作品論1 ~伏線の扱われ方~
こんにちは。ほあしです。
今回のテーマは、『BLEACH』における「伏線」の扱われ方です。
先日の記事について、「さすがに深読みが過ぎるのではないか」「本当に作者はそこまで考えているものだろうか」という懐疑的な反応がありました。
たしかに、一読しただけで気付くことはまず不可能な隠蔽ですから、そう言いたくなる気持ちは大変よく分かります。
しかし、少なくとも『BLEACH』という作品については、『作中の描写を根拠にした深読みを行なってもよい』と判断できるような資料があります。
今回は、その資料の提示を以て上記の質問に対する回答に代え、同時に『久保帯人先生が「伏線」というものをどのように準備していて、またどの程度まで「伏線に気付いてほしい」と考えているのか』について、筆者の見立てをお話ししようと思います。
「深読みをしてもよい」という根拠
『BLEACH』には、いくつかのノベライズ作品が存在します。
その大半は作家の松原真琴先生によるものですが、ライトノベル作家の成田良悟先生が手掛けた『[BLEACH] Spirits Are Forever With You』という作品があります。

BLEACH Spirits Are Forever With You ? (JUMP J BOOKS) (JUMP j BOOKS)
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BLEACH Spirits Are Forever With You II (JUMP J BOOKS)
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2012年6月9日に二冊同時刊行された、「破面篇完結から死神代行消失篇開始までの、漫画本編では描かれなかった空白の十七ヶ月間を描く」という企画によるものです。またこの企画は、『BLEACH』連載10周年記念の一環でもあります。
この書籍には、ノベライズ版の作者である成田良悟先生だけでなく、原作者である久保帯人先生による「あとがき」も掲載されています。
その久保先生の「あとがき」こそが、今回筆者が提示する、「深読みをしてもよい」という根拠なのです。
少し長くなりますが、以下にその「あとがき」をすべて引用します。
まずはお読みください。
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あとがき
Spirits Are Forever With You.
まずはこの、作品への愛に満ちた小説を読めた事に、読者として感謝します。
成田さんのお名前も作品も、一護役の声優である森田さんを通じて知ってはいましたが、作品をきちんと読んだ事はありませんでした。
それは単に僕が「小説を読むのが恐ろしく遅い」という一点のみが理由だったのですが、今回小説の執筆にあたっての打ち合わせを重ね、仕上がった作品を読んで、改めてその傑出した才気と深い洞察に驚かされました。
そしてBLEACHという作品に対する深い愛情と知識にも。
色々と驚かされた事はあったのですが、ここでは作者である僕自身が1番驚かされたシーンについて書かせて頂きたいと思います。
それは、本作の終盤、剣八の力の上昇に関する一連のシーンです。
普段、僕がBLEACHの中で伏線を張るに当たって、レベルを幾つかに分けて描写しています。
・読んだ全ての人に伏線の先の結果を当てておいて欲しいもの。
・4分の1、或いは10人に1人くらいには気付いて欲しいもの。
・1000人、或いは10000人に1人ぐらいの人が気付いてくれて「もしかしてこれに気付いたの俺だけじゃね!?」と思って欲しいもの。
・そして、長い期間をかけ、伏線をバラバラに配置して、BLEACHをすべて読み込み、更にそこに自分で推論を加えなければ結論に辿り着けない、つまり
「誰も気付かないようにして、後々本編で回答を描こう」
と思っているもの。
剣八の力に関する描写は、この最後のレベルのものでした。
このシーンを読んだ時は、全身に鳥肌が立ちました。
まさかここまでBLEACHを深く読み解いてくれる人が居るとは!と。
そして、まさか自分が描くつもりであったシーンを、他の人に描かれてしまうとは!と。
信じられない思いで、何度かそのシーンを読み返しました。
本来なら、原作で描く予定のものは「ここは原作で描くので外して頂きたい」と言うべきなのでしょうが、僕はこの事実が本当に嬉しく、そのまま描写を残すようお願いしました。
作者冥利に尽きるとは、正にこの事。
この作品への愛に満ちた小説を読めた事に、作者として感謝します。
20120508 久保帯人
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(久保帯人・成田良悟『[BLEACH] Spirits Are Forever With You』原作者あとがき)
いかがだったでしょうか。
このノベライズ版における剣八の描写が気になる方は、ぜひ本書を読んでみてください。成田先生が、原作における剣八の戦いをつぶさに観察したうえで、自身の推論によって、「剣八の”底なしの強さ”の秘密」にいち早く到達できたのだということがよく分かります。
しかし、今回の記事で重要なのはこの作品そのものの内容ではありません。
重要なのは、「BLEACHを全て読み込み、更にそこに自分で推論を加え」ることによって、何らかの結論に辿り着き得る可能性がある、ということを、他でもない作者本人が認めているという事実です。
何より、成田良悟という一人の作家がそうした「深読み」を実際に成功させてしまっているという事実が、 この「あとがき」の信頼性を強く裏打ちしていると言えるでしょう。
「深読みが過ぎる」「本当に作者はそこまで考えているのか」という疑問に対しては、この「あとがき」を提示することでひとまず回答に代えるほかないと思います。
なぜなら、前回の私の記事の内容が本当に正しいものなのか、久保先生が本当にああいう狙いを持って黒崎兄妹の名前を決めたのか、それらの問いに正しく回答できるのはこの世でただ一人、『BLEACH』の作者である久保帯人先生だけだからです。
私にできることは、作者本人のこうした言葉を引用することで、自身が構築した推論の存在可能性を辛うじて保つことだけです。
しかし、以上の議論は、少なくとも、「深読みすること自体がナンセンスだ」というような考え方への反駁にはなっているのではないでしょうか。
『BLEACH』という作品には、作中の描写を丹念に読み込むことで「隠された真実」を導き出せるという「仕掛け」があるのだと、ひとまず断言してよいと思います。
どの程度「伏線に気付いてほしい」のか
これを踏まえて、次の議論に移りましょう。
この「あとがき」で挙げている伏線の”レベル”のうち、最初のもの以外は、裏を返せば次のように言い換えることが可能なはずです。
・4分の3、或いは10人のうち9人くらいが気付いてなくても構わないもの。
・1000人のうち999人、或いは10000人のうち9999人くらいが気付いてなくても構わないもの。
・本編でその回答を描くまで、誰一人として気付いてなくても構わないもの。
つまり、久保先生は、そもそも「全ての読者が全ての伏線に気付いている必要は無い」という前提で『BLEACH』という作品を描いているということです。
ただ、これは単に「伏線に気付いていない読者を無条件に切り捨てるような作品を描いている」というわけでは無いだろうと、筆者は考えます。
なぜなら、たとえば筆者が先日の記事で紹介したような伏線のことなど一切知らなくても、『BLEACH』という作品をいわゆる「バトル物の少年マンガ」として楽しむことは十分に可能だからです。
黒崎兄妹の名前に隠された秘密などというものは、あくまでも「気付いた人だけがニヤリとできるオマケ要素」であって、「作品を楽しむために必ず知っておかなければならない要素」などではありません。
普通のマンガとして多くの人が楽しむことのできる回路は当然準備したうえで、その作品をきわめて深く愛した人だけがより楽しめるようにする。そのために「少し手の込んだ仕掛け」を施しておくというのは、マンガ作品を作る場においては、珍しいことでも謗られることでも無いはずです。
そもそも「伏線」というものは、物語作品のストーリー展開に対してしばしば為される「あとづけじゃないのか!」という謗りに対する防衛策としての側面があります。
物語がどんな方向へ進んだとしても、その伏線を前もって仕込んでおけば、作品全体を後に読み返すことで「あとづけではない」と気付いてもらうことが出来ます。
その一方で、先の展開を読者に見透かされてしまうことは、物語作品においては致命的な欠陥となります。そこで、読者に気付かれないようにするため、一見した程度では先の展開との関係を察せられないようなかたちで提示しておく必要があるのです。
(こちらの記事もご参照ください→伏線とは (フクセンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)
つまり、「初見で気付くことは難しいけれども、作品全体に目を通した後でもう一度読み返したときに初めて事後的に見出されるもの」こそが「伏線」と呼ばれうるのではないでしょうか。
ですから、先に引用した「あとがき」で久保先生が最初に挙げたレベルのような、一読すれば誰もが先の展開をある程度察せられて、かつそのことを前提にストーリーが語られていくようなものは、「伏線」ではなく「布石」とでも呼ぶべきものでしょう。
繰り返しになりますが、「伏線」とは、そもそも「読者に気付かれないような隠蔽を施したうえで準備されるもの」なのです。
黒崎兄妹の名前の秘密が「少なくとも一見しただけでは分からない程度には隠蔽されている」というのは、ですから当然のことだと言ってよいはずです。
まとめ
以下のようなコメントが、先日の記事に寄せられました。
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「その場凌ぎで設定をあとづけして描いている」という誤解が生じるのは、あらかじめ用意していた設定を、読者に順序良く伏線として提示しきれていない構成力の問題である、という事は指摘しておきます。
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このコメントに対して、筆者は、後日に記事としてまとめ、そこで詳しく回答するという旨を約束しました。
その詳細な内容や経緯については先日の記事のコメント欄を参照していただくとして、以下にその回答を示します。また、この回答を以て、今回の議論の総括に代えさせて頂きたいと思います。
「伏線」として準備されたある表現について、”この表現は伏線だな”と多くの読者が事前に勘付いてしまった場合、それはそもそも「伏線」としての本来の役割を果たせていない、単なる稚拙なセルフネタバレに成り下がってしまいます。
『BLEACH』の原作者である久保先生の発言に鑑みても、『BLEACH』という作品における「伏線」がある種の「隠蔽性」のもとで準備されていることは明らかであり、またそれは「作品を楽しむために必ず知っておかなければならない」というほどに特別重要なものでもありません。あくまでも「気付いた人だけがニヤリとできるオマケ要素」程度のものでしか無いのです。
ですから、『BLEACH』における「伏線」が多くの読者に見落とされ、「設定をあとづけして描いている」という誤解が生じている原因は、「あらかじめ用意しておいた設定を、読者に順序良く伏線として提示しきれていない構成力の問題」ではありません。
「”どこが伏線だったのか”を読者全員に教えてあげるつもりがそもそも無いから」なのです。「あとがき」で明言しているように、「気付いた人だけ楽しんでね」ということなのです。『BLEACH』とは実はそういう作品なのだということです。
そうしたスタンスの作品であることを知ったうえで、これを好むか否か、受け入れるか否かは、一人の読者であるあなた次第です。
わたしから提示できる回答は、以上になります。
おわりに
今回の記事における問題提起とその回答を今一度まとめておきましょう。
Q1.「そんなに複雑な深読みをしてもよいのか」
A1.「ノベライズ版の原作者あとがきで、”作中の描写を元にした推論によって隠された秘密に辿り着き得る”という旨が明言されているので、問題ない」
Q2.「作者はどの程度、伏線に気付いてほしいと考えているのか」
A2.「ノベライズ版の原作者あとがきで、”必ずしも全ての読者が全ての伏線に気付いておく必要は無い”という旨が明言されているので、それが回答となる」
こんなところでしょうか。
ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
それでは。