Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。寄稿のご依頼などはhoahoahoashi@gmail.comまでどうぞ。

『BLEACH』第686話「Death&Strawberry」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週のBLEACHの感想です。

 

BLEACH』第686話「Death&Strawberry」

 誌面上の位置的にはセンターカラーですが、「最初の左ページでコマを割り、めくった見開きでカラー扉絵」という流れは通常なら巻頭カラーで行なわれるものですね。このようにセンターカラーでカラーページを都合3枚貰っているということ自体がかなり珍しいですから、これは最終回を飾るための特別な図らいと見てよいと思います。

 内容についてですが、一護の息子・一勇(かずい)がひよ里たちの拠点に忍び込んでいるようです。外で遊んでいてたまたま立ち寄っただけなのか、あるいは何か霊的な変化などを感じ取ったりしたのかは分かりませんが、ひよ里に怒鳴られると特に執着もなく逃げ出したようなので、まああまり大した理由はなさそうです。

 カラーの扉絵ですが、現世の面々+阿散井夫妻というメンバーですね。みんなが着ている服にあしらわれている赤青白のワンポイントは、『BLEACH』単行本第1巻の表紙で一護が身に着けているリストバンドの色であり、単行本第1巻~第48巻までの裏表紙に描かれているもので、いわば『BLEACH』という作品のイメージカラーですね。最終回で持ってくるに相応しいモチーフだと思います。

f:id:hoasissimo:20160822132943j:plain

f:id:hoasissimo:20160822133312j:plain

久保帯人BLEACH』1巻表紙・裏表紙)

 

 場面が変わって尸魂界。時間的には、ルキアの着任式が終わった少し後ですね。白哉砕蜂が指示された場所へ向かっています。「ルキア恋次はすでに現世へ発った後だったので白哉に連絡した」という旨をわざわざ砕蜂が断っていますが、これはおそらく、いま問題になっている「西五十五区」というのが「十三番隊舎に隣接する最終復興区画」であるという立地ゆえのことでしょう。場所的には本来なら十三番隊を呼ぶべきなんだけど当のルキアたちがすでに出払ってしまっているのでやむなくその縁者である白哉に頼んだと、こういう流れから出た断りのセリフだと思われます。白哉、相変わらずの妹想いですが、そうした気持ちを他人にまで公言して憚らなくなっているらしいのがものすごい変化だなと思います。めっちゃからかわれてそう。

 先んじて到着していた涅とともに、白哉たちは「ユーハバッハの力の残滓」と邂逅します。

 

 場面が変わって現世、クロサキ医院。ルキア恋次が遊びに来ています。彼らの姿が遊子の目にも見えていることからおそらく義骸に入っているのだと思われますが、この衣服は自前で用意していたんですかね。ルキアは〈死神代行篇〉で現世にいた頃からワンピース系の服をよく着ていましたから、そもそもこういう服がお気に入りっぽいですし。ルキアの服の好みについては雨竜も指摘していましたしね。

f:id:hoasissimo:20160822125154j:plain

久保帯人BLEACH』21巻34頁)

 それを出迎える一護は、前髪を短くしたことで歳相応(〈千年血戦篇〉の10年後のお盆とのことなので、28歳で確定ですね)に大人しい髪型になったのと、目元が穏やかになっているように感じられます。 これまでのように張り詰めたところが無くなっているというか、有り体に言えば幸せそうというか。一護がこういう表情を自然にできるようになっているというのが本当に嬉しいです。

 啓吾・たつき・水色は、髪型が変わっている程度で顔つき自体は10年前とほぼ変わっていませんね。まあ人間、高校三年生くらいになると基本的な顔立ちがそうそう変わることもないので当たり前ですが。たつきの髪型がややウェーブがかった女性らしいものになっているのが個人的にはすごくイイ。あと、ルキアちゃん」呼びになっているのも素敵ですね。かつてルキアが空座第一高校の転入生として現世に滞在していた頃は基本的に「朽木さん」と呼ばれていましたが、その頃の記憶は消されてしまっているはずですから、おそらく今度は「一護の友人である死神」というところから新たに関係を築き直したのだろうと思います。それでも10年の付き合いともなればもう親友と言って差し支えないでしょうし、この呼び方だけでも彼らの親しさが伝わってきますね。

 そして今回最も分かりやすく変化しているのが遊子と夏梨の双子ですね。22~23歳で、遊子は母親似で夏梨は父親似なので顔の系統はかなり違いますが、どちらもえらい美人になったもんです。そして夏梨のおっぱいがあまりにもヤバすぎる。まあ10年前の時点で夏梨だけ妙に発育良いなとは思ってましたがそれにしてもすごい。夏梨は顔の代わりに胸が母親に似たんでしょうね。そして遊子の胸は父親似のようです。やめようかこの話。

 そしてチャドですよ。まさかのプロボクサーとしてWBOヘビー級の世界タイトルに挑戦しています。まあ実はチャド、「ゴンザレス・ジム」という名のボクシングジムに所属しているという情報は単行本のオマケページで発表されてはいたんですけども、まさかその設定をこんなかたちで拾ってくるとは思いませんでした。あまりにも適材適所というか、己の才能の使いみちをよく心得ているなというか。

f:id:hoasissimo:20160822144916j:plain

f:id:hoasissimo:20160822145013j:plain

f:id:hoasissimo:20160822145038j:plain

久保帯人BLEACH』1巻111~113頁)

f:id:hoasissimo:20160822145204j:plain

久保帯人BLEACH』53巻巻末)

 「ゴンザレス・ジム」はもともと、織姫のヤンチャな脳みその妄想のなかに登場した固有名詞でした。「チャンプ」ことTYRANO井上が着ている服に小さく「ゴンザレス・ジム」と記されているのがそれです。単に織姫の妄想の産物かと思いきやチャドがそのジムにマジで所属しているらしいということで、どうやらこのジムはBLEACH世界に実在するものだったらしいということが分かったんですね。こうして世界タイトルに王手をかけるような選手を育成できているくらいですから、実はかなり有名なジムなのかもしれません。こういう小ネタをずっと覚えているのはさすが久保先生だなと思います。

 チャドの世界ヘビー級タイトルマッチを別のところで観戦しているのが雨竜です。いまどうしても観たい(これつまり「一護たちと同じタイミングで観たい・同じ時間を共有したい」ということですよね)からとワガママを言って昼休みを延長しているというのがもう最高にカワイイですねこいつ。白衣を着て「石田先生」と呼ばれているところからして彼はおそらく医師になったのでしょう。この屋上というのもおそらくは空座総合病院のものかなと。なにより、「雨竜が医師になった」というのは、雨竜と竜弦の確執がなくなったからこそ訪れた結果ですよね。〈千年血戦篇〉のなかで父の想いをきちんと受け止めることができたからこそ、いまの雨竜はあるわけです。そしてこの幸せそうな穏やかな笑顔。雨竜にしろ一護にしろ、彼らのこうした表情を見られる日がついに来たのかという感慨が本当に大きいです、今回。

 再び黒崎家に戻って、一護が織姫を呼びます。織姫もほとんど変わっていませんね。髪を縛っているくらいのもので。エプロンを外していますから、みんなのために軽食などを作っていたか、あるいは逆に昼食後の洗い物でもしていたんでしょうね。ただ、雨竜がお昼休み延長中ということを考えると、たぶん今は午後1時過ぎとかその辺りの時間帯ですよね。だとするとたぶん洗い物っぽいかなーと個人的には思います。作った料理があるのならそれを一緒に持ってきているでしょうし。もう本当にどうでもいいところですが。

 また、ここでの黒崎兄妹の会話を見るかぎり、どうも一護はすでに実家を出て独立しているようですね。かつて一護が自室として使っていた部屋は遊子のものになっているとのことですし、もしまだ一護が実家に住んでいて新しい部屋を持っているのだとすると、「おにいちゃんの部屋じゃない?」「今はお前の部屋だろ」という会話がちょっと成り立たなくなりますし。「現在の黒崎家には、一護が高校生の頃に使用していた(そして今は遊子が使用している)部屋以外に"一護の私室"と呼べる部屋は存在しない」という状況でなければ、「おにいちゃんの部屋じゃない?」に対して一護が「今はお前の部屋だろ」などとは返答しないはずですから。いま一護と織姫がクロサキ医院にいるのは、単にお盆の里帰り中だからということでしょう。そして遊子は未だにブラコンが抜けないようですね・・・。まだ「イチゴ」のヘアピンを付けていますし、夏梨のからかいに対して見るからに焦りまくりの反応を示していますし・・・。この年齢でこれはさすがに色々と危ういのではないかと思ってしまいますがどうなんですかね・・・。

 

 恋次ルキアの子供、すでに護廷十三隊の見習になっているとのことですから、おそらく死神としての資質は相当に優秀なんでしょうね。まあ両親とも流魂街出身とはいえ卍解修得者ですから、その時点でかなりのサラブレッドと言えそうですもんね。一護たちに紹介しようとしたところでどこかへ姿を消したらしいことに気づきますが、まあこの二人の子供ならどう考えてもおとなしい性格にはならなそうですし納得しかないですね・・・。

 

 上階にいる一勇が、空間に空いた孔から漏れ出る「ユーハバッハの力の残滓」を見つけ、まったく無邪気かつ無造作に手を突っ込みます。時同じくして尸魂界では白哉たちが臨戦態勢をとっていますが、一勇が手を触れた瞬間、ユーハバッハの力の残滓は消滅してしまい、拍子抜けさせられています。

 この状況、どう見ても「一勇がユーハバッハの力の残滓を消滅させた」わけですよね。ではなぜ一勇にそんなことが可能なのかという話になるわけですが、まあ一番シンプルに考えれば「織姫の『事象の拒絶』に近い能力を一勇が受け継いだから」というあたりかなと思います。

 ただ、織姫の『事象の拒絶』は少なくとも霊王相手には通じませんでしたが、一勇の場合は少し事情が違って、「一護が持っている死神・滅却師・虚・完現術者の力」までまとめて受け継いでいる可能性が濃厚なので、織姫が持っている「神の領域を侵す能力」と、一護が持っている「霊的な全能性」を兼ね備えているんじゃないかなと。これらの力を併せ持っていることでそれぞれがより強化されている、なんて状況もあり得そうですし、ユーハバッハの力の残りカス程度ならまあ消滅させられそうかなと思います。

 

 ユーハバッハの力の消滅を察知した藍染の回想が始まります。藍染、結局また「無間」に戻ったんですね。前々回のラスト、一護に両断されたユーハバッハの死に際ですね。ここでのユーハバッハのセリフ、さすがにここまで明示的な言葉のチョイスですから、「生と死の入り混じる渾沌」に言及しているものと考えて良いのではないでしょうか。

 「現世も尸魂界も虚圏も 一つになるべきだ」「生と死は混じり合い 一つになるべきだったのだ」というのがそれです。ユーハバッハはこれを「死の恐怖無き世界」と考え、その顕現を目指していたようです。生者と死者とが分断されていない世界であれば、そもそも死に怯える必要がなくなるというわけですね。

 こうした世界のことをユーハバッハは「平和」と表現していたのだとしたら、正直、理想論の一つとしてあながち理解できないでもないんですよね。「肉体が滅びても魂だけになって生き続けることができる」ということは、すべての生命が事実上の不死を獲得するわけで、不死とは大昔から人間が夢見てきたことの一つですから。まあ、完全な不死を達成するには「その世界に争いがなければ」という但し書きが必要ではあると思いますが。死神や虚などは魂魄のままで生きている存在であり、放っておけばおそらく数百年単位で生きていられるはずですが、戦いなどによって傷つけられたりすれば簡単に消滅してしまうという点は変わりませんからね。

 これを聞いていた一護が何を思ったかは分かりませんが、藍染が述懐します。「死の恐怖を退けて歩み続けることを、人は"勇気"と呼ぶのだ」と。

 なんでここで「勇気」なんて話になるのかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、これ、どう見ても「一勇」の命名に込められた理念を藍染の口から語らせたものですよね。一護はユーハバッハを倒したことで、「命あるすべてのものが死の恐怖に怯え続ける従来の世界」を護った(ある種「護ってしまった」とも言える)わけです。まさにその点をユーハバッハは皮肉っぽく糾弾しているわけですが、そうした世界で生き続けるのに必要なものとして「勇気」を持っていて欲しい、そういう願いで「一勇」と名付けたんではないかなというのは容易に想像できますよね。「ユーハバッハへのアンサーがそのまま息子への命名になっている」という事実によって、一護が自分の戦いを悔いたり恥じたりしていないということが端的に示されていてすごく素敵な見せ方だなと思います。自分の護った世界に誇りを持っているからこそ出来ることですよね。

 

 再び場面は黒崎家に戻り、一勇の背後の空間に黒い孔が現れます。どこかへ行っていた恋次ルキアの娘・苺花の登場ですね。髪は恋次、顔つきはルキアのそれをはっきりと受け継いでいます。今更ですがこれは一勇についても同様で、髪は一護、顔の造形は織姫のものを受け継いでいますね。まあ一勇の場合、顔つきについては幼いころの一護にも非常によく似ていますし、実際夏梨もそのように述べていますから、文字通り一護と織姫を足して2で割った感じの仕上がりになっていると考えればよいでしょう。

 「苺花」という名前ですが、これはもう明らかに一護と織姫の二人から拝借した名付けですよね。一護=イチゴ=苺で、『盾舜六花』の「花」から取ったのでしょう。ルキアが朽木家に引き取られたことで、彼らは「家族」としての紐帯を一度失ってしまいました。そんな恋次ルキアの関係を再び結びつけたのが他でもない一護です。彼らが「本当の家族」になるためのきっかけを与えてくれた最も大切な友の名を、娘に与えたのですね。

 さて、苺花ちゃん、初対面の一勇に向かって出会い頭に斬魄刀を突きつけるという暴挙に出ています。さすがにちょっと暴れん坊すぎるというか親の顔が見てみたいというか、きちんと躾けてあげようねという感じですね・・・。誰何を受けた一勇はお返しとばかりに死覇装と斬魄刀を現してみせます。まあこの120点満点の笑顔を見るに、別にそんなお返ししてやろうみたいな悪意とかは全然ないとは思いますが、しかしこの無邪気な笑顔、本当に昔の一護にそっくりですね・・・カワイイ・・・。

 今週のタイトルは第1話と同じ「Death&Strawberry」。「死神とイチゴ」ですが、今回は「死神の一勇&死神見習いの苺花」という構図なので、一護とルキアのときとは役割が逆になっているのが面白いですね。

 

 蓋を開けてみると、一護と彼をとりまくキャラクターたちの、本当に幸せそうな姿がいっぱいに描かれた最終回となりました。個人的には、一護と雨竜の穏やかな笑顔が見られる最終回だったというだけで、もう胸が詰まるほどの嬉しさを感じています。

 今週描かれている内容については以上なんですが、皆さんも大いに感じていらっしゃるであろう、「描かれずに終わったものが沢山ある」という点について少しだけ。

 個人的に最も気になっているのは、やはり「霊王が死んだはずなのにどうやって世界が維持されているのか」という点です。霊王を取り込んだユーハバッハもその力の残滓もきれいに消え去ったわけですから、「世界の"楔"」として現世・尸魂界・虚圏を支えるものは失われているわけですよね。この点についてのフォローと、あとはそもそもの霊王の正体についての情報開示が無いままになっているのは正直かなり驚いています。

 次に、「ユーハバッハの目的・正体があまり明示されなかった」という点。まあ目的については今回ほとんど答えそのものと言えそうな話をしていましたが、なぜそういう目的意識を持つに至ったのかという、ユーハバッハのバックボーンとでも言うべき部分が描かれないまま決着してしまったのが個人的にはちょっと消化不足だなあと。まあこれは「個人的に気になる裏設定を教えてほしい」的な欲求に限りなく近いので、描写が無いなら無いで好き勝手に妄想できる楽しみが一つ増えるぞというアレだったりもするんですが。

 さいごに、「千年血戦終結後の動向が全く描かれていないキャラが沢山いる」という点。端から全部挙げ始めるとキリがないので最小限にとどめますが、たとえば浦原とかネルとかイヅルとか零番隊とかあの辺りですね。戦いが終わって、いまはどこで何をしているのだろうというのが単純に気になります。まあこれについては拾い始めたら本当にキリが無くなるところでもあると思うのであまり多くは望みませんが、それでも、イヅルのように戦況が描かれないまま宙ぶらりんになり、その後の処遇についても不確かに思えるようなキャラについてはせめて描いて欲しいなという思いがどうしてもあります。

 

 で、こういう「描き残し」と言うんでしょうか、語られず終いになってしまったものがちょっと多すぎるようにも思うんですよね。

 これはきわめて個人的な感覚に基づいた感想なんですが、〈千年血戦篇〉の最終盤、ナックルヴァールやジェラルドとの戦いが一頻り片付いたあたりからでしょうか、なんとも言いようのない「駆け足感」というか、物語を性急に収拾しようとしているような印象を強く感じていました。具体的にどの辺りのことか説明しろと言われると困ってしまうんですが、「とにかく最低限お話を畳める状況へなんとか急いで持って行こう」とでも言うような雰囲気をなんとなく感じていたんですね。

 そして、その「駆け足感」を最も強烈に感じたのが、前回と今回の最終回だったりします。描かれている結末に不満があるという意味ではなく、「語られていない事柄があまりにも多くはないか」という意味です。そういう意味で、やはり今回の最終回は、久保先生が当初想定していたものとは必ずしも一致していないのではないかと思えて仕方ないんです。

 で、ここまで来るともはや「往生際の悪いBLEACH信者の戯言」でしかないというのは重々承知であえて言うんですが、やっぱり「『BLEACH』はここで完全に完結して、後日談やスピンオフなどが描かれることは一切ない」とはどうしても思えないんですよね。それこそ『BORUTO』みたいに主役が次世代へ移行しての後日談なのか、それとも普通に番外編として短いお話をいくつか描くという感じなのかは分かりませんが、何らかのかたちで補完的なエピソードが描かれるんじゃないかと思えてならないんです。浦原や零番隊あたりのメンバーが最終回に全く顔を出していないのも、そのあたりへの布石なんじゃないかなとか。

 『BLEACH』の実写映画が2018年に公開という特報も今回ありましたが、そこまで『BLEACH』というタイトルが何の「つなぎ」も無しに置いておかれるとも考えにくいですし、「まだ何かある」んじゃないかと私は思っているところです。ほとんどなんの根拠もない、願望そのものみたいな話ですが・・・。

 とはいえ、繰り返しになりますが、一護たちがこうして幸せな未来を手に入れられたことについては本当に我が事のように嬉しく感じています。今週の扉絵のアオリではありませんが、「この時よ、永遠なれ」と心から願ってやみません。

 

 と、ここまでいろいろと好き勝手に書いてしまってますが、やはり最後には、久保先生への感謝の言葉しかありません。まあ、久保先生がこんなブログを読んでくださっているわけもありませんから、ここに書いたところで何ほどの意味も無いんですが。

 久保先生。一護をはじめとした沢山の魅力的なキャラクターたちを生み出してくれて、本当にありがとうございます。15年前に中学生だったわたしにとって、一護は少し年上の先輩のような存在でした。いつの間にやら彼の年齢を遥かに追い越してしまい、それこそ自分の弟か息子でも見るような心持ちで彼の戦いを見守っていたんですが、今日、また少し一護に追い越されてしまいました。わたしにとって一護は、人生の半分以上を共に過ごしてきた、何者にも代えがたい友人です。彼とともに人生を歩んで来られたことを、心から嬉しく、誇らしく思います。本当にありがとうございました。

 

 というわけで、えらい長くなりましたが今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。