『BLEACH』第640話「BABY,HOLD YOUR HAND 3[Mad Lullaby no.7]」の感想・考察
こんばんは。ほあしです。
今週の『BLEACH』の感想です。
『BLEACH』第640話「BABY,HOLD YOUR HAND 3[Mad Lullaby no.7]」
やや久しぶりの表紙&巻頭カラーですね。この表紙、本当にかっこよいです。それにしても、一護と雨竜の「背中合わせ」の構図をここで持ってくるなんて本当にイイ仕事すぎます…。というのも、一護と雨竜が出会ったときに勃発した虚退治対決のなかで「死神と滅却師が力を合わせる(=相容れない者同士が和解する)」というテーマが最初に提示されたとき、キーワードになっていたのがこの「背中合わせ(Back to Back)」という言葉だったからです。
あるいは単純に図像の印象から、「一護と雨竜とは互いに対になる存在である」というのを強調しているようにも見えますね。ユーハバッハにとって「闇に生まれし息子」である一護と「光の王子(Prinz von Licht)」である雨竜とが対比的な存在であることは間違いありませんし
表紙の話はこれくらいにして、本編感想です。
ネムが「生まれた」瞬間の回想ですね。このときに涅から呼ばれた「眠七號」という名前を、彼女は本当に気に入っているようです。
今週のタイトルは「BABY,HOLD YOUR HAND 3[Mad Lullaby no.7]」です。やはり先週に引き続きのタイトルですが、括弧書きのなかにその回のハイライトとなるようなキーワードを挿入するというおなじみの手法が今回用いられています。ネムの真の名前「眠七號(ネムリななごう)」を英語で、しかもクラシック音楽の楽曲名によく見られるような様式で言い換えたものですね。英語のほうをあえて楽曲名と見做して訳せば「気狂い眠り唄 第七番」くらいのニュアンスになるでしょうか。楽曲名のような様式でタイトルを付けるのは『BLEACH』ではよくあることですし、今回もその一環でしょう。
『金色疋殺地蔵』がペルニダを捕えたかに見えましたが、神聖滅矢で内側から破壊されてしまいました。この『金色疋殺地蔵』が持つ七万層の神経で無力化できるのは『強制執行』の力だけであって、滅却師の矢による破壊は普通に有効なのですね。言われてみれば当然の話ではありますが。
ペルニダの口調が一瞬だけ明らかに変化していますね。なかでも「余はもとより滅却師である」という言葉は無視できないように思います。ただ口調が変わったというだけでなく、王位にある人物が用いるものとされる「余」という一人称が含まれていますから。仮にこの言葉が霊王の意思によるものであり、また虚偽でもないとすると、霊王はもともと滅却師だったということになりますね。滅却師の始祖であるユーハバッハが霊王を「我が父」と呼んでいたこととも整合は取れますが、なにしろ「ペルニダ」という存在がいかにして誕生したのかすらよく分かっていない現状では、この言葉の信頼性についてはまだ何とも判断がつきません。
ただ、「何らかの方法で進化し始めている――…?」という涅の推測も併せて考えると、こうしたペルニダの「変化」は、霊王の左腕が司るらしい「前進」という権能とも何か関わりがあるのかもしれませんね。
『強制執行』と神聖滅矢を組み合わせた波状攻撃で涅が窮地に追いやられたところへ、ネムが助太刀に入ります。「滅却師の矢をネムが手掴みで阻止する」というのは、彼女の初登場時、涅vs雨竜戦で彼女が行なったのと全く同じ行動です。この戦いは、ザエルアポロ戦に続いて、雨竜戦のリフレインにもなっているのかもしれませんね。
ただ、今回のペルニダ戦と雨竜戦とでは、ネムの助太刀に対する涅の反応がまるで異なっています。雨竜との戦いでは、マユリはネムの体ごと雨竜を斬りつけ、拘束が不十分だったことを叱責して殴りつけています。それは「少々斬りつけたりした程度でダメになるほどネムの肉体を脆く造ってはいない」という涅の自信の表れでもあったわけですが、いずれにせよ、この時点の涅はネムに捨て身の行動をさせたり、自分の手でわざと傷つけすらしていました。万が一これでネムが「ダメになった」としても、また新たな「眠」を造ればそれで代替できる、という考えも当然あったでしょう。
ところが、今週のネムの身を挺した助太刀に関して、涅は命令などしていないんですね。涅の口ぶりから考えると、「自分の指示があるまで戦闘には参加するな」とネムにわざわざ言いつけていたようです。なぜ涅にこういう変化が起きたかといえば、それは当然「”今のネム”が死んでしまったら取り返しがつかないので、大切に扱わなければならない」と涅が考えるようになったからですね。多くの貴重な経験を経た人造人間ネムは、涅にとって世界にただ一つだけの、今後新たに造りなおすことはまず不可能な存在になってしまったわけです。
また、「私が教えてもいない事を勝手に学んだとでも言うのかネ…」という今週の涅の言葉も考慮に入れれば、一個の人間と変わりない水準の知性をネムが持っているということにも、涅が気付いたことになります。つまり、人造人間(=モノ)としてオンリーワンの存在になってしまっただけでなく、自由意志を持つ一個の人間(=ヒト)としての「代替不可能性」をも認めざるを得なくなったわけです。
当初は自分の命令に従うだけの「モノ」として涅が生み出した人造人間・眠七號は、多くの経験を重ねたことで、いつの間にか「ヒト」と変わりない存在になっていたようです。「壊れたら新しく造りなおせばよい」という「モノ」的な理屈は、もはや彼女には適用できません(あの冷血漢・涅マユリですら)。ここに至って、涅がネムのことを「勝手に死なれては困る大切な存在」だと思うようになっていることが明らかになったわけです。ネムが涅のことを「父親」として憎みきれないらしいという描写は早い段階で提示されていましたが、「お前に自らの判断で死ぬ自由など無い」という涅の宣言によって、涅もまたネムのことを(彼なりのやり方で)大切に思っているのだということがようやく示されました。
思えば、ネムが涅のことを憎みきれずにいたのは、「眠七號」という名前を気に入っていたからとか、そういう小さな理由によるのかもしれませんね。「眠七號」と呼ばれた瞬間のネムの嬉しそうな顔を見ると、そんな気がしてきます。父にしても娘にしてもかなり歪んだかたちの親子愛ですが、むしろ彼ららしいと言えるかもしれません。
また、こういった涅とネムの対話を、「霊王の左腕」であるペルニダとの戦いの中で描いているというのも面白いと思います。霊王の左腕は「"前進"を司る」存在であり、事実、涅たちの目の前で加速度的な"進化"を遂げているようです。見る見るうちに成長していくペルニダと、ゆっくり時間をかけて人間同然にまで成長したネム。彼ら二人の「成長」が対比的に描かれているように見えます。
今週の感想は以上です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは。