身の「腹」の部分を使うこともできるようです。
そして、日番谷の背後に浮かぶ氷の華がすべて砕け散ったことで、卍解『大紅蓮氷輪丸』の真の姿がついにお目見えです。今週のタイトル「The Perfect Crimson」は、直訳すれば「完全な深紅」という感じになりますが、これは明らかに「完成した大紅蓮氷輪丸」を指す言葉ですね。
さて、今回明かされた「氷の華が全て散ることで大紅蓮氷輪丸は完成する」という話ですが、じつは結構前から想定済みではありました。
シャウロンはあれを「卍解が消えるまでのタイムリミット」と推量してたけど、日番谷はそれを否定も肯定もしてないねんよな。あれが実は龍紋鬼灯丸みたいな「完全解放まで時間がかかる」的なギミックなんじゃないかなって。
— ほあし (@hoasissimo) 2015年8月5日
大紅蓮氷輪丸の背後に咲く三つの花が全て散ったら「具体的にどういう状態になるのか」という点について、明確な情報はまだ何一つ提示されてないのでな。あれが「卍解の真の姿」のトリガーになってる可能性は普通にある。
— ほあし (@hoasissimo) 2015年9月28日
ひとつめのツイートは、公式ファンブック『BLEACH 13 BLADEs.』が発売された直後のものですね。この書籍には久保先生へのインタビュー記事が掲載されているんですが、そのなかで「このキャラはまだまだ描きたい!というキャラは?」という質問に対して、久保先生は「卍解の最終形態をまだ描いていないキャラがいるので、その姿は描きたい」と回答しているんですね。
これが具体的に誰のことなのかは明言されていないんですが、「すでに卍解を披露したことはあるが、まだパワーアップの含みを残しているキャラ」ということは分かりますよね。そうすると白哉か日番谷くらいかな、そういえば日番谷の卍解の氷の華って・・・という感じで思い至ったことを述べたのがこれらのツイートです。日付が二ヶ月近く飛んでいますが、こうやって同じ話を何度も蒸し返すタイプの鬱陶しいオタクなんです許してください。
今週の日番谷自身も言っていることですが、「氷の華が全て散ったら大紅蓮氷輪丸は消える」という話を、彼自身が明言したことはただの一度も無いんですよね。今回の白哉のセリフも含めて「周囲の人物による推量」というかたちでしか言及されたことがなく、それを日番谷が肯定したことは一切ありません。
特に、最初にこの推量を披露したシャウロンが非常に自信ありげだったことで「ああ、氷の華が散ったらアウトなんだな・・・」と何となく信じ込まされてしまった面もあったでしょう。印象操作によるミスリードです。日番谷がそれを認めたことなんて無いのに、「こんなに自信ありげに言いきるキャラがいるのならそうなんだろう」と何となく追従しちゃうやつです。こわいですね。それだけ久保先生の演出力が高いとも言えますが。
また、〈破面篇〉のハリベル戦では、"天相従臨"を行使するにあたって氷の華の散り方を気にかけているセリフがあるんですね。「自分は戦士として未熟なので、卍解状態では"天相従臨"を制御しきれる自信が無かったが、氷の華が半分ほど散っていたおかげで難を逃れた」という主旨です。このセリフって、氷の華をどういうものと捉えるかによって全く逆の解釈が可能になるんですよね。
「氷の華が全て散ると卍解が消える」という前提で読むと、「卍解が弱りつつあるので、未熟な自分でも制御できるようになった」という意味合いになります。おそらく、この受け取り方をしていた人が多いでしょう。シャウロンの自信満々な推測を聞かされた後ですから。
しかし、「氷の華が全て散ることで卍解が完成する」という前提で読むと、「未熟さゆえに力を解放しきれていなかった卍解が徐々に完成に近づきつつあるので、制御できるようになった」という意味合いになります。氷の華を「卍解消滅までのカウントダウン」と見るか、「卍解完成までのカウントダウン」と見るかで、意味がまるっきり逆になっていますね。先に挙げたツイートのなかでも述べたことですが、日番谷がまだ幼いせいで、一角の『龍紋鬼灯丸』に似たスロースタートな特性を持ってしまっているようです。
しかしこれは、日番谷本人の言葉や反応を注意深く観察していれば気づくことが可能になっている、ほどよく巧妙な隠しネタだったなと思います。
ただ、卍解が完成した日番谷がなぜ青年の姿になっているのかについては、正直言って全く分かりません。卍解完成の副作用なのか、あるいは涅によるゾンビ化解除の施術などが何か作用しているのか…。涅は、ゾンビ化から復活した日番谷と乱菊について「寿命は大きく縮んだ」とも言っていましたから、もし関係しているとすればその辺りでしょうか。
いずれにせよ、ここからは日番谷のターンかなと。雛森との関係性を描くよ的な含みも少し前にありましたから、そっちに期待しましょう。いやー、楽しみです。
今週の感想は以上です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは。