『BLEACH』第630話「The Twinned Twilight」の感想・考察
こんばんは。ほあしです。
今週の『BLEACH』の感想です。
『BLEACH』第630話「The Twinned Twilight」
ナックルヴァールが逃げ、グリムジョーが追います。ナックルヴァールは「戦いに来たんじゃなくてあんたらを殺しにきたの!」と言っています。せこせこ逃げまどいながら殺すも何もないだろうと感じた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ナックルヴァールの聖文字『致死量(the Deathdealing)』の能力を考えてみれば、彼のこの発言は至極納得できるものだと思うんです。というのも、ナックルヴァールにとっての「戦い」とは、『致死量』を使ったその瞬間に勝利がほぼ確定するものだと考えられるからです。
ナックルヴァールの聖文字『致死量』は、「指定した物質を摂取した時に100%死に至る”完全致死量”を正確に弾き出し その量を自在に上下させる事ができる」という能力です。どんな物質の”完全致死量”を変えるのかはナックルヴァールの任意で選択できるようですが、しかしこの能力は、以前ナックルヴァールが王悦に対して使ってみせたように「”血液”の致死量を下げる」という使い方をするのがおそらくほぼ最適解なんですね。なぜなら、「体内に血液が満ちていれば致死量で死ぬし、満ちていなければ失血で死ぬ」という、いわゆる「詰み」の状況を一瞬にして作り出せてしまうからです。
ここまでの説明で「でも王悦は”血液”の致死量を下げられたのに結局生き延びたじゃないか、詰みでもなんでもないじゃないか」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。しかしよく考えてください。あのときの王悦は、麒麟寺天示郎の「赤い湯」と自前の血液とを交換したからこそ生き延びられました。しかし、そんな手段は、普通は想像すらできないものです。「”血液の代わりに働いてくれるけれども本物の血液ではない物質”を相手が戦闘中に輸血して復活するかもしれない」などという非常識すぎる可能性を考慮することは、普通はできません。天示郎のおかげでぎりぎり生き延びる幸運を得た王悦こそがイレギュラーなのだと考えるべきであって、『致死量』の使い方としてあれ以上に効果的なものを望むのはかなり難しいはずです。
というわけで、ナックルヴァールにとって最も効率的な戦い方は、「まず相手の”血液”に対して『致死量』を発動させて、あとは相手が死ぬまでひたすら時間稼ぎをする」というものだと思われます(王悦戦でも当初はそうするつもりだったのでしょう)。本人も「コッソリ殺せりゃそれがベスト!」とまで言っていますから、究極的には「相手に気付かれる前に殺す」という状況が理想のようです。しかし、そのように考えてみると、現在のグリムジョーはすでにきわめて危険な状況にあるのではないかと考えられます。なぜなら、「追いかけっこをしている間に『致死量』を発動されてしまっている」という可能性があるからです。もしそうである場合、グリムジョーが単独でナックルヴァールを倒そうとなると、「自分が『致死量』で殺される前にパワーとスピードで無理矢理ナックルヴァールを殺す」というくらいしか採る道が無さそうなんですよね。しかもそれは「ナックルヴァール本人を殺害できれば『致死量』の変化が消えてくれるかもしれない」という薄い希望に懸けているだけの、勝ち筋のあやふやなギャンブルでしかないわけです。さもなくば織姫の「事象の拒絶」で『致死量』の操作を無かったことにできるかどうか、といったところでしょうか。
そしてグリムジョーが何やらおもしろい状態になっていますね。手首から先だけが『帰刃』のような状態になり、鋭い爪を生やしています。やはりと言うべきか、グリムジョーもまたこれまでとは違う力を手にしているようです。どういう戦い方をするのか楽しみにしておきましょう。
今週のタイトルは「The Twinned Twilight」です。直訳すると「対になった薄明」という感じでしょうか。ユーハバッハとハッシュヴァルトの二人が、昼と夜の狭間(=twilight)を境にして力の交換を行なう「対になった存在」であることを示唆しているものと思われます。また、”tw”という同じ音から始まる語に揃えることで語感の心地良さを演出しようとしているのだと思われます。これと似たような押韻の言葉遊び的試みが見られるタイトルとしては、第78話「meeT iT aT basemenT」や、第501話・568話「Hear.Fear.Here」などがあるでしょうか。毎回のタイトルにこうした趣向を凝らすのは久保先生の大きな特徴の一つと言ってよいと思います。
親衛隊の展開状況について報告を受けるハッシュヴァルトですが、ここでも彼は雨竜に対する疑念を隠しません。雨竜の行動を縛り続けてきた周囲の視線がここにきて完全に無くなったわけですから、ハッシュヴァルトがより警戒を強めるのも無理のないことだと思います。雨竜の真意・目的はこれまで一貫して語られていません(どう見ても意図的にそこを描かないようにしています)から、単独行にはいった雨竜がどういう行動を取るのか、どういうことを語るのか、読者としては非常に楽しみです。
そこへバズビーが乱入し、戦闘に入ります。バズビーの話では、『聖別』をかろうじて生き延びた滅却師も、『滅却師完聖体』の力は奪われてしまったようです。たしかに『聖別』を逃れた瞬間のリルトットを見てみると、『完聖体』の翼が剥がされている様子が描かれています。
ちなみに、このときバズビーとナジャークープは『聖別』の光をもろに浴びてしまったにもかかわらず、後に生きて登場しています。おそらく彼らは、一度光に触れたあとで移動してぎりぎり逃れたのでしょう。『聖別』の光に触れてから絶命するまでの時間には個人差があり、彼らはその時間が比較的長かった、というようなことでしょうか。
個人的には、「『完聖体』の力だけを奪われてしまった」というこの事実は非常に象徴的だと思うんです。というのも、滅却師らが光の翼と光輪を持ついわゆる「天使」の姿を取るのは、『完聖体』を発動しているときだけだからです。つまり、「滅却師が『完聖体』を奪われる」ということは、すなわち「天使が天使としての地位を奪われる(=堕天させられる)」ということと同義なんですね。言ってしまえば、バズビーやリルトットやジジは、神から見放された「堕天使」なわけです。彼らが『聖文字』を奪われず「天使」としての姿である『完聖体』だけを失ってしまった、というのは、一つにはこういうところを強調したいからではないかなと個人的には思います。
バズビーによれば、ユーハバッハが眠っている間は、ユーハバッハとハッシュヴァルトの力が交換されるようです。これは以前にハッシュヴァルト自身が仄めかしていたことですが、本当に力そのものが交換されてしまうのだとしたら、夜間にハッシュヴァルトを降すということはまず不可能なように思えます。それはユーハバッハの『全知全能』を相手にすることと同義になるはずだからです。
しかしバズビーは、「裏切り者」であるというハッシュヴァルトもろとも陛下の力の全てを殺す、とあえて宣言します。夜間にハッシュヴァルトを倒すことができればユーハバッハを倒したも同然ということになりますから、もしそれが可能なのであればたいへん話が早いわけですが、果たして勝算はあるのでしょうか。そしてどうやらこの「裏切り者」という言葉に関連して、彼らの過去がこれから語られるようです。ハッシュヴァルトとバズビーの関係については、やや親しい間柄にあるらしいということが以前にも仄めかされていましたね。まさに今回のような「呼び方」によって。
今週の最後のコマにはバズビーらしき人物が描かれていますが、肩幅などの体格から考えて、おそらくはまだ少年だった頃の姿でしょう。これが具体的に何年ぐらい前の姿なのかなどは分かりませんが、滅却師という種族がどのように生き延びてきたのかという点などについても明かされると嬉しいですね。
今週の感想は以上です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは。