Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BLEACH』第680話「THE END 2」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週のBLEACHの感想です。

 

 本編の感想に入る前に、まず「BLEACH完結」の報について少し。今週のセンターカラー扉絵には「完結カウントダウン」のような文言が記載されています。「刻迫る――すべての物語、終焉まで●回!!」というアオリ文があって、その下に「J(ジャンプ)で圧倒的人気を誇ったBLEACHが完結を迎える!! ついに訪れる決着の刻まで一時も目を離すなッ!!」と続いています。

 この文言だけだと、正直、特に言うべきことは無いんですよね。「あと◯回で完結するよ(ただし具体的な数字は伏せます)」というだけのことですから、事実上何も言っていないに等しいので。あと3回で完結かもしれないしあと100回で完結かもしれない、などと言い出したらキリがなくなりますから、考えるだけ無駄です。

 ただ、本日発売の『BLEACH』第73巻巻末の次巻告知には「次巻、最終巻」と明記されているんですね。つまり、「74巻に収まる程度の話数で完結する」ということがここで分かります。

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久保帯人BLEACH』73巻巻末)

 〈千年血戦篇〉では単行本1冊につきだいたい10~11話ずつ収録されています。73巻には第674話まで収録されているので、完結はおそらく第685話あたりになるのかなという目測が立ちそうなんですね。

 ただ、ここで注目したいのが、73巻巻末に記載されている、次巻の「発売予定日」です。「2016年秋発売予定!」とありますよね。これ、従来の次巻告知とは明らかに異なる書き方なんです。

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久保帯人BLEACH』71巻巻末)

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久保帯人BLEACH』72巻巻末)

 このように、従来の次巻告知では、発売日をはっきりと記載するのが通例になっていたんです(ここでは一例として71・72巻の巻末のみを紹介していますが、他の巻でも同様に発売の日付が明記されています)。なのに今回の告知だけは「2016年秋」という時季の発表に留まっていて、詳細な発売日は記載されていません。これはなぜなのか。

 私の個人的な推量なんですが、センターカラー扉絵のカウントダウンで残り話数が伏せられていたり、次巻の発売日が曖昧にしか発表されていないのは、「あと何週で完結するのかがまだ確定していないから」であり、それゆえに「単行本の発売日を確定しきれていないから」だと思うんです。完結までの目処は立ったけど、具体的な話数まではちょっと分からない、みたいな状況なんじゃないかと。もちろん「74巻に収まる程度の話数である」というところは揺るがないでしょうから、どれだけ長引いても690話あたりまでには完結という運びになるとは思いますが。収録話数の都合で最終巻だけが異常に分厚くなるというのはよくあることですが、でもまあ常識的に考えればその辺りが限度ですよね。

 とはいえ、個人的な所感としては、残り数話という非常に限られた紙幅で物語を綺麗に完結させられるとはちょっと考えにくい、というのが正直なところです。「本誌での連載を一旦完結してから他誌へ移籍して改めて続きを描く」とかならものすごく納得できるんですけど、どうなんですかね。近年では『SOUL CATCHER(S)』なんかがまさにそのパターン(本誌→ジャンプNEXT→ジャンプ+)でした。現在の『BLEACH』は「本誌の読者アンケートでは低調だけど単行本はガッツリ売れる」という状況ですから、それこそジャンプ+のような基本無料公開のWeb媒体へ移籍することで「本誌の連載枠を空けつつ連載を続行して単行本の収益を維持する」というのは経営判断として十分にありうるかたちだと個人的には思うんですが。まああと二ヶ月もすれば自ずから分かることなんですけどね。

 

BLEACH』第680話「THE END 2」

 というわけで、今週の内容について。

 一護のなかの滅却師の力と、それと混じり合った虚の力――つまり一護の死神の力そのもの――が、ユーハバッハによって奪われてしまいました。力を奪われる瞬間の一護のモノローグに「力が消える まっしろに」とありますが、この表現は〈破面篇〉の最終話を思い出させるものがありますね。〈破面篇〉で、『最後の月牙天衝』の代償として一護は死神の力を失うことになったわけですが、そのときのサブタイトルは"Bleach My Soul"というものでした。霊的な力が消えてまっさらな状態に還ることを"bleach"の語に引っ掛けた表現で、今回の「まっしろに」というのもこれを踏まえたものでしょう。

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久保帯人BLEACH』48巻194,208頁)

 根元の部分だけわずかに残っていた虚のツノも完全に砕け散ったことで、どうやら本当に力を奪われてしまったらしいことが分かります。『全知全能』に加えて一護の力まで奪い尽くして我が物にし、さらにまたしても『聖別』を行なうことで星十字騎士団に与えていた力まで奪い返してしまったユーハバッハ、いよいよもって無敵という感が漂っていますね・・・。ここからどうやって戦えば良いのやら・・・。やはりカギは雨竜の『完全反立』なのかなと個人的には思うんですが。

 

 場面が変わって雨竜vsハッシュヴァルト。雨竜が自らの心の裡を語り始めます。一護をはじめとした仲間たちのことを一様に「自らの行動を天秤にかけて選択することができないバカな連中」と言いきっていますね。〈尸魂界篇〉でのルキア奪還にしても〈破面篇〉での織姫奪還にしても、そして今回の雨竜奪還にしても、彼ら(特に一護)は常に「仲間を守るために戦う」というところは一貫していました。「仲間を守る・助ける」という目的意識のためなら、自分の身に危険が及ぶような選択でも平気でしてしまう。そういう、損得勘定抜きで戦いに身を投じてしまうところをして雨竜は「バカだ」と言っているわけです。そして、そんな彼らと自分が似ているらしいということが、いまの雨竜にとっては「嬉しい」ことなんですね。とうとう雨竜の口から「お前は何者だ」に対する回答が明確に得られたと言ってよいでしょう。確固たる意思のもとに「僕らは友達だからだ」と断言する雨竜、最高にカッコいいですね。

 

 また、ここでさらに面白いなと思うのが、またしても「成長」という概念を引き合いに出しつつ、それを無批判に肯定しようとはしないところです。

 ハッシュヴァルトは「奴等と共に居る事がお前に利するとは思えない」「互いに高め合うのが仲間ならば お前が命を賭すべきは奴等ではなく陛下だ」と問い、雨竜はこれに対して「僕はその選択で彼等と共に居る事を選んだ」「だけどそこに利害は無い 正解も不正解も無い」「僕らは友達だからだ」と答えます。雨竜にとって一護たちは「成長」という「利」よりも大事なものであり、正しいとか正しくないとかの問題ではなく「ただ共に居たいと思う存在」、つまり「友達」なのだと、雨竜は宣言します。

 一般的な少年マンガの文法(というかお約束というか)に照らして考えると、「成長」という概念は肯定的に描かれることが非ッ常に多いものですよね。週刊少年ジャンプという雑誌が「友情・努力・勝利」という三つの柱を掲げていることはあまりにも有名ですが、それに連なる(あるいは部分的に包括すらされる)くらい重要なキーワードとしてこの「成長」という概念があるように思います。「勝利」につながる前段階にはほぼ必ず何らかのかたちで「成長」が強調して描かれるものですし、その「成長」は往々にして「努力」の報酬としてキャラクターに与えられるものになっています。「友情」を深めることが「成長」に繋がる、という描き方もありますね。

 いずれにしろ、いわゆる「少年マンガ」の文法は「成長」という概念ととにかく相性が良くて、基本それは全面的に肯定されるべきものとして描かれる傾向があります。にもかかわらず、『BLEACH』という作品では、(特に主人公であるところの一護に関わるかたちで)「成長」という概念そのものに何度も言及しながらそのたびにやんわりとした否定を繰り返し続けるという、一般的な「少年マンガらしさ」みたいなところからは相当逸脱した意識が通底しているわけですね。『BLEACH』を読むうえでこの点はきちんと押さえておきたいところです。

 ちなみに、週刊少年ジャンプの代名詞的に有名なこの「友情・努力・勝利」というキーワードについては、漫画研究者・泉信行さんのブログにて詳細な考察が展開されています。議論の出発点としては「少年ジャンプの"友情・努力・勝利"という編集方針が近年では"才能・血筋・運"へシフトしている」という言説への対抗言論といったところです。ぜひご一読あれ。

 

 そしてこの「友達だから利害も正誤も関係なく味方をするんだ」という回答が、ハッシュヴァルトの逆鱗に触れました。ちょっと人に見せちゃいけないレベルのガチギレ顔をしてますね・・・。まあそれも当たり前の話で、ハッシュヴァルトは、ユーハバッハに選ばれたことによってバズビーという友達と決定的に決裂してしまったわけですよね。ハッシュヴァルトの流儀に則って言えば「ユーハバッハとバズビー(=友達)を天秤にかけた結果、バズビーを捨て、ユーハバッハを選んだ」という話なわけで、ユーハバッハから強大な力を賜りながら友達を諦めるつもりもないという雨竜の態度は、都合のいい強欲以外の何物でもない、ずるいと感じられるのでしょう。だからこそ「ならばせめて命を捨てろ」と言って「何かを捨てる」ことを要求しているわけですね。

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久保帯人BLEACH』70巻10,22頁)

 

 そうしてハッシュヴァルトが剣を振り上げた瞬間、『聖別』の光が降り注ぎ、ハッシュヴァルトとジェラルドが力を吸い取られます。ジェラルドは巨体のまま白骨化していますからまず間違いなく絶命しているでしょう。ハッシュヴァルトも光を受けた瞬間に地面に膝を突いていますから、少なくとも無事ではなさそうです。

 そしてここで注目したいのが雨竜ですよね。9年前に続いてまたしても『聖別』の対象にならずに済んでいるらしく。しかも今回はユーハバッハの血杯を口にして聖文字を賜った後のことですから、間違いなく『聖別』の対象になりうるはずなのに、です。いよいよもって雨竜は只者じゃないぞという話になってきそうですね。

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久保帯人BLEACH』61巻59頁)

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久保帯人BLEACH』63巻92,93頁)

 

 そして場面は再びユーハバッハのもとへ。何処かへの門を創り、去ろうとします。セリフから考えれば、おそらく現世か地上の尸魂界かへ続いているのだろうと思われますが、穿界門とも黒腔とも異なるもののようなのでちょっと分からないですね・・・。

 そこへ恋次ルキアがたどり着きますが、すでに全てが終わったあとです。ここでユーハバッハが言っている「これから先の未来 お前達が最も大きな幸福を感じた瞬間を 選び抜いて殺してやるとしよう」というセリフですが、おそらくこれも竜弦のあのセリフに照らして見るべきなんでしょうね。

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久保帯人BLEACH』59巻185頁)

 「喜びや幸福がこの先の未来には待っている」と信じることでようやく人は未来に目を向けることができるのだ、という話はこれまで繰り返し述べてきましたが、その未来に待ち受けている幸福を「死」に直結させてしまうことで、未来を見据えるための原動力となってくれるものが本当に何一つ無くなってしまうんですよね。希望を抱いた瞬間に死ぬかもしれない、喜びを感じた瞬間に死ぬかもしれない、幸福だと思った瞬間に死ぬかもしれない・・・。死の恐怖がずっと付きまとってくる、地獄以外の何物でもありません。そしてユーハバッハの「"未来を改変する"力」ならそれが本当に可能なわけで、戦闘手段としても精神的な安定としても完全に逃げ道なしというか、さあ絶望するしかあるまいという感じになっていますね。ここからどう展開していくのか・・・ちょっと本当に見当がつきません。

 

 さて、今週の感想は以上なんですが、こうして実際の内容を読んでみても、やはりあと5回程度(最大限長く見積もっても10回程度)でこの物語がすべて片付くとはちょっと思えないんですよね。やはり掲載誌の移籍など、フィールドを変えるために一旦区切りをつける的なことなんじゃないかと思えてなりません。情報の開示がない限りはどれだけ考えても詮ないことなんですが。

 とにかく、今週もここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。