Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BLEACH』第679話「THE END」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週のBLEACHの感想です。

 

 先週の続きから。ユーハバッハは自らの「"未来を改変する"力」のことを「お前達の持つ力と何も変わりはしない」と言っていますが、その規模が明らかに違うんですよね。ユーハバッハの眼に映る無数の未来の全てを思い通りに改変できるということは、すなわち世界の命運を完全に掌握しているに等しいわけですから。「一護よ 未来を変えてみせろ それがどれほど素晴らしい未来だろうと 私はそれを"視ている"」というのはつまりそういうことのはずです。以前和尚が言っていたとおり、とても人間が刃向かえる相手では無さそうに見えます。「絶望してくれるなよ」というセリフの白々しさがやはり印象的ですね。

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久保帯人BLEACH』68巻25頁)

 

 絶望のあまり叫びを上げる一護とともに示された今週のタイトルは「THE END」。「終わり」ですね。一護の絶望そのものといったタイトルです。心情としては、破面篇で藍染に怯えていたときのそれに近いのではないかと思います。あまりにも大きすぎる力の差に対する絶望というか。

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久保帯人BLEACH』47巻35~36頁)

 

 場面が変わって雨竜とハッシュヴァルトの戦いへ。二人の聖文字がついに開帳されました。「範囲世界に起こる不運を幸運な者に分け与えることで世界の調和を保つ」『世界調和(the Balance)』という能力でした。やはりハッシュヴァルトは天秤モチーフでしたね。ただ、『世界調和』という表記と、「天秤の均衡を保つこと」がコンセプトになっているらしいのは個人的には意外でした。以前にも述べていたとおり、むしろ「天秤の均衡を崩す」能力だと思ってたんですよね。これだと「調整者」としての死神そのものといった風情にも見えます。

 とはいえ、「幸運と不運の釣り合いをとる」というキーワード自体はすでに登場していたんですよね。戦いに敗れた星十字騎士団・蒼都およびBG9を処刑するシーンでのことです。

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久保帯人BLEACH』62巻165、167頁)

 また、これには『身代わりの盾(フロイントシルト)』という能力も付随しているようです。ハッシュヴァルト本人に降りかかる不運を受け止めて跳ね返す、つまるところ反射盾です。『世界調和』によって攻撃を痛み分けにしたうえで、自分に対する攻撃をさらに跳ね返すという非常に強力な能力です。

 「フロイントシルト」という名前が非常にイイですね。これ、ドイツ語では"Freund Schild"と表記されるわけですが、これをそのまま直訳すると「友達の盾」となります。友達、つまり"friend"ですよ。ハッシュヴァルトとバズビーのエピソードに冠せられたタイトルがここで使われているわけです。自分の身を守ってくれる友達がハッシュヴァルトにはいるんだ、ハッシュヴァルトにとってもバズビーはやはり友達だったんだという話だと思うんですよ。バズビーとハッシュヴァルトの聖文字は互いの名前の頭文字を持ちあったものらしいという事実を踏まえるとさらに滾りますよね。

 

 これに対して、雨竜も聖文字で対抗します。『完全反立(the Antithesis)』という能力で、「指定した2点の間に"既に起きた"出来事を "逆転"させる事ができる」というものです。「アンチサーシス」とは、いわゆる「アンチテーゼ(これはドイツ語)」を英語で言ったときの発音様式です。アンチテーゼというドイツ語が圧倒的に広まっているため、英語で聞いてもいまいちピンと来ないかもしれません。この言葉、日本語では「反立」とか「反定立」とか言って、「ある肯定的な判断や命題に対して否定的な判断・命題を立てること、またそうして立てられた否定的な命題そのもの」のことをこう呼びます。「既に起きた出来事そのものに対して反立を行なう=出来事を逆転させる」という感じでしょうね。すでに存在している世界の有り様に対して反定立を突きつける、あまりにもかっこ良すぎる能力ですね。

 ハッシュヴァルトの言うとおり、この能力ならユーハバッハの『全知全能』にも対抗できそうです。「"既に起きた"出来事」に対してしか行使できない能力ゆえに常に後手に回ることにはなります(今回のハッシュヴァルトに対してもそうでした)が、「ユーハバッハが未来を改変して実現させた結果を後から逆転させる」というやり方で、対症療法的にではありますが抵抗はできそうです。ユーハバッハが干渉できる対象はあくまでも「未来」なので、「"既に起きた"出来事」に対しては雨竜のほうが一歩先を行きそうです。そう考えると、この『完全反立』は織姫の『事象の拒絶』にかなり近いタイプの能力に見えますね。「拒絶」ではなく「逆転」なので厳密には違うものですが。

 ただ、「ユーハバッハが未来を改変した結果として引き起こされた出来事を、雨竜が逆転させようとする」という行為自体も「ユーハバッハが視ている無数の未来」のなかに含まれるはずですから、その未来を改変されて亡きものにしまったらどうしようも無さそうという感じもあり、まあ何というかイタチごっこっぽいんですよね。こういう時間に干渉する感じの能力同士の戦いは、やはり蓋を開けてみるまで何とも言えんです。

 しかし、『全知全能』にしても『世界調和』にしても『完全反立』にしても、揃いもそろってザ・反則といった感じの超強力概念ばかりで本当に楽しいですね。時間とか事象そのものに手を出す系の能力が強いのは当然なんですが、そのなかでもかなり反則級のものばかりをバンバンに詰め込んだ感じが堪りません。

 

 そして、雨竜はまだ『全知全能』が「未来を改変する力」であるという事実を聞かされていないんですよね。だからこそ、自分の聖文字なら対抗できるかもという可能性をこれまで考えもしなかったのでしょうし、今もまだ勝負を完全には諦めていないのでしょう。ユーハバッハが雨竜に対して「お前には私の力を超える何かがある」と言っていました(このセリフは雨竜の聖文字が目覚めるよりも前に言っていたことなので、『完全反立』とは別の話と考えるほうが良いと思います)が、聖文字もまたユーハバッハに抗しうるものだったということですね。

 ハッシュヴァルトは、先に雨竜に言った「お前の姿が見えない」という言葉を撤回して、「お前は あの信じ難い程愚かな人間共と とても良く似ている」と告げます。これはつまり石田雨竜滅却師ではなく人間共の味方なのだ」ということをここで完全に確信したのだと思います。

 この戦いのなかで、ハッシュヴァルトは雨竜に「お前が秤にかけ 選び続けて為した筈のお前の姿が見えない」「お前は何者だ」と問いました。彼がこの問いを撤回し、「人間共と とても良く似ている」と述べたということは、いまやハッシュヴァルトには「雨竜が秤にかけ 選び続けて為した姿が見えた」ということですよね。そしてその姿は、滅却師の陣営に与するものではなく、愚かな人間共の味方であるらしいと。「自分は何者なのか」という問いについて雨竜自身がどういう回答を出すのかはまだ分かりませんが、少なくとも現時点においてハッシュヴァルトから見たところではそういう結論になったと、そういう話ですね。

 

 場面は再び一護とユーハバッハの戦いへ。一護、もはや為す術もなく転がされています。織姫も俯いて倒れているところを見ると、何らかの攻撃を受けたのかもしれません。一護は「予知されたとしても未来は変えられるはずだ」という薄い希望に縋って戦おうとしていたわけですが、「未来を改変する力」という種明かしでそれすら完全に打ち砕かれました。一護が「終わりだ」と思ってしまうのも無理はないと思います。私が何度か述べている「一護が"世界を変える力"を手にするのでは」という話についても、アレはあくまでもサブタイトルや巻頭フレーバーテキストまで広く踏まえたメタ作品的な視点からの推量ですので、作品世界の内側に住むキャラクターである一護がそこの可能性を自覚できないのは当たり前ですし。

 最後に、ユーハバッハが一護に与えた力を奪おうとするところで今週は幕です。「お前に与えた我が力」というのは「一護のなかの滅却師の力」のことですから、つまりは虚の力と併せて二刀一対の斬魄刀として打ち直された『斬月』それ自体を奪うということに他ならないでしょう。このまま本当に力を奪い取られてしまうのか、それともここで一護のなかの滅却師の力がついに解放されるなどするのか、非常に楽しみです。

 

 あと、今回の一護の諦めについて少年マンガの主人公らしくない」だとか「ここで諦めるなんて情けない」だとか言っている人をすでに複数見かけているので述べておきたいんですが、ここまでドン底のドン底まで突き落とされてもまだ諦めないほうがむしろ狂っていると思うんですよね。

 一護はそもそも、戦闘に関する状況判断などについてはかなり冷静なタイプのキャラクターとして描かれていて、自分の身の丈に合わないようなことは基本的には引き受けない慎重な性格の人物です。

 しかし、「それでもなお自分がやらねばどうにもならないという時には無理を押してでもやる」という意志の強さも持っていて、彼のアツさはそこにあるわけです。最初に死神代行を引き受けたことをはじめとして、ルキア奪還や藍染打倒やユーハバッハ打倒などはまさにその「自分がやらねばどうにもならない」という切迫した状況に駆られてのことでした。

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久保帯人BLEACH』1巻82頁) 

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久保帯人BLEACH』11巻119頁)

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久保帯人BLEACH』44巻88~89頁)

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久保帯人BLEACH』68巻125~126頁)

「必要に迫られてはじめて戦う」というのが一護という人物なのであって、常に考え無しで特攻するばかりのいわゆる「熱血バカ」的な造型からは全くかけ離れたキャラクターなんですね(「戦いにいちいち理由を求める」というのは一護の人格的特徴のひとつです)。もし一護がそういう熱血おバカキャラであったなら、周囲の人々の感情の機微に対してあれほど細やかに反応することなども到底できないでしょう。

 つまり、一護というキャラクターは「少年マンガの主人公」としてはわりと珍しいタイプというか、一言で言えば「いちいち理屈っぽくてナイーヴで面倒くさい(そしてそのせいで他人に対する気遣いが異常に上手くなった)男」の典型みたいなやつなんですよ(一言で言えてない)。戦闘のスタイルだけを見れば完全に物理&スピード特化型なんですが、それはあくまでも戦闘のスタイルだけの話であって、頭のなかは常にゴチャゴチャといろんなことを考えているという、そういうキャラなんですよ。

 まあ近年ではこういう「しっかり考える」タイプの主人公なんて特に珍しくもなくなりましたけどね。『ヒロアカ』のデクとか『ワールドトリガー』の修なんかが典型例です。

 で、一護はそういうやや頭でっかち気味なキャラであるということを念頭に置いて今週の状況を今一度見てみてほしいんですが、この状況でもまだ自分の勝利を信じ続けられるほど一護の脳みそはおめでたい造りをしてると思いますかという話なんですよ。

 「戦わなければならない」ということは当然分かっていても、まず理性の部分で「どうやっても勝てるわけがない」という結論がどうやったって先に出てしまうんですよ。極端な話、もし一護が何かしらめっちゃ頑張ってユーハバッハに勝ったとしても、「未来を改変する力」にかかれば「問答無用で負けたことにされてしまう」という話なんですから、ハッキリ言ってしまうと、これでもまだ勝てると思う人はそれこそ頭がどうかしているわけです。そういう圧倒的な絶望が端的に表れているのが「終わりだ」というモノローグだと思います。

 まあそもそも私は「主人公らしさ」とか「少年マンガらしさ」みたいな概念そのものが本当にどうでもいいというか、そういうジャンル意識みたいなものに縛られなければならない正当な理由など毛ほどもないと思っている人間なので、こういうタイプの作品批判(今回については作品批判にすらなっていない妄言だと正直思っています)に対してはわりと強めに相対していきたいなと思っている次第です。

 

 今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。