作品論2 ~『BLEACH』の”元ネタ”~
こんばんは。ほあしです。お久しぶりです。
今回のテーマは、『BLEACH』の”元ネタ”になっている(と、筆者が考えている)作品の紹介と、その作品が『BLEACH』に与えている影響の具体的な解説です。
『BLEACH』におけるキャラクターの造型や物語の筋立て、並びにそれらの諸要素から描き出される様々な表現について、実はそれらの大元になっていると考えられるような作品が過去に存在しています。
その作品と『BLEACH』とを照応しながら読むことで、『BLEACH』という作品を、従来とは少し違う角度から読むことが可能なのではないかと筆者は考えています。
今回もまたかなり長い話になりますが、よろしくお付き合いください。
松本大洋『ピンポン』
1996~1997年にかけて「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)誌上で連載された、松本大洋の漫画『ピンポン』。神奈川県藤沢市の高校を舞台に、卓球に情熱を注ぐ少年たちの挫折と成長を描いたスポーツ漫画です。連載終了後も根強い人気があり、2002年には実写映画化され、2014年の春期にはテレビアニメ化もされました。
筆者は、この『ピンポン』が、『BLEACH』の元ネタ・下敷きとして、その表現に多大な影響を与えていると考えています。その影響は概ね以下の点に集約されます。
- 『BLEACH』の主人公である黒崎一護と石田雨竜のキャラ造型は、『ピンポン』のダブル主人公であるペコとスマイルを基盤にしたものである、という点。
- 『BLEACH』のバトル描写のなかで繰り返し描かれる「ある状況・状態」は、『ピンポン』の特定のシーンを翻案したものとして読むことが出来る、という点。また、そのように読むことで、『BLEACH』のバトル描写にしばしば見られるある種の「唐突な展開」の内実が見えて来る。
- 『BLEACH』の主人公としての一護の行動とその物語上の役割が、『ピンポン』の主人公の一角であるペコの在り様をなぞるようなかたちになっている、という点。また、そのように一護を眺めてみることで、『BLEACH』がしばしば「主人公の存在感が無い、空気だ」と言われる理由の少なくとも一部を見出すことができる。
以上の項目からもある程度察しがつくかと思いますが、今回の記事は、これまでのような単一作品に対する深読み・考察というよりは、間作品的なテクスト読解の試みとしてお読みいただけると幸いです。
なぜ『ピンポン』の話が出てくるのか?
本題に入る前に、まずはこの疑問に答えなければなりません。
『BLEACH』の作中には『ピンポン』からの直接的なセリフの引用や翻案が複数あり、またある時には久保帯人氏が『ピンポン』という作品に対して公然とエールを送ったことすらあるのです。
セリフの引用
『斬月』解放の瞬間に一護の中の『斬月のオッサン』が叫んだ「退けば老いるぞ 臆せば死ぬぞ」という言葉が、実は『ピンポン』から引用されたものでした。
(松本大洋『ピンポン』5巻28~29頁)
「退けば老いるぞ・・・」が大変印象的なフレーズだったためか、元ネタ探しが盛んに行なわれていますので、この引用についてはご存知の方も比較的多いかと思います。「退けば老いるぞ」でググればすぐにこのような言及が複数見つかるでしょう。
引用はもう一つあります。これは引用というよりもほとんど翻案に近いものになっていますが、こちらです。
ルキアを尸魂界へ連れて帰ろうとする恋次&白哉の前に、一護が現れるシーンです。
この一護の「名乗り」の元ネタが、
(松本大洋『ピンポン』5巻37~38頁)
このペコ(=星野裕)の名乗りにあるのではないかと筆者は考えています。
どちらも「よろしく!」と挨拶しながら、あくまでも挑発的に名乗り上げています。
また、詳細は第3の項目で解説しますが、一護とペコは、どちらもそれぞれの作品内における「ヒーロー」であることが繰り返し強調されていますので、そういった符合からも、この二人に何らかの繋がりがあるように筆者には見受けられるのです。
久保帯人氏から『ピンポン』への”エール”
一護が卓球をしている絵です。
これは筆者のおぼろげな記憶に基づいた話なのですが、たしかこの扉絵について、作者の久保帯人氏は、「映画『ピンポン』公開を記念したエールです」というような主旨のことを、ジャンプ誌上の目次コメント欄か何かで明言していたはずなんです。
映画『ピンポン』の公開は2002年7月で、この第50話がジャンプ誌上に掲載されたのは同年の8~9月頃ですから、時系列的にはぴったり符合するのですが、何しろ12年前の少年ジャンプを保管などしていないので、これについては明確なソースを提示することが出来ません。申し訳ありません。
この卓球の扉絵について正確な経緯をご記憶の方、あるいは昔のジャンプを全部保管してるよという方などがもしもいらっしゃったら、ぜひコメント欄などで教えてください。よろしくお願いします。
→2014年10月23日19時30分追記:週刊少年ジャンプのバックナンバーを保管されている方がいらっしゃいました。
ブリーチ60話の2002年のジャンプを持っておりますよ。ジャンプ部屋が人の役に立った日。 - 団劇スデメキルヤ伝外超
なんと、過去20年分にわたる週刊少年ジャンプをほとんど全て保管しておられるそうです。この方によれば、やはり目次コメント欄で「ピンポン公開記念」である旨が語られていたとのことです。
具体的なソースを提示できないままなのはツラいなと思っておりましたので、大変助かりました。謹んで御礼申し上げます。
ーーー追記ここまでーーー
ともあれ、『BLEACH』と『ピンポン』を繋げて考えるための端緒はこれで一応提示できたかと思います。
それでは、先に挙げた三つの影響について、一つずつ検討していきましょう。
1.(ペコ+スマイル)÷2=一護&雨竜?
まずは『ピンポン』のダブル主人公、ペコとスマイルの情報を簡単に整理しておきます。
(松本大洋『ピンポン』1巻 口絵)
画像左(胸に星のマーク)が、ペコこと星野裕(ほしの・ゆたか)。
画像右(胸に月のマーク)が、スマイルこと月本誠(つきもと・まこと)。
ペコは天才的な卓球の才能を持っており、幼少の頃からほとんど無敵。やることなすことがいちいち垢抜けていて、彼は周囲の卓球少年の「ヒーロー」でした。本人も自分自身のそうした実力を十分に自覚している自信家ですが、その裏返しか、常に人を食ったようなヘラヘラした態度を取る人物でもあります。しかし、同時に極端な負けず嫌いでもあり、「負けると泣く」という悪癖の持ち主でもあります。
(松本大洋『ピンポン』1巻79頁)
一方のスマイルは、「全く笑わない」という無愛想な性格のせいで幼少の頃からいじめられ、自分の殻に閉じこもりがちな少年でした。それを見たペコがスマイルに卓球の手ほどきを与えたことがきっかけで、スマイルは卓球の道を歩み始めます。スマイルにとって、気弱な自分を救い上げてくれたペコは、「ヒーロー」そのものでもあります。無二の親友であると同時に、強い憧れの対象でもあるのです。また、彼は実はペコよりも高い実力を持っているのですが、自分にとっての「ヒーロー」が負ける様を見たくないがために、常に無意識のうちに手加減してわざと負けています。
(松本大洋『ピンポン』1巻24~25頁)
この二人のキャラクターが、一体どのように一護と雨竜のキャラ造型に繋がっているのか。
複数の要素を順番に見ていきましょう。
”星”と”月”にまつわる符合
ペコとスマイルは、見ての通り、それぞれの名前に”星”と”月”の字を与えられています。先に挙げた口絵の画像からも分かるように、”星”と”月”はこの二人を象徴する記号として『ピンポン』の作中にたびたび描かれています。たとえば、本作のタイトルロゴとしてデザインされた
(松本大洋『ピンポン』1巻口絵)
この図像に於いても、”Ping Pong”という文字の中に星と月のマークがはっきりと描かれていますね。「この漫画は星野と月本という二人の少年をめぐる物語ですよ」ということを端的に表明した図像であると言えるでしょう。
薄々勘付いた方もいらっしゃるでしょうか。
そうです。『BLEACH』の一護と雨竜の二人についても、これと同様に”星”と”月”を象徴するようなガジェットが鏤められているのです。
一護に与えられた”月”と”星”
一護の斬魄刀の名は『斬月』といい、そこから放たれる必殺技の名は『月牙天衝』といいます。どちらにも”月”という字が使われていますね。また、一護が卍解を初披露したオールカラー回のタイトルは”Black Moon Rising(黒い月が昇る)”というものです。
この点からも、”月”が一護を象徴するものであることが分かると思います。
また、一護は母親譲りの滅却師でもありますね。詳しくは後述しますが、滅却師は「星形の十字架」を核に霊子兵装を形成して戦闘を行ないます。星のマークは、滅却師そのものを象徴する記号になっているわけです。
また、現在連載中の『BLEACH』の前身となった読切版『BLEACH』には、より明確な形で、一護に”星”のシンボルが与えられています。
(『BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.』292頁)
死覇装の袖にハッキリと星のマークがあしらわれていますね。本作の構想途中であったはずの読切版の時点で星のシンボルが現れているというのは、それなりに注目すべき事実だと思います。
『斬月』という名の斬魄刀を扱う滅却師である一護には、ですから、”月”と”星”の両方のシンボルが与えられていると考えられるわけです。
雨竜に与えられた”星”と”月”
言うまでもなく、雨竜は滅却師です。霊子から成る霊弓『銀嶺弧雀』を用いて戦います。そのとき雨竜は、必ず「星形の十字架」を用います。
『滅却十字(クインシークロス)』といいます。星形の十字架と、その中心部を囲むような配置に円形を組み合わせたものです。ジャンプ本誌で現在進行中の千年血戦篇では滅却師の軍勢が登場していますが、彼らは自らを『星十字騎士団』と称しており、その中には雨竜と同じ星形の『滅却十字』を用いて弓を形成するキャラクターが複数存在します。
雨竜のみならず、滅却師という種族そのものに”星”のシンボルが与えられている、ということが分かりますね。
では、雨竜に与えられた”月”のシンボルはどこにあるのか。
それは、雨竜が扱う「弓」という武器の形状そのものです。
「弦月」という言葉をご存知でしょうか。いわゆる半月のことです。弦月は、弓とそこに張られた弦のような形状から「弓張月(ゆみはりづき)」とも呼ばれます。弓という武器の形状そのものが、”月”のシンボルになっているわけです。
つまり、「星形の十字架」を掲げて弓を扱う雨竜もまた、”星”と”月”の両方のシンボルが与えられていると考えられるわけです。
これら”星”と”月”のシンボルの符合から、筆者は、一護と雨竜はどちらも、ペコとスマイル両方の要素を併せ持つようなかたちでデザインされたキャラクターなのではないかという仮説を立てているわけです。
さらに検証を続けましょう。
性格に関する描写の共通点
先ほど、ペコとスマイルについて「負けると泣く」「全く笑わない」という説明をしました。
実は、『BLEACH』作中における一護と雨竜の性格についての言及や描写が、これらペコやスマイルの特徴と符合しているのです。
順番に見ていきましょう。
一護の性格について
みなさんは、『BLEACH』の作中で、「心から楽しくて笑っている一護の顔」を見た覚えがあるでしょうか。仲間への信頼や友誼の情を表明するような「微笑み」なら幾度も見せていますが、「楽しくて笑う」という表情は、見たことが無いはずです。
なぜなら、一護は基本的に「笑わない少年」として描かれているからです。たとえ大きな笑顔を見せたとしても、それは一貫して「一護が見せるはずのない不自然な表情」として描写されています。
具体例を挙げます。
織姫の挨拶にニコニコして応える一護ですが、織姫はそれを見て「一護がピリピリしている」ように感じます。その察知は的を射たもので、実はこのとき、一護は母の命日を翌日に控えていました。母の死については自分に責任があると一護は考えているため、このように常にない態度を取っているわけです。
この笑顔を「心から楽しくて笑っている」と解釈してしまうことは、ほとんど非人間的な判断と言えるでしょう。
これと同じような「一護の不自然な笑顔」がもう一つあります。
遊子が、テストの点が良かったことを一護に報告したシーンです。常にない一護のにこやかな対応に対し、遊子はほとんど怯えてすらいるように見えます。このときの一護は、もう一人の妹である夏梨がなぜか浦原商店に出入りしているということを銀城空吾から知らされ、様々な疑心暗鬼に駆られています。先の織姫の言葉を借りれば、まさに「ピリピリしている」というわけです。
この表情についても、「心から楽しくて笑っている」と見做すことは難しいでしょう。
一護が笑顔らしい笑顔を見せたシーンはこのように極めて少なく、またそのいずれも、「心からの笑顔」とは全く言い難い代物なのです。
そしてなにより重要なのが、「一護の笑顔を見た周りの人間が、その笑顔を心からの笑顔とは思っていない」という事実です。
言い換えれば、「一護は笑っていない方が自然である」と認識されている、ということです。一護のことを深く知っている人間にとっては、彼が笑っているというのは不自然な事態なのです。
また、「一護は笑わない」ということを、はっきりと言葉で説明しているくだりも存在します。
これは、一護の幼馴染である有沢たつきが、幼少の一護のことを織姫に語った回想シーンの導入です。そこでは、現在の気難しくて喧嘩っ早い一護とは似ても似つかない、お母さんにべったりの、いつも笑顔で弱虫な少年として一護は語られています。また、このシーンでは、一護が「負けると泣く」という悪癖を持っていたことも明言されています(負けるというのは空手の手合わせでのことです。一護とたつきは空手の道場で知り合いました)。
また、一護自身の回想の中では、幼い頃の処世術の一環として「ヘラヘラ笑っておけば大抵のことは大丈夫」という考えがあったことも語られています。
かつての一護は気弱で喧嘩も弱くヘラヘラとしていて、お母さんと一緒にいるだけでずっとニコニコ笑っていられるような、大変穏やかで甘えん坊な少年でした。
しかし、母・真咲が一護を庇って死んだことを契機に、一護は一転して「笑わなくなった」というわけです。
この一護の性格の変化を、このように説明することはできないでしょうか。
かつての一護は、まるで『ピンポン』のペコのようにヘラヘラしていて、「勝負事に負けると泣く」ような少年だった。しかし、母の死をきっかけに、今度はスマイルのように「全く笑わない」少年になってしまったのだ、と。
一護というキャラクターの原型としてペコとスマイルの存在があると筆者が考えているのは、このような意味においてです。
続いて、雨竜についても見てみましょう。
雨竜の性格について
雨竜が「笑わない」という点については、ほとんど議論の余地すらないほどに自明のことと言ってよいのではないでしょうか。何しろ、笑顔を見せているシーンが本当に皆無なのですから。雨竜がにこにこしている様子って、かなり想像しにくいですよね?
しかし、雨竜の無表情さが見て取れるシーンをそれでも強いて挙げるとするなら、
たとえばこのシーンでしょうか。
一護や織姫のクラスメイト・小川みちるが、破れたぬいぐるみの補修を雨竜に頼んだときのやりとりです(雨竜がこういうことを頼まれるのは、彼が手芸部に所属しているからです)。みちるは雨竜に感謝を述べますが、雨竜は大変冷ややかな対応をします。その様子を陰から見ている織姫の言葉から察するに、雨竜は基本的に人当たりが冷たい人物であるということが十分に窺えるでしょう。
また、幼い日の雨竜が、「自らの弱さに打ちひしがれて涙を流す」というシーンもあります。
これは、父親である竜弦から「滅却師の修業をやめろ、死者を助けるのは死神の仕事だし、滅却師の仕事は金にならない」と言われ、ショックで涙を流しているシーンです。このとき、雨竜はこれという敵と戦って敗けたりしたわけではありません(強いて言うなら「父親に言い負かされた」といったところでしょうか)。しかし、彼は「強くなりたい」という言葉からも分かるように、自らの弱さに対して涙を流して悔しがっています。この描写を、「負けたら泣く」というペコの特徴が翻案されたものとして読むことは可能ではないでしょうか。
そして、この負けず嫌いで優しかったはずの雨竜少年は、祖父が死神によって見殺しにされたことを契機に、死神への憎悪を剥き出しにした冷たい人物になってしまったわけです。母の死によって笑うことが出来なくなってしまった一護と同じように。
この雨竜の独白からも、雨竜の抱いていた死神への憎悪が、実は弱い自分自身からの逃避として表れたものだったのだということが分かります。
以上の描写から、雨竜もまた一護と同じく、ペコとスマイルを原型としてデザインされたキャラクターであると言えるのではないでしょうか。
「似たもの同士」の一護と雨竜
一護と雨竜の虚退治対決が終わった後、学校で、一護が雨竜を昼食に誘うシーンがあります。
誘った一護も、誘いに乗った雨竜も、お互いに軽口を叩き合っています。おそらく一護の意図としては、先の戦闘についての諸々をチャラにしようという、一種の仲直りのしるしのようなつもりだったのでしょう。しかし両者とも、大切な肉親の死をきっかけに人格が相当ひねくれてしまっていますから、素直に仲直りという空気になれるはずも無いんですね。
二人のこの様子を見た一護の親友・小島水色は、この二人が似たもの同士なんだということを察します。もちろん、一護や雨竜の複雑な境遇を水色が知っているわけはありませんが、このやり取りを見るだけでも「二人とも素直じゃないなあ」という程度の認識は容易に得られるでしょう。
そして、一護と雨竜が「似ている」のは、この二人が、『ピンポン』のペコとスマイルという同じキャラクターを原型としたキャラ造型が為されているがゆえなのだと、筆者は考えているわけです。
一護と雨竜のキャラ造型における『ピンポン』の影響については、以上になります。
引き続いて、『BLEACH』のバトル描写における『ピンポン』の影響についてお話しします。
2.”胸に孔が空く”シーン=スマイル覚醒シーン?
『ピンポン』のあるシーンが、『BLEACH』のバトル描写では何度も反復して描かれています。
スマイルは、卓球について圧倒的な実力を持っているのに本人に闘争心が無く、無意識のうちに手を抜いて相手に勝ちを譲るような戦い方をする「甘さ」を持っています。彼はこの性格のせいで「勝つことにこだわる戦い方」に対して苦手意識を持っており、卓球を心から楽しめなくなっています。
(すべて松本大洋『ピンポン』1巻より抜粋)
そんな彼が、卓球部の顧問である小泉の指導によって「甘さ」を捨て、容赦無く相手を叩き潰すようになります。闘争心に目覚めたスマイルは、機械の如く精密無比で感情を排した冷酷なプレースタイルから、「ロボット」や「サイボーグ」と渾名されるようになります。
(松本大洋『ピンポン』1巻175頁)
スマイルを象徴する”月”が刻まれたロボットの絵。
(松本大洋『ピンポン』3巻79頁)
「ロボット」「サイボーグ」と揶揄されるスマイル。
(松本大洋『ピンポン』4巻163頁)
相手選手の弱点を容赦無く攻めるスマイルのプレースタイル。
こうした「敵への憐れみや甘さといった感情を捨てて、戦いを楽しむようになることで、スマイルが恐るべき強さを発揮する」という一連の流れが、『BLEACH』のバトル描写の至るところで何度も戯画化して描かれているのです。
しかしその描写は、『BLEACH』の世界においては必ずしも画一的な描き方をされていません。それぞれのバトルの流れやキャラの能力に応じて様々なマイナーチェンジが施されているため、それらが『ピンポン』という漫画の同一のシーンから派生したものであるようには全く見えないのです。卓球漫画の表現を異能バトル漫画として翻案したわけですから、これはある種当然のことではあります。
ただ、『BLEACH』におけるそれらの描写は、「胸に孔が空くことで、強大な力を発揮する」という表現で概ねまとめることが出来ます。
「中心(こころ)を亡くした者は虚となる」
「心を亡くした者は、胸に孔が空いて虚となる」。
これは『BLEACH』という漫画の根幹を支える設定の一つです。作中で「中心」と書いて「こころ」と読ませているのは、人間的な感情や理性的な思考といった精神的な意味での「心」と、肉体的・物理的な意味での「胸の真ん中」という二つの意味を掛けているからでしょう。
つまり『BLEACH』の世界において、「胸に孔が空く」ということは、物理的な意味での穴あき状態だけでなく、「人間的な心(=感情・理性・生命etc...)を喪失する」という状態をも同時に意味するわけです。ここでいう「心」とは、上記のように様々な意味を包含した言葉です。
この設定の下敷きとして、「甘さ(=人間的な感情)を捨てて、勝負を楽しむことで強大な力を発揮する」というスマイルの設定が活かされているのではないかと、筆者は考えているわけです。
ただ、これはあくまでも「様式美」としてそのようになっているということであって、「BLEACHの世界は胸に孔を空けさえすれば絶対に勝てる仕組みになっているのだ」ということではありません。それだと最初から孔空き状態のただの虚が最強だということになってしまいます・・・。
抽象的な説明はいったん止めて、ここからは、「胸に孔が空くことで強大な力を発揮する」という描写の具体例をご紹介します。筆者が気付いたものだけでも10ヶ所以上に上りますが、お付き合いください。
今回の記事の内容はきわめて突飛に見えるだろうと筆者は自覚していますので、根拠となるような資料は一つでも多く提示しておきたいのです。
では、始めます。
「心を失うことで力を得る」具体例
1.一護、第一の死神化
2.一護、第二の死神化
浦原による「絶望の縦穴」の修業で一護は死神能力を取り戻しますが、そのために一度虚化して、胸に孔を空けています。
3.虚化全般
ここでは代表して暴走した一護の画像を載せていますが、「虚化すること」全般が「胸に孔を空けること」と同義なのは言うまでもないでしょう。
ちなみにこのシーンでは、白哉に死の間際まで追い詰められたところを、虚化による力の増大で切り抜けました。「胸に孔を空けること」がパワーアップに繋がっているということがここからも分かります。
『仮面の軍勢』の協力で虚化修業をしているときの、一護と内なる虚の内在闘争です。内なる虚は「理性を捨てて本能を剥き出しにしなければ強くなれない」という趣旨の発言をしています。同じシーンで、戦いに手加減は無用なのだ、とも言っています。まさに「甘さを捨てる」という表現に繋がるのではないでしょうか。
5.雨竜が滅却師能力を取り戻した描写
霊弓の一撃で胸を貫かれることで、雨竜は新たな力を得ています。
6.ドルドーニの忠告
ここではまさに「甘さを捨てなければ勝てない」という言葉がそのまま現れています。
ウルキオラが一護の胸に孔を空けると、一護の内なる虚が完全覚醒、暴走しました。
この暴走虚化によって、一度殺されたはずの一護は爆発的な戦力を発揮して勝敗をひっくり返します。
8.藍染の覚醒
市丸の卍解による猛毒で、藍染の胸に孔が空いて肉体が崩れ始めます。
しかし、このタイミングで藍染と崩玉との融合が進行し、より強い力を手に入れるに至りました。
9.”最後の月牙天衝”修得
『天鎖斬月』との内在闘争の末に、”最後の月牙天衝”を手に入れたシーン。
自らの斬魄刀で胸を貫かれています。
10.一護、第三の死神化
藍染との戦いで”最後の月牙天衝”を行使し、その反動で全ての力を失った一護は、戦友である死神たちの協力によって死神能力を取り戻します。
その方法は、「刀で胸を貫くこと」でした。
11.白哉の変節
完現術者・月島秀九郎とぎりぎりの戦いを演じた白哉。かつては掟を守るために愛する妹すら処刑しようとしたほどの「理性の人」だったはずの白哉が、戦いの意義を忘れ、戦うことそのものに楽しみを見出したシーン。「理性としての”心”を捨てること」で勝利を手にしたと読むことが出来るでしょう。
12.元柳斎の卍解
元柳斎の卍解『残火の太刀』には複数の能力があります。この「火火十万億死大葬陣」はその一つで、今まで元柳斎が斬ってきた死者を一時的に蘇らせ、戦士として行使するというものです。
これを「命を失ったことで新たな戦力になる」と言い換えれば、「”心”を失うことで強大な力を得る」という様式美の一類型として捉えることが出来るでしょう。
13.更木剣八の力の上昇
更木剣八には、「戦いを楽しむために自らの力を封じ込め、常に手加減して斬る癖をつけた」という過去があります。
「常に手加減して戦う」というのは、かつてのスマイルの戦い方そのものです。初代剣八である卯の花との戦いで、彼は自らに填めた枷を破り、心の底から戦いを楽しむことが出来るようになりました。11で紹介した白哉と同じように、戦いの愉悦に身を浸すことが強さにつながるのだと言うことが出来るでしょう。
ちなみに、4で紹介した一護の虚化修業の内在闘争では、唐突に剣八が登場し、「一護は本能的に戦いを求めている」ということを看破したりもしています。
この剣八はもちろん本物の剣八ではなく、いわば「一護の夢の中の登場人物」のようなものでしょう。しかしこのシーンからは、「剣八もまた戦いを求める本能の虜なのだ」ということが窺えるはずです。
14.狛村左陣の”人化の術”
獣人だった狛村は、 一族の長老から秘儀”人化の術”を授かりました。この術は、「自らの心臓を長老に捧げる」ことで、一時的に人間の姿に立ち戻り、「不死」の肉体を得る術です。元柳斎の卍解と同じく、「命を失うことで新たな力を手にした」というわけです。また、当然ながら、彼の胸には大きな孔が空いています。
『袖白雪』の能力の神髄は、「周囲の物体を凍らせること」では無く、「術者の体温を氷点以下まで低下させること」でした。ルキアはこの力を行使するために「肉体を一時的に殺す術」を身につけました。狛村の”人化の術”と同様ですね。また、「今の私には命が無い」とも明言しています。「命を亡くすことで新たな力を得ている」と言えるでしょう。
16.涅の”骸部隊”
「星十字騎士団」の一員・ジジによるゾンビ死神軍団に対抗するべく涅が投入したのは、涅の狂気の科学で復活したゾンビ破面部隊でした。「命を亡くすことで新たな力を得る」パターンと言えるでしょう。
具体例は以上になります。
ご覧のように、『BLEACH』ではほぼ全編に亘って「心を失うことで強大な力を発揮する」という様式美が成立しているのです。
「スマイルの闘争心覚醒が『BLEACH』全体の下敷きになっているのだ」という筆者の見立ての意味が、これで分かっていただけたかと思います。
『BLEACH』の戦闘における「唐突な展開」 の正体
いまご紹介した戦闘シーンの中には、皆さんが自分で『BLEACH』を読んでいて、「えっ、なんでこれだけのことでいきなりパワーアップできるの?ご都合主義なの?ライブ感なの?オサレなの?」という風に思ったものがいくつか存在したのではないでしょうか。
筆者としては、いま説明した一連の「様式美」を以て、そうした疑問への回答にしたいと考えています。
『BLEACH』には、『ピンポン』を下敷きにした様式美によって物語が進行する側面があり、その「様式美としての力学」は、場合によっては「一般的な異能バトルマンガとしての力学」に優越して作用することがあるのだ、と。
この作用こそが、しばしば『BLEACH』に投げかけられる「ライブ感」「オサレ」といった揶揄を生み出すものの正体なのだと、筆者は考えています。
そもそも『BLEACH』における戦闘シーンは、戦闘技術の巧拙や駆け引きの面白さを演出するような、いわゆる「リアル志向の格闘技マンガ」的な見せ方をするためのものでは無く、戦いを通して見えてくる”キャラクターの内面”を描写するためのものと考える方が、すんなりと腑に落ちるでしょう。
いわば、「キャラ語り」の一つの手段として戦闘描写があるという見方です。
ほぼすべての戦いの中でキャラクターの「回想」や「独白」めいたシーンが登場するというのがそれを裏付けていると思います。この漫画における戦闘シーンは「手段」であって、達成すべき「目的」ではないのです。
冒頭で提示した「唐突な展開への回答」は、以上になります。
おわりに
まだ三つめの
『BLEACH』の主人公としての一護の行動とその物語上の役割が、『ピンポン』の主人公の一角であるペコの在り様をなぞるようなかたちになっている、という点。また、そのように一護を眺めてみることで、『BLEACH』がしばしば「主人公の存在感が無い、空気だ」と言われる理由の少なくとも一部を見出すことができる。
この項目の解説が残っていますが、これについてはまた日を改めて、次回のテーマということにさせて下さい。これ以上の文量は読む方もツラいでしょうし、筆者の肩と背中がすでに爆発寸前です。申し訳ありません。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
三つめの項目の解説記事はこちらから