Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BLEACH』第671話「The Perfect Crimson 2」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週のBLEACHの感想です。

 

BLEACH』第671話「The Perfect Crimson 2」

 先週の続きからですね。日番谷によれば、彼の力は氷輪丸を使いこなすには未熟なため、『大紅蓮氷輪丸』の完成に呼応して「少し老ける」ということのようです。やはり彼の卍解は、幼さ・未熟さゆえのスロースタートという特性を持っていたんですね。こうした肉体の変化について日番谷は初めから承知していたようですから、これは涅のゾンビ化解除の施術による副作用などとは別に関係ないようです。「氷輪丸の力を完全に引き出すためにはもう少し日番谷が成長する必要があるので、卍解の完成に合わせて無理矢理成長させられてしまう」ということなのでしょう。〈破面篇〉では、京楽が日番谷の天才性について「あと百年もしたら追い抜かれちゃうと思うよ」と言っていましたが、いまの日番谷の姿はちょうどそれくらいの年月を経たものなのかもしれませんね。

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久保帯人BLEACH』42巻56頁)

 ただ、この仕様って、なんだかものすごく危険な雰囲気も感じられるんですよね。「本来なら使いこなせないはずの力を無理矢理使いこなせるようにするために肉体改造を施す」という話でしかないわけで、なんかこう、生命力とか寿命とかそういった類のものを削ってしまっているというか、本来ならもっと時間が経ってから得られるはずだった力を先取りして消費しているのではないかと思えてなりません。今まで日番谷がこの姿を見せないように戦いを急いでいたらしいことを考えると、相応のデメリットが付随していても何ら不思議ではありません。ただでさえ涅からは「寿命は大きく縮んだ」と念押しされていますし。

 ところで、完成した『大紅蓮氷輪丸』において日番谷が纏っている氷の装甲なんですが、どうも「西洋の王侯貴族」的なところがデザインのコンセプトになっているみたいですね。首周りの襟飾りに加えてエポーレットめいた肩飾りがあり、手足にも手袋やブーツのような装甲を纏っています。星十字騎士団の外套にも、裾を縁取るようにして氷が生じていますから、これはマントのイメージでしょうか。全体として西洋の貴族軍人のような出で立ちに見えます。どうでもいいですけど、西洋貴族趣味の雀部が見たらめちゃくちゃ羨ましがりそうです。そういえば彼の卍解『黄煌厳霊離宮』も"天相従臨"に相当する能力を持っていましたね。

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久保帯人BLEACH』57巻83頁)

 こうして見ると、日番谷がゾンビ化して再登場したときに星十字騎士団の衣服を着せられていたのは、この卍解のデザインに合わせるためだったのかなとも思えますね。いずれにせよ、格好いい・・・。

 

 容姿が変わった日番谷にあらためて誰何するものの結局普通に攻撃してくるジェラルド、やはり戦い方としては非常に脳筋ですね・・・。まあこんなインチキ能力の持ち主なら脳筋でも十分すぎるくらい強いので別に問題はないんでしょうが。

 ジェラルドは巨大な円盾をフリスビーのごとく投擲しますが、日番谷はこれを当然のように氷結させて動きを止めてしまいます。こういうことができるのが氷輪丸の強みだと思うんですよね。汎用性が非常に高い能力です。

 間髪入れず"希望の剣"をも氷結させて両断してしまいます。「氷結すれば全ての物質の機能は停止する」とのことですが、これはルキアvsエス・ノト戦でもすでに述べられていたことですね。ものの温度が下がるということは分子の運動が小さくなっていくことなので、その機能は停止してしまう、という。凍らせてしまうことで、対象が本来持っている機能を鈍らせる、または完全に無きものにするという感じでしょう。日番谷、楽しそうです。

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久保帯人BLEACH』63巻127~129頁)

 

 余談ですが、ルキアが『袖白雪』の真の能力を見せてからというもの、「氷雪系最強の斬魄刀ってどう考えても『氷輪丸』じゃなくて『袖白雪』でしょ」という感想が目立つようになりました。せっかく日番谷が本領を発揮してくれていることですし、この辺について思うところを書いておきます。

 まず結論から述べますが、「氷雪系最強の斬魄刀」はやはり『氷輪丸』であると私は思っています。その最大の理由は、「『氷輪丸』の能力は汎用性がきわめて高いから」です。

 ルキアの『袖白雪』は、攻撃性能こそ抜群に優れていますが、防御面についてはあまりにも脆すぎると言わざるを得ません。あらゆるものを凍らせることができる一方で、そのためには自分自身の肉体をも巻き込まなければならない、いわば捨て身の斬魄刀です。しかも、卍解を解放すればその傾向は更に顕著になります。ただ解放するだけでルキア自身の肉体がひび割れ砕けていくという有様ですから、ほとんど自爆同然の荒業、相手を一撃で必ず仕留めるということが前提の卍解なんです。

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久保帯人BLEACH』63巻177~179頁)

 つまり、万が一『白霞罸』の攻撃を回避・無効化されてしまった場合、その後でルキア自身が防御や回避などの立て直し行動を図ることがほとんど不可能なんです。下手に動けばそれだけでルキア自身が粉々に砕けてしまいますからね。『袖白雪』とは、とにかく圧倒的な攻撃性能のみに特化した、きわめてピーキー斬魄刀なんです。

 一方、日番谷の『氷輪丸』の能力は、「水や氷を自由かつ極めて大規模に操る能力」です。水や氷をぶつけて攻撃するのは当然として、それを防御や援護に転用することもできますし、今回のように邪魔なものを片っ端から氷結させて無力化してしまうことも可能です。出来ることがとにかく幅広いので、どんな相手に対してでもそれなり以上には戦える能力なんですね。

 おそらく唯一の弱点として「周囲に水がなければ戦えない」というのがあるんですが、それすらも「いざとなったら天候を操ってでも水を準備することができる」という突破口を持っています。〈千年血戦篇〉で元柳斎の『残火の太刀』が解放されたときに「水が消えてしまった」という状況が生まれていましたが、逆に言えば、元柳斎のような圧倒的な焱熱系能力などを持ってこないかぎりはまず止められないくらいデタラメな能力だということです。

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久保帯人BLEACH』57巻142頁)

 また、護廷十三隊という組織における隊長格の評価基準に鑑みても、やはり『氷輪丸』に軍配が上がるだろうと思うんですね。

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久保帯人BLEACH』19巻26頁)

 射場さん曰く、護廷十三隊においては「一能突出よりバランスとれた万能型の方が副隊長に任命され易い」らしいんですね。つまり、護廷十三隊における最高戦力であるところの隊長格を任免するにあたっては、「何でも卒なくこなせる万能型の死神をより高く評価する」という傾向があるわけです。斬魄刀とは死神が持てる戦力の根幹にあたるものですから、こうした評価基準は斬魄刀についてもやはり適用されるのではないかと思います。だからこそ、極めて汎用性の高い能力を持つ『氷輪丸』が「氷雪系最強」と目されていて、その持ち主である日番谷は若くして隊長にまで上ることができたのでしょう。

 

 ただ、こう思う方もいらっしゃるでしょう。

 「そうは言っても、実際問題として今までの日番谷は負けっぱなしだったじゃん」と。

 これについては仰るとおりです。今までの日番谷は、「氷雪系最強」と言われる斬魄刀を持っていながら、ほとんどの相手に敗北を喫し続けていました。そのざまで一体何が「最強」なのか、と思うでしょう。

 しかし、この原因もはっきりしています。今回日番谷「氷輪丸を十二分に使いこなすには俺の力はまだ未熟だ」と言っていますよね。つまり、「日番谷が今まで負けっぱなしだったのは、『氷輪丸』がヘボかったからではなく、持ち主である日番谷本人が未熟だったから」なんです。斬魄刀そのものの性能ではなく、持ち主である死神のほうの力が足りていなかったという話です。ここを混同してしまうと「『氷輪丸』って大したことないのでは?」という誤解に繋がってしまうのだと私は思います。先週の記事でも述べたことですが、日番谷はこれまでにも繰り返し「自分はまだ未熟である」ということを強調していましたからね。

 

 閑話休題。"希望の剣"を無きものにされたジェラルドは、神聖滅矢で日番谷を叩き潰そうとします。が、これすらも"四界氷結"というらしい力で封じ込められてしまいます。大紅蓮氷輪丸の解放から四歩のうちに踏みしめた空間の地水火風の全てを凍結させる」という大技です。「地水火風」という四元素を含んだ言い回しが少し気になりますね。北欧神話における「巨人」が自然の精霊や元素を象徴する部分があるということを踏まえているのかなという感じがします。本当に単なる言い回しの問題かもしれませんが。ただ、ジェラルドの方もこれに呼応して「元素」という言い方を持ちだしていますから、やはり狙ってやってるのかなという感はありますね。

 怒り狂って日番谷を握り潰そうとするジェラルドを、剣八が文字通り足止めして牽制します。肌の色は元通りになって角も引っ込んでいますから、卍解が終わって正気に戻ったようですね。一応起き上がりはしていますが、右腕は依然ちぎれたままの重傷です。

 この隙に日番谷が更にジェラルドを氷結させていきます。先程までは無かったはずの氷の翼が現れていますから、いよいよパワー全開という感じでしょうか。この翼にしても、星十字騎士団の衣装が本当によく似合いますね。

 なおも「凍らぬ」と強弁するジェラルドですが、白哉の『千本桜景厳』の奥義"一咬千刃花"が襲いかかり、氷結とは全く別方向からの攻撃を受けることになりました。さきほど、氷結によって"希望の剣"に宿る『奇跡』の機能を停止させたと日番谷は言っていましたが、ジェラルド本人については完全に凍りついているわけでもありませんから、果たしてどこまで有効に機能するか、微妙なところですね。『奇跡』を「弱める」というくらいなら出来ていそうではありますが・・・。

 

 で、白哉が放ったこの奥義なんですが、「殲景・千本桜景厳」について、かつて彼はこんなことを言っていました。

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久保帯人BLEACH』19巻116~117頁)

 はい、こういう誓いが彼の中にはあるんですね。『千本桜景厳』は無数の刃の波濤による遠隔攻撃と防衛能力こそが持ち味ですが、それを捨ててでも「必ず自らの手で斬ると誓った者にのみ見せる姿」がこの殲景であると。戦う相手に対する敬意の表明というか、便利な搦手に頼らず自分自身の手で正々堂々と、みたいな側面が強いのだと思いますが、まあどういう意図にせよこういう誓いが彼にはあるわけです。

 しかし、今回はまさに白哉が言ったような「千本の刃の葬列が一度に襲う」という使い方をしていますね。なぜ彼自身の誓いに反するような使い方を今回してしまっているのかという話なんですが、これたぶん、白哉は一度命を失ったことで、戦闘における甘さや手心が無くなっているから」なんですよね。

 「命や心を失うことで強くなる」というのが『BLEACH』における一種の様式美となっている、という、まあいつも私が言ってるやつです。

『見えざる帝国』による最初の侵攻の際、白哉はエス・ノトに卍解を奪われ、通常の治療では再起不能なほどに徹底的に傷めつけられてしまいました。彼は一護とともに霊王宮へ連れて行かれ、麒麟寺天示郎の湯殿による"治療"で復活を果たしました。

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久保帯人BLEACH』58巻184~185頁)

 このときに、白哉は一度命を(そして心を)失ったわけですね。実際、それを明らかに裏付けるような描写がすでに存在しています。

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久保帯人BLEACH』66巻66,68,72頁)

 『愛(the Love)』の聖文字を持つ星十字騎士団の一員、ペペ・ワキャブラーダと白哉の戦いです。「相手の心をペペ自身に対する愛で満たし、意のままに操る」という能力の持ち主です。ペペの『愛』は斬魄刀の心すらも掌握してしまうはずなのですが、白哉本人の心を操ることは結局出来ませんでした。「キミの心に愛は無いのかナ~~~?」とペペは推測していますが、まあ当たらずとも遠からずといった感じでしょうか。白哉には「心が無い」のですから。

 まあとにかく、現在の白哉はこういう状態にあるので、「戦う相手を見て力の使い方を手加減する」みたいな甘い真似をやらなくなっているのかなと、私は思います。「個人的な誓いやこだわりのために戦いを疎かにする」というのは戦士としてかなり問題のある行為ですから、これも「甘さ」の一類型として考えられるのかなと。〈破面篇〉で卍解を出し惜しみしてポウに敗れた一角に対して、射場さんがまさにこういう主旨のお説教をしたこともありましたし。

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久保帯人BLEACH』38巻121頁)

 

 また、折角の機会なのでもうひとつ。「殲景・千本桜景厳」については、このセリフがしばしば取り沙汰されますよね。

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久保帯人BLEACH』19巻117頁)

 「見るのは貴様で二人目だ」というセリフです。これ、「最初に『殲景』を見せた相手は結局誰なのか」という点についてBLEACHにおける未回収の伏線」としてしばしば言及される(しかも「回収しないまま忘れ去られた」的な、あまり好意的ではないかたちでの言及が多い)んですが、個人的には、「伏線がどうのとかツッコミを入れたいのであれば、頼むからもう少し注意深く読み返してから口を開いてくれ」としか言いようがない案件なんです。

 こちらをご覧ください。

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久保帯人BLEACH』17巻78~80頁)

 〈尸魂界篇〉の終盤、白哉恋次の決戦のクライマックスです。『千本桜景厳』に為す術もなく敗れた恋次が、なおも食い下がって白哉に斬りかかろうとした瞬間、白哉の周囲を舞う無数の花弁が寄り集まって刀剣の形状になっている」んですね。

 『千本桜景厳』のこの使い方、誰がどこからどう見ても、『殲景』そのものですよね。つまり、白哉が最初に『殲景』を見せた相手は恋次であり、その決定的瞬間を読者はみんな見ているはずなんです。なのに、「最初に見せた相手が誰なのかは未だに明かされていない」という誤解がかなりの強度でまかり通ってしまっているという状況が私は悲しいです。

 『BLEACH』という作品が「紙面に描かれた絵と言葉とで情報を伝えるメディア」であるところの「マンガ」であるからには、そこには「言葉だけ」では片付けられない情報、つまり「絵」によってわれわれ読者に訴えようとするものが間違いなく存在するわけです。マンガというジャンルの作品に対して曲がりなりにもツッコミを入れようと言うのであれば、そういう部分を疎かにしては絶対にいけないはずだと私は思います。

 

 今回は明らかに余談のほうが長い感じになってしまいましたが、今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。