Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BLEACH』読切「NEW BREATHES FROM HELL 獄頤鳴鳴篇」の感想・考察

ご無沙汰しております。

ほあしです。

週刊少年ジャンプ 2021年36・37合併号にて、『BLEACH』の新作読切が掲載されました。前号の告知欄で突然発表されたことなので本当に驚きですが、なにはともあれ、この読切についても感想などをあれこれ書いていこうと思います。よろしくお願いします。

 

二匹の金魚についての寓話。大きくて強い個体が死ぬことによって、弱かったもう一方の個体が却って活力を得て助かるよ、よかったね、という内容です。

おそらく複数のニュアンスがあって、一つは「これは強大な魂魄である隊長格の死と、強大な尸魂界によって口を塞がれてきた地獄との関係にまつわるエピソードですよ」という宣言。シンプルな比喩表現なのでこれは分かりやすいと思います。

そしてもう一つは「一勇の無知・無邪気さ」を暗示しているのでは、という気がしています。「ああよかった 大きい方は死んでよかったんだ」というあまりに無邪気すぎる締め括り方には、子供特有の幼さというか、「死」という概念への根本的な理解のなさを感じます。下手に死者が見えすぎているせいでしょうか。

また、「二匹の魚」という比喩の仕方は、本エピソードの中心人物である浮竹の斬魄刀『双魚理』を明らかに意識したものです。そもそも「双魚理」という言葉自体が、この寓話のことを指していたのかもしれません。

 

さて、空座町の夜空を、大きな魚の霊らしきものが遊泳していきます。実家を出た一護と織姫夫妻は、空座本町一丁目に居住しているようです。普通に実家のめちゃくちゃ近所っぽいですね。一勇とコン、仲良し兄弟みたいでかわいいです。幽霊や死神や地獄の門がごく当たり前に目に見えていて、喋って動くぬいぐるみが家族の一員である一勇は、生物とか無生物とか人間とか非人間とかあの世とかこの世とか関係なく、ナチュラルにあらゆるものを受け入れそうな雰囲気があります。それが現状ちょっと底知れない恐ろしさを感じさせるものになっているのは、意図的なものなんでしょうね。

年齢詐称鳴き声ギャップエグおじさん(15)、かわいい。「電柱の下で泣く幽霊」というモチーフは連載第1話のセルフオマージュですよね。

寂しがるおじさんを慰めるべく、一勇は「高迦毛神社」の脇にある道祖神に拝礼して何らかの門を開けます。人間の口がそのまま空間に現れたような外観で、ザエルアポロが出てきたものとも概ね一致しますから、やはりこれは地獄へ続いているのでしょうね。

ただ、罪人の魂を地獄へ連行するときの門は、人骨が意匠としてあしらわれた観音開きの大仰なデザインですから、一勇やザエルアポロがこじ開けたこれらの門は、通常の手続きとは異なる不正規の通用門なのかなという気がします。

そういえば死神が現世との往来に用いる穿界門も、正規の死神が解錠した場合は綺麗な障子の入り口が出てきますが、浦原のように不正規の手段で門を開けたときは味も素っ気もない空間の裂け目のようになっていましたよね。開ける者、もしくは手続きの正当性などによって使える門のかたちが変わってくるのかもしれません。

「大丈夫!」と微笑みかける一勇とともに本エピソードのタイトルが示されます。まるで正規の地獄の門そのもののような観音開きのレイアウトです。絶対大丈夫じゃないですよこんなの。この時点で示されているタイトルは「NO BREATHES FROM HELL」「地獄からの息吹は無し」みたいな意味ですよね。嘘つけ!

 

尸魂界に場面が変わります。一角の道場に通う苺花、いい感じにヤンチャ坊主してて非常にかわいいです。この子が一勇を良い方向に変えてくれるといいんですが…。

そのヤンチャ坊主に対する一角のセリフがすごいですね。「唯一無二って訳だ」と「四の五の言ってねェで」で一から順に数を数えています。「三」を飛ばしているのは、それを言っている一角本人が「三」に深い思い入れを持つ人物だからです。一角にとってもやちるは今も剣八とともにある、ということですね。

似たような言葉遊びは本編の連載中にもあって、

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久保帯人BLEACH』66巻176頁)

こっちはカウントダウン方式でした。もともとは「二」までで終わってた口上だったのが、一番にカッコいいタイミングで「零」まで披露するというのがめちゃくちゃカッコいい。

 

さて、「魂葬礼祭」に関する恋次の説明から、本エピソードが時系列的に千年血戦終結の12年後(=連載最終回からさらに2年後)に当たることがわかります。一勇は小学校に上がったくらいでしょうか。「十二年おき」ということは何回か繰り返し行うものなのだと思いますが、恋次は今回が初参加とのことなので、永遠に繰り返すものではなく、どこかで終わりはあるんでしょう。

参考になりそうなところとしては、本誌連載前の読切版『BLEACH』では「一般の魂魄に転生の許可が下りるまでに60年かかる」という話があったりしたので、5回くらい繰り返したりするのかな? 連載版とは各種設定が大きく異なっているパイロット版の話なので、あくまでも参考程度。干支が一巡して元に戻る(還暦する)周期が60年なので、そのあたりのイメージなんですかね。

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久保帯人OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.』290頁)

ところで「本編の最終回から2年後」というと、『BURN THE WITCH』の物語とぴったり同時期に当たります。これは受注販売された公式イラスト集『JET』で公開された情報なので、確定した公式情報として扱っていいでしょう。もしかするとこの「獄頤鳴鳴篇」、今後の『BURN THE WITCH』の展開に大なり小なり関わってくるのかもしれませんね。

 

恋次とテレビ電話をする一護は、みんなで啓吾の営むラーメン屋に。水色くらいしか描かれていないのでアレですが、たぶん本当にいつもの「みんな」なんでしょうね。「他にお客さんいない」とのことなので、一護の後ろのほうに一人で座っているのはもしかすると雨竜ですかね? 服装や髪型もそれっぽく見えます。「食事は一人で摂るのが一番好き」と言っていた彼のことなので、団体で来てもあえて一人で座ったのかもしれません。かわいい。

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久保帯人BLEACH』6巻163頁)


啓吾の店の名前、全部は分かりませんがとりあえず「念力ラーメン」の文字だけは読み取れますね。正気じゃないにも限度があるだろ。背景をよく見ると基本すべてのメニューの頭に「念力」が付いているようで、どういうコンセプトの店なのかマジで気になります。また水色が唆したのでは。。。

ルキアのサイドテール、非常にかわいいです。ルキアの情報摂取手段が偏りがち(※耽美系ホラー漫画『翡翠のエルミタージュ』の朗読で現代語を身に着けた実績あり)なのは相変わらずのようなのも微笑ましいですね。尸魂界にインターネットが普及したら恋次が苦労しそう。ペアレンタルコントロール付けなきゃ。

ここで涅がホログラムで乱入、各隊副隊長に向けて連絡事項を伝えます。全隊同時に接続しておきながら双方向のやり取りをしてるの、地味に並列処理能力がえげつないですね。聖徳太子と同じことしてる。まあ檜佐木が乱菊のとばっちりを喰ってたりしますが。

涅、尸魂界の風情に合わせた技術開発を行なっていたというのはすごく意外です。風流や情趣を解さなそうな死神ランキング堂々の第1位なのに…。あとまたフォルムチェンジしてますがこれもどういうコンセプトなんですかね。せっかくザエルアポロも出てきたし、また涅のバトルは見たいところです。

涅ホログラム、各隊の反応が様々で非常に面白いです。誰も何もしてないのに無条件ごめんなさいする四番隊トップはマジで失礼すぎて爆笑してしまいましたし、「キッショいな~」という言葉に対してただ静かにさせるだけで否定は全くしてない雛森もかなり良い根性してます。護廷十三隊の皆さんがワチャワチャするだけのスピンオフを80000000億ページ読みたいよ~~~~😂😂😂

苺花、涅を「カッケ~~」と評するあたりかなり良いセンスしてますね。マジでそのセンスを大事にしてほしい。

七番隊の新たな副隊長・輪堂与ウ、めちゃくちゃ良いキャラしてます。斬魄刀の能力的にも動物一般との親和性が非常に高い人物のようですが、千年血戦を経て前隊長の狛村が一頭の狼として生きることになったことともなにか関わりがある人事なのかもしれません。

あと、ひとつ注目したいのは、やはり彼が「聴覚障害を持つ手話話者である」という点です。

まだこの「獄頤鳴鳴篇」というエピソードが本当に終わったのかどうか(また折を見て直接の続きが書かれるのか、『BURN THE WITCH』に引き継がれて断片的に経緯に言及するようなかたちで描かれたりするのか、あるいは本当に「これだけ」なのか)すら確信が持ちきれないような状態なのでアレですが、現時点では、このキャラクターに「聴覚障害者」という属性を与えることを要請するような物語上の必然性は特に見出されていません。

でも、そんなこととは関係なしに、このキャラクターは聴覚障害者である。社会一般にマイノリティと見なされる属性の持ち主が、取って付けたような事情や背景なしに、当たり前に存在するものとして、そこにいる。「無いもの」にされていない。そういう様を描くことはやっぱり大事なことだと個人的には思うんですよね。「常にすべての作品で例外なくそのようにするべき」とは思いませんが、そういうキャラクターがただ「存在する」だけで何か救われるものがある、という人も確かにいるはずなので。

 

さて、副隊長への通達を終えて、現世で虚捕獲作業『序儀面霊縛』の開始。しかし「仮を捕する」って本当にそのまんまの名前ですね。そのまんまなのにちゃんと神事っぽい厳かな雰囲気はある、というのがすごいところ…。

そしてここでさらっと明かされる一護翻訳家情報。専門が何語なのかは分かりませんが、一護は国語が得意でシェイクスピアが好きなので、やっぱり日英翻訳なんですかね。だとすると「好き」を仕事にしてる感じがあってすごく良いですね。

あと、乱菊が一護を当たり前のように「呑み」に誘って、一護も普通に応じてるというのも月日の流れを感じさせますね。

ところで、一護が英語に堪能だとすると、彼は「ウイング・バインド」の面々とも大変スムーズにコミュニケーションが取れるだろうという見通しが立ちますよね。やっぱり今後の『BURN THE WITCH』との合流は大いにあり得そうな気がしてきました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、八番隊の新副隊長・八々原熊如(ややはら ゆゆ)の登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやガチでめちゃくちゃかわいくないですか???????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BLEACH』20周年にしてとんでもないやつが現れました。みんな知っとったか? オッチャンはな、人懐っこい黒ギャルにめちゃくちゃ弱いねん。オッチャンはもうおしまいや。いままで『BLEACH』では特定のキャラに対して特筆するほどの性欲は抱いてこなかった(個々のキャラに魅力を感じないということではなく、作品全部が総体として好きというか、たくさんのキャラクターたちが織りなす魂の戦いのタペストリーを愛でるような感じの愛し方が主だったために、キャラクター単品の性的魅力については脳内の議題に上げる機会がほとんどなかったという感じの)ほあしくんですが、ここに来てちんちんの急所を撃ち抜かれたという確実な手応えを感じています。感じるな。

恋次いわく「現世のギャルってのにかぶれてんだ」とのことですが、どこからこんな非実在ギャル情報を仕入れてるんでしょうか。考えられるとしたら、ノベライズ版ではリサが現世の雑誌や書籍類を仕入れて販売しているという記述があったりしましたから、そのルートで「小悪魔ageha」なども尸魂界に持ち込まれてるのかもしれません。リサの副官であると聞かされて一護が「なるほどォ…」となったのもたぶんそういうことですよね。浦原のせいで伝令神機がLINEにも対応しているようですし、本格的に尸魂界の風情が危ない。俺も八々原熊如さんとLINEしてぇ~~~……。

 

などとワチャワチャしているうちに、虚、もとい地獄の餓鬼が襲来。「霊圧がない」らしく、こっそり現世についてきていた苺花以外、誰も気づけていません。というか、なぜ苺花だけ気づくことができたんでしょうか。集団から少し離れた位置から全体を眺めていたからですかね。

地獄の餓鬼たちをよく見ると、全員に鎖の紋様とリング状の部位があります。このリング状の部位がザエルアポロの言う「孔は肉体のそとへ外れ…」という現象の表れなのでしょう。これらの特徴が地獄に属するものの目印と思われます。

不意を打たれた恋次が弾き飛ばされますが、一護が一太刀で難なく斬り伏せていますし、その後他の副隊長らも問題なく応戦できているので、そこまで強大な相手というわけでもなさそうです。とにかく「霊圧がない」がゆえに気づきにくく、先手を取られやすいという点が危ないんでしょうね。

ここで新顔たちの戦いぶりがまとめて披露されました。輪堂与ウの戦い方、マジでかっこいい。おそらく「動物を模した式神を召喚して操る」というような能力で、それ自体シンプルにかっこいいですが、「持ち主が喋れないので指文字と手話で斬魄刀に呼びかける」という手順が本当に良い。手話や指文字も相手に呼びかける「言葉」の一種である、ということですね。今回見せた鷹の大群による攻撃があたかも「鳥葬」のようになっているところも、死者の命を刈る死神っぽさに溢れてて最高です。他の式神のパターンも見てみたいですね。

八々原熊如の戦い方もめっちゃ良いです。カストロの虎咬拳(『HUNTER×HUNTER』)みたいな動きとともに、熊の噛みつきオーラで餓鬼の頭部やちんちん部を噛みちぎってます。本人の名前が「熊の如し」と書くくらいですから、おそらく両手のネイルが斬魄刀になっているんでしょうね。

ところで、久保先生の公式ファンクラブ「Klub Outside」にて公開された「獄頤鳴鳴篇」の設定画によると、彼女のネイルは親指だけ「肉球」が描かれていて、残りの4本の指のネイルには「牙」が描かれているとのこと。それ自体は作中でも確認できるんですが、彼女が「がお」と叫んで敵を噛みちぎる瞬間のネイルを見ると、親指にだけはスピード線が描かれておらず、この噛みちぎり攻撃には絡んでいないように見えるんですよね。やっぱりネイルの絵柄によって機能が違うのかな~とか、想像が膨らむところです。ていうか熊如ちゃん、戦い方すらクソかわいいのでやっぱもう普通に優勝なんですよね。参りました。熊如たそは漏れの嫁なんだが。。。

そして副隊長に昇格した阿近、まさかまさかの麻雀攻撃でした(一盃口のみ)。好きなんですかね、麻雀。これは斬魄刀なのか鬼道なのかよく分かりませんが、事前に撒いた薬品が攻撃の肝になってるっぽいあたり、涅同様のスーパー科学技術を駆使したスーパー搦手型なのかなと思います。目指せ次世代の涅マユリ。

ちなみに「熔」という字は「(主に金属について)溶ける・溶かすこと」を意味する字なので、まあとにかく敵を溶かしているんでしょう。

そこに空から強襲をかけてきた餓鬼に吉良が対応。自分自身を『侘助』で斬りつけて増大した重みで踏み殺すという新しい戦い方をしてますね。最終的に敵が「詫びるように頭を差し出す」ところは何ら変わってないのが素晴らしいです。死人になってから変な趣味に目覚めてるようですが、みんなと仲良くできてるんでしょうか…。ていうかフードがめちゃくちゃ似合いますね。

 

恋次も改めて出撃しようとしたところでザエルアポロが登場。いまだに涅どころか恋次や雨竜にまで執着し続けているあたり、こいつの執念深さは本当に本物ですね。お前が地獄に堕ちたのはもう大方15年前やぞ。まあ強大な破面にとっては15年なんてのは屁みたいな時間なのかもしれませんが。

「憎しみも苦しみも 涙の様に 脳から外へ溢れ出る」という言葉とともに、ザエルアポロの頭部から直接、悪魔のような大きな角が生えてきます。この角、おそらくですが全ての「虚」が抱えている「『中心』を失くしたことによる渇き」が形をなしたものなんだと思います。

今のザエルアポロは、顔面に刻まれた鎖の紋様が生前の仮面や仮面紋に近いデザインになってはいますが、仮面そのものは無くなっていますよね。剥き出しの本能を覆い隠す「仮面」は消え、「魂の空白(孔)」は肉体の外側へ移動し、魂の空白によって生じていた「渇き」は脳の外側へ排出される。つまり今のザエルアポロは、虚になってしまったことによって生じた全ての柵から自由な状態なのだと解釈できそうです。「虚の軛から解き放たれる」という言葉は嘘ではないようです。だからといって人間的な性根の腐り方がマシになったりはしていないのは、彼が人間としての生前から殺人鬼だったのだから当然ですが。

また、恋次が質問に答えないでいることに対して「地獄の獄吏は千里眼だから答えなくてもいい」と言っているので、今のザエルアポロはどうやら「地獄の獄吏」という立場にあるものと思われます。おそらくこの襲撃に加わっている地獄の餓鬼というのも、地獄に堕とされた虚たちが餓鬼という呼び名に変わっているということなのでしょう。もしかしたら「餓鬼」というのも地獄における役職の一つなのかもしれません。ていうか獄吏なら勝手に門を破ったりすな。

 

ここで一護が助太刀に入ります。なにげに『斬月』が一番最初のシンプルな形になってますね。ユーハバッハとの決戦でも描かれたように、色々なフォルムを経て結局このスタイルに帰ってきたんですね。ザエルアポロが一方的に一護のことを知ってるせいで、ものすごい気迫で名前を呼んでるのに「誰だてめーは?」と言われてるのがめちゃくちゃ面白いです。この二人は本当にこれが初対面なんですよね。有名人はつらいよ。

 

場面が変わって、副隊長たちの帰還を尸魂界にて待つ隊長のみなさん。目の前に突如として「地獄の燐気」が現れます。ただ浮かんでいるだけで何かが起きるでもありませんが、とにかく出現しており、そして地獄の燐気は「大気に還らぬ」ようです。まるで「霊圧濃度が高すぎて大地へ還れない隊長格の霊子」のようですね。

さて、ここで春水から「霊威」という概念に関する迷信が語られます。

「霊威」、本編連載中にたった一回だけですが登場したことのある単語ですね。尸魂界篇で一護たちが尸魂界へ乗り込む直前、海燕がどういう人物だったかについて岩鷲が回顧して一護たちに語り聞かせるシーンです。 

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久保帯人BLEACH』10巻80頁)

ざっくりまとめると、「隊長以上の死神は霊子に宿る霊圧の濃度(=霊威)が高すぎて尸魂界の自然には還れないので、死した隊長たちの魂魄は魂葬礼祭で地獄へ堕とされているのだ」という噂話。しかしザエルアポロはこれを端的な事実として語っています。

いや、絶対そういうことですよね。強大すぎる死神の霊子は大地には還れず、やがて「燐気」へと変じていく。だから強くなりすぎた死神の魂魄を「魂葬礼祭」で地獄へ送って罪人への裁きのために働いてもらい、ついでに尸魂界の環境も保たれる。そういう仕組みなんでしょう。

ただ、なぜ「魂葬礼祭」の真の意味が忘れられてしまったのかは少し気になります。やはり「強くなりすぎると死後地獄へ堕とされて閻魔大王をやってもらうよ」という話は死神たちの戦力向上・モチベーション維持の観点から喜ばしくないということで、意図的に風化させていったんですかね。そういうとこあるよね尸魂界くんって。

 

「均衡が崩れた」「地獄の口を押さえつけていた強大な霊圧が消えて、地獄の側から口をこじ開けられるようになった」、という話の背景に冒頭の金魚が描かれています。「大きな魚(力ある隊長たち)が死んだことで小さな魚(地獄)が力を増した」ということを表していたわけですね。

解説が終わると同時に、地獄の門から現れた『双魚理』によってザエルアポロが刺し貫かれます。ザエアポ先輩お疲れっした! 解説キャラとして便利すぎる。

「お早いお着きだ」とは、「魂葬礼祭によって”神掛”浮竹十四郎が地獄に到着した」ことを意味するのでしょう。「浮竹十四郎の目の前で」という言葉に合わせて一護の代行証が強調されていますが、これはもともと代行証に「監視」の機能が付いていたことを踏まえてでしょうね。死神代行消失篇での騒動以降、監視の機能は使用されていないはずですが、浮竹は死神代行への「対処方法」の考案者ですから、代行証との繋がりが大変深い人物です。スピリチュアルな、エモーショナルなニュアンスにおいて、浮竹は代行証を通じて一護をずっと「見ていた」。そういうことなんでしょう。

また、あるいは、死神代行への対処に責任ある立場だった関係で、監視装置である代行証と浮竹の魂魄との間には実際に何らかの霊子的な繋がりが作られていて、実際に浮竹本人が監視の役目を(24時間常にではないにしても)負っていたのかもしれません。

浮竹は、一護が代行証について疑問を抱く可能性が残るようにわざとヒントを与えたような人です。本人の同意なく常時監視の目を置くという非人道的な手段を採用するに当たって、一護の私生活に無断で触れる人の数が極力少なく済むよう、自身が負うべき責任をそういうかたちで全うしようとしたのではないかと考えることは、十分可能ではないでしょうか。

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久保帯人BLEACH』54巻99,119頁)

そうして形成された霊子的な繋がりによって、予定外に現世で起きた虚の大量討伐に浮竹の魂魄が感応し、「魂葬礼祭」が一足飛びに成立した。こういうことかなと思います。

ところで、最近地獄へ渡ったのであろう面々についてザエルアポロは”護廷開祖””死剣””神掛”といった称号のような呼び方をしていますが、これ、たぶん諡号ですよね。

「地獄へ渡った隊長らは、生前の功績にちなんだ諡号で呼ばれ、閻魔の仕事に従事する」ということを示しているのだと思います。地獄を取り仕切る王としての名前。

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久保帯人BLEACH』2巻98頁)

生前は連続殺人犯だった虚「シュリーカー」を地獄へ連行したあの巨大な腕の持ち主も、もしかしたら元々は歴代の護廷十三隊隊長のうちの誰かだったのかもしれませんね。ただ狛村の卍解『黒縄天譴明王』は(少なくとも外観上は)これに近い雰囲気を持っているので、歴代隊長の誰かよりは、狛村が属している畜生道の獣人たちに近い存在なのかもしれません。

 

ザエルアポロを回収して地獄の門は閉ざされ、門の骸骨に浮かんだ目玉を見つめて笑顔を浮かべる一勇にクローズアップ、このエピソードの真のタイトルが「NEW BREATHES FROM HELL」「地獄よりの新たな息吹」)であることが明かされて終わります。

「獄頤鳴鳴」の意味についてですが、「頤」とは「あご」を指す漢字ですから地獄の門が大口を開けて鳴り響く」くらいのニュアンスでしょうね。

あと、実は冒頭もラストも、”BREATHES”のAの横棒だけ抜けているんですよね。これはどう解釈したらいいのかちょっと判断しかねています。単なるデザインだよと言われればそれで納得はできますが、なにか含意があるよと言われればそんなような気もします。。。

 

最後に、ザエルアポロは「君等は考えろ」と言っていましたね。これはザエルアポロから死神たちに向けたものであるという以上に、久保先生から全ての読者に向けたメッセージだと私は受け取りました。死神たちと「地獄」の関係について、ヒントはすでに見せてある、あとは自分の頭で考えろ、と。

せっかくなので、できる範囲で考えてみましょうか。

 

といっても、命題として示されたのはシンプルで、「死神を導く蝶の名に なぜ”地獄”とついているのか」という一点のみです。

とりあえず現時点での私の結論としては「尸魂界と地獄は、その目的において本質的に同じものだから」、というような感じです。尸魂界も地獄もやってることがだいたい同じだから死神の案内役にも「地獄」って名前が付いてんだよ、という具合です。

もう少し噛み砕いて説明すると、死神たち(尸魂界)の仕事は、「虚の犯した罪を洗い流して尸魂界へ送ってやること」ですよね。魂魄運行の調整者という面ももちろんありますが。

そして地獄の仕事は、「生前に罪を犯した魂を罰すること」なわけです。ここで疑問があります。「地獄での罰が終わった魂はその後どうなるのか」という疑問です。ここまで来るともう憶測でものを言うしかありませんが、結局のところは「尸魂界の大地へ還る」のではないでしょうか。地獄に堕ちたらそれっきり戻らないというのであれば、時間が経つにつれて無限の魂魄が地獄に堆積していくことになるはずです。

つまり、尸魂界と地獄はどちらも「魂の罪を洗い流して魂魄運行のサイクルに戻してやること」を目的としているのではないかと思うんです。『BLEACH』は罪を洗い流す物語である、という話は大昔の記事で述べた通り。 

 

思えば、『黒縄天譴明王』といい、『大紅蓮氷輪丸』といい、地獄にちなんだ名前の卍解を持つ隊長も元々複数いますよね。「死神の力の究極の高みにまで昇り詰めると地獄のような力を手にする」ということは、死神も地獄の閻魔大王も根っこのところは同じなんじゃないのかと、そう思えてきませんか? 死神たちの究極的な「到達点」であるところの隊長たちが死後は地獄で罪人に罰を与える任務に就くというのは、言われてみればごく自然な流れのようにも見えます。

 

また、地下監獄最下層 第八監獄「無間」についてもちょっと思うところがあり。

「無間」って、基本的には通常の処刑方法が通用しない不死の囚人が収監されるところじゃないですか。どうしても消滅させられないから地の底に封じ込めて「無かったこと」になってもらう。

これって、「どうやっても大地に還れなくなった魂魄を魂葬礼祭で地獄に預ける」という構図にそっくりじゃありませんか? 発想の根が完全に同じなんですよ。ていうか地下監獄に関しては名前からして八大地獄からそっくりそのまま拝借してるわけですし、尸魂界は地獄と本当に深いところ、理念とか思想とかそういうレベルで繋がってるんだと思うんです。

ただ、さっきも言いましたが、地獄に堕ちた隊長たちの魂魄は、一度地獄での任についたらそれっきり永久に戻らない、ということは無いんじゃないかと思います。それだと隊長クラスの強大な魂魄ばかりが地獄に集まり続けてしまって、均衡もへったくれも無くなると思うので。

どれくらい膨大な時間がかかるのかは分かりませんが、一定の時間が経過したら、彼らの魂も尸魂界の大地へ還れるようになるんじゃないでしょうか。

今の時点ではこんな感じですかね。

 

さて、全体を振り返って最も気になるトピックとして最後に「一勇、なんなん?」という話をしておきたいところ。

冒頭、一緒に地獄の門をくぐったはずの年齢詐称鳴き声ギャップエグおじさんがラストシーンでは一緒にいませんでした。おそらく、地獄のどこかに導いて、そこに置いたまま一勇とコンだけ戻ってきたんでしょうね。ルキアの大変な狼狽えようや、それこそシュリーカーの末路を見た限りでは、地獄とはそこらへんにいるただの魂魄を導いて無事で済むような場所とは到底思えません。ではなぜ一勇は、彼を地獄へ導いたのか。

 

思うに、一勇は「地獄とはどういうところなのか」を全く理解できていないのではないかと思うんですよ。

一勇には、およそ「恐怖」と呼ぶべき心のありようがすっぽり抜け落ちているように見えます。本エピソードでは、地獄の眷属に対して初手から強い警戒心と恐怖を示す苺花の様子が描かれています。彼女の(子供としてごく当たり前の)振る舞いは、一勇の異様なまでの「物怖じしなさ」を際立たせるためのものとしか思えないんですよね。

一勇は何事に対しても全く動じることがありません。ユーハバッハの力の残滓にも、電柱の下ですすり泣く男の幽霊にも、空を泳ぐ巨大な魚の幽霊にも、ひとりでに喋って動くぬいぐるみにも、神社の脇に佇む不気味な道祖神にも、その横でお祈りすると口を開ける謎の門にも、空に浮かぶ巨大な骸骨の眼差しにも。一般的な人間の尺度で言えば完全に気が狂っています。でも一勇にとってはこれらは全部自分の世界に当たり前にあるもので、恐れる理由がない。

BLEACH』第1巻の巻頭テキストは「我等は 姿無きが故にそれを畏れ」というものでした。「目に見えない、正体がわからない」というのは、人が恐怖を感じるためのとても重要な要素です。

しかし一勇には、「目に見えないもの」がきっとなにも無いんでしょう。おそらく何の訓練もなしに死神を視認して話ができるような子です。適当なお祈りで地獄の門さえこじ開けてしまえるような子です(ただしこれにはザエルアポロの言う「均衡が崩れた」ことも関係しているのかもしれません)。そして、おそらく両親から受け継いだ途轍もない霊的資質のおかげで、少々変な遊び方をしたくらいでは危機に陥ることがないんでしょう。彼が恐怖を味わうには、周囲の何もかもが弱すぎるんだと思います。

 

だから彼は、地獄というのが普通の魂魄にとってどれほど危険で恐ろしいものかが分からない、気づけないのではないでしょうか。

 

ギャップエグおじさんは一勇に「寂しい」と繰り返し主張していました。

 

だから一勇は連れて行ってあげたんでしょう。「みんな」がいるところへ。

 

そうすれば「寂しい」とは感じないはずだから。

 

 

 

 

 

ああよかった おじさんは地獄に堕ちてよかったんだ

 

 

 

 

 

……冒頭の金魚の寓話のもう一つの含意がつまりこういうことなんだろうと思います。

もちろん、一勇に悪意などないはずです。というか、自分の案内した場所が「地獄」と呼ばれるところであるという自覚すらないと思います。

ザエルアポロは「魂葬礼祭」について「還る場所を失った寄る辺無き魂を 地獄に堕として救済する」「これは”優しさ”だ」と述べていましたね。この言葉は、死神たちの「魂葬礼祭」という営みとともに、今回一勇がやらかしたことの真の意味合いを端的に表現していたのだと思います。

死神たちも、一勇も、心からの「優しさ」でそのようにした。ただ、その本当の意味を「知らなかった」だけ。これはそういうお話であるはずです。

 

さて、ここまでしつこく書いたらもう分かると思いますが、いま一勇が生きているのは「恐怖無き世界」です。どこかの誰かがそんなものの創造を目指していましたよね。

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久保帯人BLEACH』74巻224頁)

ということは、同時に次の事実にも気づくはずです。 

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久保帯人BLEACH』74巻226~227頁)

あらゆるものに対して「恐怖」を知らない一勇は、つまり、まだ「勇気」を知らないのだと考えられます。

彼が「恐怖」を知り、それでもなお立ち向かい歩み続けるという「勇気」の何たるかを知るために、苺花の存在が鍵になるんじゃないかと思います。彼らの「この先」が描かれることがあるのかは分かりませんが、私個人としては、俄然読みたくなってきています。

 

ただ、この「獄頤鳴鳴篇」に関しては、初読時は「早く続きを読みたい、地獄についての答え合わせをさせてくれ!」という気持ちだったんですが、落ち着いて読み返すうちに、まあでもこのエピソードは普通にこれでしっかりまとまってるからこれで良いよなと思えてきました。

一勇のこれからに関してはこの地獄に関するエピソードだけで全てを描ききれるようなものでは絶対ないはずですし、地獄と尸魂界の関係に関してもいま手元にある情報で大筋は見えたと思うので、次の読切が楽しみだな~という感じになりつつあります。

たぶんですけど、今後もまた似たような感じで読切を2~3本くらい発表して、そのうち単行本にまとめると思うんですよ。少なくとも「このエピソードが単行本にならない」ということはおよそ考えられないので、一緒に収録できるような短編がまたそのうち出てくるんじゃないかなと思います。そっちを気長に待ちたいな~という感じです。

 

おわりに

思った以上に長くなってしまいましたが、今回は以上です。つかれた。

次の楽しみは『BURN THE WITCH』シーズン2ですかね。

まあBLEACH展がその前に来るのか後に来るのかというのもありますし、千年血戦篇のアニメ化もこれからです。BLEACH展以外は本当にいつ来るか分からんので、いつ来てもいいように、各々心の備えをしておきましょう。

 

 

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

それでは。