『BLEACH』第666話「空っぽ、傀儡、伽藍堂」の感想・考察
こんばんは。ほあしです。
今週のBLEACHの感想です。
『BLEACH』第666話「空っぽ、傀儡、伽藍堂」
グリムジョーがナックルヴァールの心臓を握りつぶしました。やはり帰刃状態にあるようです。グリムジョーの足元には、『観音開紅姫改メ』によるツギハギの穴が空いていますね。先週浦原が言っていた「ボールの外から一息に侵入できる道」というのはこれのことでしょう。
グリムジョーが復帰できたのは浦原が治療したおかげのようです。まあ考えてみれば、「毒入りボール」で失神していたのなら自力で帰刃できるわけもありませんからね・・・。どうやらここでのグリムジョーの攻撃は、心臓の物理破壊に加えて「虚の霊圧」による対滅却師特効をも含んだ二段構えになっているようですね。浦原は、破面が帰刃を行使したときの霊圧の変化について述べていますが、これについては〈破面篇〉にこのような記述があります。
グリムジョーの従属官として現世へ奇襲をかけた破面・エドラド曰く、「破面の斬魄刀とは彼らの能力の『核』を刀の姿に封じたモノであり、その解放は、彼らの真の力と真の姿の解放を意味する」のだそうです。つまり、帰刃を行使していない状態の破面は「虚としての力を封印した状態」であり、普通の虚とは霊圧の質がまったく異なっているようなんですね。藍染はこれを指して「虚の死神化」と呼んでいたくらいですから、その言葉に相応しい程度には大きく変質してしまっているのだと考えられます。
雨が「殺戮状態」に入ってしまったのもこの変質した「破面の霊圧」に影響されてのことで、実際、雨が暴走し始めたとき、彼女の至近にいた破面・イールフォルトは帰刃を使っていませんでした。虚なんだか死神なんだかよく分からない「妙な霊圧」であるというのが破面の基本性質なんですね。それが本来持っていた虚としての姿や力へ立ち帰ることを『帰刃』と呼ぶと。「完全に変化する」というのはこういう意味なのだと思います。
破面の「帰刃」と死神の「斬魄刀解放」の相違点や類似点についてはなかなか複雑なところがありますので、そのうちまとめてみても面白いかもしれませんね。武器としての性質は大きく違うようですが、どちらも持ち主の「心」が具現化したものであるというところは同じなんですよね、これ。
閑話休題。浦原が用意していたあまりにも周到すぎる"備え"に慄くナックルヴァールですが、それに対する「千の備えで一使えれば上等 可能性のあるものは全て残らず備えておく それがアタシのやり方です」という回答は、これまでBLEACHを読んできた読者であれば大いに納得できるのではないでしょうか。
ときに読者から「浦えもん」と呼ばれるほどに、浦原はさまざまな「手段」を用いて戦ってきました。そうすることができたのは、彼がありとあらゆる可能性に対する"備え"を怠らなかったからなんですよね。今回のような直接的な戦いの場だけでなく、100年前に虚化させられた隊長格たちをぎりぎり救うことができたのも、崩玉と融合して超越的な存在となった藍染を最終的に封印することができたのも、彼が十重二十重の備えをしていたからこそ為し得たことでした。
今回浦原が言ったことは、これまでの戦いのなかで彼がやってきたこと全てへのアンサーになるのだと思います。元をただせば、ルキアに特殊な義骸を与えて現世に留めおき、一護が死神として成長していくのを手助けしていたこと自体、藍染を倒すためのコマとして育成しようという狙いがあったわけです。備え方のレベルが完全に常軌を逸しているんですよね。「未知数の"手段"」として特記戦力に認定されるのも当然です。
(久保先生『BLEACH』20巻146頁)
グリムジョーがナックルヴァールの後頭部だか頸部だかのあたりを手刀で突いて止めを差します。ここで浦原とグリムジョーの「契約」の話が出ていますが、結局どういう内容なんでしょうね。現時点で明らかになっている範囲では、「グリムジョーをはじめとした何人かの破面が、虚圏でチャドと織姫の修行に付き合ったらしいこと」と、「今回グリムジョーが浦原に加勢したこと」とがその内容だと思うのですが、これだけだと破面側が何の得もしていないんですよね。彼らにとってもなにか得るものがあるはずだ(でなければ契約など交わさない)と思うので、追々明らかになるのかもしれません。個人的には、ハリベル関連の話じゃないかなと思っているんですが。
グリムジョーがダメ押しの一撃を与えても、まだナックルヴァールは死にません。さすがのしぶとさと言いたいところですが、彼の死によって「極上毒入りボール」は威力を高めるという話を本人が開陳していますから、彼は間もなく絶命するのでしょう。しかも、浦原ならそれすらも「何とかしちまうんだろう」という諦めを抱いて。
こんなにも「致命的」としか言いようのない結末を迎えたからこそ、あえて彼はここで「致命的」とは言ってやらないんですよね。単に敗者が負け惜しみで意地を張っているだけなんですが、だからこそ、彼が心の中ではどうしようもなく自身の敗北を認めてしまっているのだということが分かりますね。「癪だから」と彼が思うのは、それが図星だからこそです。とはいえ、浦原・夜一・夕四郎・グリムジョーらをまとめて半殺しにしたという時点で凄まじい強敵ではあるんですが・・・。
「極上毒入りボール」の様子を、外からネルが眺めています。「言ってた"5つの可能性"」というのは、浦原が事前に想定し、ネルたちに伝えていた戦闘の推移のパターンのことなのでしょう。ただ、戦局の詳細まで完璧に見通せるはずはありませんから、おそらくは「自分や夜一やグリムジョーが揃って足止め喰らって半殺しにされるような相手がいるかもしれないから、そのときもし可能なら救出してくれ」みたいな、かなりフワッとした想定だったんじゃないかなと思います。浦原がネルやグリムジョーと行動を共にしていたのは、一護たちを霊王宮へ送り出すために合流したときまでのはずですから、その時点では親衛隊の存在すら分かっていなかったはずですし。にもかかわらず、事前にこうした状況を想定して救助まで頼んでおいたらしいというのが本当に常人離れしています。「未知数の"手段"」、恐るべし、というところでしょうか。
倒れ伏す浦原の背後では、『観音開紅姫改メ』が崩れつつあります。「意志に反する卍解の消滅は持主の死期が近いことを意味する」ので、これはかなりヤバそうです。
今週のタイトルは「空っぽ、傀儡、伽藍堂」です。先週と同様に観音開きのタイトル見せですね。三つの単語を並べて、「か」を軸にした頭韻を踏んでいます。いずれの語も、意味的には「中身が空虚で何もないこと」を示すような言葉です。「傀儡」については、人形めいたデザインをしている『観音開紅姫改メ』にも引っ掛けているのかもしれません。
タイトル全体の意味としてぱっと思いつくところでは、「極上毒入りボール」の中身のことを指しているのかなと思います。一応は浦原達の勝利で戦いが終わったものの、もはや立っている者は居らず、ネルの救出がなければ浦原達の命も危うい状況です。確かな勝者はおろか自力で動ける者すら居ない空虚な戦場を指して「伽藍堂」と表現しているのかなと思います。
余談ですが、期待していた「獣の数字」ネタ、ありませんでしたね・・・。まあいきなりそのネタだけブッ込まれても内容が伴っていなければ意味が無いですし、久保先生の描きたいように描いてくれればそれでいいんですけどね。
場面が変わって、ジェラルドvs日番谷戦です。「一瞬も止められねえ」と日番谷が言っているので、おそらく日番谷の合流直後あたりまで時間軸が戻っているものと思われます。
そこへ白哉が加勢します。『千本桜』であれば、『大紅蓮氷輪丸』と同じく、ある程度巨大な相手にも攻撃を仕掛けることが可能そうです。〈破面篇〉でのヤミーvs白哉・剣八戦がちょうどそういうマッチアップでしたね。
そしてそこへまさかの剣八まで乱入です。剣八は白哉とともにヤミーを相手取って戦いましたから、そのときのリフレインなどがもしかしたらあるかもしれませんね。姿を消して久しいやちるの消息についてもなにか進展があるかもしれません。剣八が『野晒』を解放した直後に姿が消えていますから、やっぱり剣八の斬魄刀関係なのかなーという考えに落ち着きつつあるんですが。
今週の感想は以上です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは。