Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BLEACH』第617話「Return of the God」の感想・考察

こんにちは。ほあしです。

今週の『BLEACH』の感想です。

 

BLEACH』第617話「Return of the God」

 先週の予告通り、センターカラーの扉絵ですね。「無間」にて封印されている藍染の姿です。今週のタイトル「Return of the God(神の帰還)」は、死んだと思われた霊王が浮竹の「神掛」によってぎりぎりのところで生還したことを意味すると同時に、霊王殺しによって新たな神になろうと企てた藍染の復活をも意味しているのでしょう。またキリスト教神学においては、「キリストがこの世に再臨(帰還)すること」は、いわゆる「最後の審判」を経て「神の国」建設が始まることを意味します。またこれは同時に、「世界に終末をもたらす善と悪の最終戦争(いわゆるハルマゲドン)」が起きることをも意味しますから、これから文字通りの「最終戦争」が始まるのではないでしょうか。「見えざる帝国」がキリスト教的宗教団体に見立てられていることは以前にちらりとお話しした通りですが、これについては今後まとめなおす必要があるかもしれません。

作品論6 〈千年血戦篇〉=ナチス・ドイツの世界侵略 - Black and White

 死神と滅却師のどちらが善でどちらが悪か、という命題の答えは作中ではあえて示されていませんが、「戦争における善と悪」というテーマそのものは作中で繰り返し提示されていますから、今後そこが再び物語の焦点になる可能性もあるかと思います。

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久保帯人BLEACH』6巻59~60頁)

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久保帯人BLEACH』43巻156~157頁)

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久保帯人BLEACH』56巻54~55頁)

ちなみに56巻で「戦争というのはどちらも正義だから起こるんだ」と述べている可城丸秀朝(かじょうまる・ひでとも)は十三番隊の席官ですから、すなわち浮竹の直属の部下ということになります。可城丸と京楽の「戦争における善と悪」に対する見解の相違は、もしかすると浮竹と京楽が持つ見解の相違そのものなのかもしれません。

 

話を戻しましょう。

 浮竹の「神掛」が発動したことで、霊王の命は繋ぎとめられたようです。世界崩壊の先触れとして起こっていた震動も止まりました。遥か霊王宮まで伸びた右腕について、ユーハバッハは「この私の”眼”に映らぬという事は・・・貴様 霊王自身か!!」と言っていますね。ここで彼が言っている「”眼”」とは、身体的な意味での眼ではなく、『全知全能』による「未来を視通す眼」のことでしょう。わざわざ引用符を使って強調していますから。

これは非常に重要な言葉ではないかと思います。なぜなら、ほぼ無敵としか思えないユーハバッハの『全知全能』の能力も、霊王本人にまつわる力だけは視通すことができないということを意味しているからです。これはつまり、「霊王と同質の力を持っている者は『全知全能』に力を奪われることは無い」ということですから、これがユーハバッハを破る大きな糸口になるのではないかと思います。現時点でその可能性が示唆されているのは、やはり一護でしょうか。人間・死神・虚・滅却師・完現術者というあらゆる霊的資質を兼ね備えた一護は、一種の「全能者」と化していますから。

あるいは雨竜も「私の力を超える何かがある」とユーハバッハに言われていますから、その「何か」が霊王にまつわるものであるという可能性もありそうですね。あと、これは完全に余談なのですが、雨竜が授かった”A”の聖文字が『全知全能(the Almighty)』ではなかった場合、先に述べたキリスト教神学における最終戦争にちなんで『最終戦争(the Armageddon)』とかだったりすると無茶苦茶かっこいいなと個人的にニヤニヤしてたりします。

 

 場面が変わって十二番隊隊首室。霊王の右腕に成り代わった浮竹は、やはり一個の魂魄としての生涯をもはや終えてしまったように見えます。清音が目を背けてしまうのも無理のないことでしょう。あまりにもグロテスクな光景です。これを見てもなお淡々と今後の展望を検討しようとする砕蜂を冷血と考える向きもあるでしょう(事実、仙太郎はそう捉えたようです)し、たしかにそれは一面の事実ではあるのでしょうが、ここに砕蜂の人間的な成長を見て取ることもできるはずだと私は思います。

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久保帯人BLEACH』58巻112~115頁) 

 「見えざる帝国」の最初の侵攻で元柳斎が敗死したとき、砕蜂は悲しみのあまり相手に見境をつけず当たり散らしていました。このとき京楽が「護廷」の矜持を引き合いに出して諌めたことで彼女をはじめとした隊長格らは「前を向」けるようになったわけですから、つまりいまの砕蜂もまた「尸魂界を護る」という矜持を大前提に行動しようと努めているのではないかと思います。「神掛」がいつまで保つのかすら分からないなかで浮竹を悼んで泣いていては、元柳斎が死んだときの二の舞でしかありませんから。実際、彼女の言葉を受けて、浦原は霊王宮への門の創生を急ぎます。尸魂界を安定させるにはまずもって霊王の許へ向かう必要があるだろう、ということなのでしょう。あと、やはり「神掛」については浮竹と京楽以外に知る者はいなかったようですね。浦原でさえその名前すら知らなかった術ですから、いわんや他の者をや。

 

 場面が変わって「無間」。京楽が藍染の「口」の封印を解きます。全身の部位ごとに細かく封印を施してあるようです。「無間」におけるこの封印の様式は、実は成田良悟先生のノベライズ版『BLEACH』にもほんの少しだけ登場していたりします。

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久保帯人成田良悟『〔BLEACH〕Spirits Are Forever With You Ⅰ』144頁) 

 成田良悟先生は本作品のあとがきのなかで、執筆にあたって『BLEACH』の世界の様々な裏設定を久保先生から教えてもらったという旨を明言していますから、「無間」内部の様子などもそのときに教わっていたのでしょう。ファンとしては羨ましい限りです。

 

 再び隊首室。浮竹が抜けたことで霊圧量が不足し、門が消滅しかかりますが、『仮面の軍勢』と涅親子の合流で事なきを得たようです。浮竹の霊圧が昔からずば抜けて高い水準にあったことは以前にも述べられていましたね。いまにして思えば、これ自体も「ミミハギ様」の加護によるものだったのかもしれません。

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久保帯人BLEACH』18巻129頁)

 

 リサと七緒のおそらくは100年ぶりであろう邂逅などもありますが、注目したいのはやはり涅と浦原のやり取りから窺える彼らの信頼関係です。霊圧の増幅器についての「こんな事態になるとは予想もしてなかった」という涅の言葉は明らかに浦原の行動への皮肉になっています。そもそも、涅が本当にその必要性を予期していなかったなら、花鶴大砲を模して建造した発射基地の内部にそんな機器を準備する理由などなかったはずです。霊圧を増幅するという機能自体は何かと便利そうではありますからほかの使い道があったのかもしれませんが、それならわざわざ地下の発射基地に設置しておく理由も無いわけです。

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久保帯人BLEACH』65巻155,162~163頁)

 現世に居残った『仮面の軍勢』が「世界の歪み」を収集していたのは、もともと涅と平子の連名で依頼を受けたからでした。夜一はそこに合流して、花鶴大砲打ち上げ用に「世界の歪み」を少量もらい受けたわけです。おそらく、一回限りしか打ち上げられない急造品の花鶴大砲が失敗などしたケースを想定して、「世界の歪み」と「死神の霊圧」を利用した別の通行手段を涅もまた考えていたのでしょう。その補助とするために霊圧の増幅器なるものを発射基地内部に備え付けていた。そのように考えられます。ですから、一護たちのためだけに一回限りの花鶴大砲を勝手に使ってしまった浦原に対する、これは皮肉になっているわけです。ただし、まさにそういう事態にこそ備えて涅は霊圧の増幅器を前もって準備していたわけですから、浦原と涅は、あえて探り合うまでもないほどに互いの腹の内を知悉しているということが読み取れますよね。上に挙げた第589話のタイトル”The Shooting Star Project [The Old and New Trust]”からも、110年前の古くから現在(=Old and New)にいたるまで続く、強い信頼関係(=Trust)を読み取れます。

 

【2015年3月2日21:09加筆】

 また、涅がここで合流しましたが、彼に同行していたはずの「涅 骸部隊」ローズ・拳西・日番谷乱菊らの姿がありませんね。彼らがどうなっているのか考える余地はかなり広いように思います。どこか別の場所で何らかの仕事を任されでもしているのか、あるいは何らかの事情により身動きができない状態になってしまったのでどこかに待機しているのか、またはすでに遺体として「処分」などされてしまったのか、さもなければ涅の技術力でゾンビ状態を脱しておりもう間もなく合流するのか。いずれにしても、浦原たちは残りの隊長格らの安否を気にかけていますから、いま隊首室にいる面々のうちの誰かしらが涅に彼らの居所を訊ねるなどでしょう。そのときに涅がどう応えるのかが楽しみです。

【以上加筆】

 

 場面は再び「無間」へ。京楽は藍染の「口」の封印だけを解いたはずでしたが、なぜか藍染はすでに完全な自由の身となっていました。この理由は現状ではさっぱりわかりませんが、封印されていてもなお圧倒的な藍染の存在感、素晴らしいですね。京楽が生きて帰れるのかにわかに心配になってきましたが、彼なら何とかするでしょう。それと、これはたぶん偶然だろうと思うのですが、藍染と京楽の二人が同様に右眼を隠した状態で描かれていることに何らかの意図を感じないでもありません。

 ちなみに、藍染が今後戦線に合流したとしても、『鏡花水月』を使用することは無いだろうと思います。なぜなら、彼はすでに自らの斬魄刀を(おそらくは望んで)捨ててしまっているからです。

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久保帯人BLEACH』48巻159~160,165,184~185頁)

 一護藍染と刃を交えたことで、彼の心の「孤独」を感じ取りました。あまりにも他の者とかけ離れた力を持っていたがゆえの「孤独」です。〈千年血戦篇〉で藍染が再び『鏡花水月』を手にして我が物顔で暴れまわったりすれば、このシーンで語られた藍染のバックボーンが何もかも台無しになってしまうように思われます。そもそも新しい『浅打』を用意する時間なども無さそうですし。

 余談ですが、こうした藍染の抱える圧倒的な孤独は、ただ生きているだけで周りの者が圧し潰されて死んでいった孤独な第1十刃・スターク&リリネットや、寄る辺ない完現術者を集めても満たされなかった孤独な死神代行・銀城空吾にオーバーラップするところが大きいですね。スタークらが藍染について行ったのも、一緒にいても死なないでいられる仲間が欲しかったからでしたし。

 

 なんだか余談の多い感想記事になりましたが、今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。