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Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。寄稿のご依頼などはhoahoahoashi@gmail.comまでどうぞ。

『BLEACH』第674話「Father 2」の感想・考察

BLEACH 考察 ジャンプ 感想

こんばんは。ほあしです。

今週のBLEACHの感想です。

 

BLEACH』第674話「Father 2」

 一護とユーハバッハの激突から。その合間合間に、余白部分を黒ベタで塗られた回想っぽいコマが挿入されていますね。空模様がじわじわと崩れて雨が降り始める様子を描いています。屋外で戦闘をしている他のシーンでは雨など降っていませんから、これは少なくとも「現在の真世界城ではない」ということがわかります。一護とユーハバッハは先ほどまで「自分のルーツ」「父と母」という話題について話していたわけですが、そういう話題に関係する「雨」のシーンといえば、おそらく9年前の6月17日、ユーハバッハによる最初の『聖別』が行なわれ、黒崎真咲が死に、片桐叶絵が倒れたあの瞬間なのではないかなと思います。これがもし本当に「回想」シーンであれば、の話ですが。

 逆に、もしこれが回想ではないとすれば、現在の一護の心象世界の様子を見せているのかなという感じが個人的にはします。一護が心乱せば空は曇り 一護が悲しめばいとも容易く雨は降る」という世界ですからね、あそこは。実際、今週の一護の表情はわりと鬼気迫るものがあるというか、あまり精神的な余裕が感じられなくなっていますから、ユーハバッハの言葉を聞いた一護が、強気な言葉とは裏腹に実は精神的なダメージをそこそこ受けていたらしいという読み方は普通に成立しそうです。

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久保帯人BLEACH』13巻90頁)

 とはいえ、余白部分黒ベタ塗りというのは典型的な回想表現のひとつですし、たぶん回想なんじゃないかなと思います。一護の戦闘と雨竜の戦闘とがほぼ同時進行で描かれていることも踏まえて考えると、今回は「雨竜から見た9年前の6月17日」を描くのかなとか、そういうパターンも考えられそうです。この部分、まだ一切触れられてませんからね。叶絵が亡くなった後の「解剖」シーンが一応描かれはしましたが、叶絵の死亡は『聖別』から三ヶ月ほど経った後のことですから、倒れた当日の様子については依然謎のままなんですよね。

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久保帯人BLEACH』60巻122頁)

 

 織姫の制止を無視して、一護は再びユーハバッハへ突撃します。ユーハバッハも言っていますが、やや冷静さを欠いているように見えますね。もはや負傷などお構いなしといった風情です。まあユーハバッハは母親の仇敵ですから、むしろこれくらいの憎悪をぶつけて当然ではあるんですが。

 捨て身にしか見えない一護に対してユーハバッハが続けて語っている内容、非常に興味深いです。「お前はいずれ私に喰らわれて死ぬ」という部分です。

 「喰らわれて」という表現がすごく気になります。「力を奪われて」とかじゃなく「喰らわれて」。今までユーハバッハは(というか滅却師全般は)、相手の力を自分のものにするときには基本的に「奪う」という言葉を使ってきたんですが、ここではなぜか「喰らう」という言い回しに変わっているんですよね。単なる修辞の問題という見方は当然できるんですが、私にはこの言い回しが、ある人物との符合に見えるんです。

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久保帯人BLEACH』47巻43頁)

 20年前、純血統滅却師である真咲を虚化させた張本人・藍染惣右介です。彼もまた〈破面篇〉の終盤で、大いなる力を身につけた一護に対して「喰らう」という言葉を用いていたんですよね。「霊王が統べている現在の世界の秩序を創り直して自分が新たな神になる」というユーハバッハと藍染の目的を踏まえると、この世界の「神」に比類する存在になるためには「一護を喰らう」ことが必要になる、というふうに解釈できます。つまり、一護が持つ力には「神」へ繋がる何かがあるのだと。まあこれも今まで散々述べてきたことですが。

 で、ですね。第668話の感想記事で、一護だけが持つ精神感応の力は、"周囲に在るものの心を取り込む"という崩玉の力によく似ている」という話をしましたよね。

 この辺とも繋がる話なんですが、結局、藍染やユーハバッハが一護を「喰ら」おうとするのは、一護という存在自体が、崩玉に(あるいは霊王に)よく似た「神」に近い代物だからなんじゃないかなと思います。

 そもそも崩玉とは虚化によって対象をより高次の魂魄へ昇華させる」という研究の過程で生み出された代物でした。

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久保帯人BLEACH』60巻86頁)

 本来それは「死神と虚の境界を取り払う」ための研究だったわけですが、一護の場合は、さまざまな偶然が重なった結果「人間と虚と死神と滅却師と完現術者の境界が無い魂魄」という無茶苦茶な仕上がりになったわけです。高次も高次、おそらく魂魄としてのレベルが普通の魂魄とは違うのでしょう。藍染やユーハバッハはここに目をつけているのだと思われます。

 実際、藍染は崩玉そのものを、ユーハバッハは霊王を、それぞれ自らの身に取り込むことで「神」に近い力を獲得しています。一護を喰らうことでさらに「神」へと近づけるであろうと彼らが考えても不思議ではありません。やはり崩玉と霊王の関係の実情が気になるところです。

 また、この見方は〈千年血戦篇〉のテーマのひとつと思しき「白い勢力と黒い勢力の宥和」という問題系にも符合するところが大きいんですよね。人間・死神・虚・滅却師・完現術者というすべての霊的な種族にまたがる存在であるところの一護は、すべての種族の間に横たわる断絶をつなぐことが、相反するもの同士の宥和をもたらすことが、越えられないはずの境界を破壊することが、可能な立場にあるわけです。

 死神と滅却師、死神と虚といった、本来なら相容れないはずの者たちが(一時的にせよ)手を取り合って戦うさまを私達はすでに見ています。そしてその中心には常に一護がいます。そういう立場にある一護が「魂魄間の境界を破壊するもの」であるところの崩玉と似た性質を持っているというのは、まあそんなに不自然な符合ではないだろうと私は思います。

 

 今週の内容に戻りましょう。巨大化したジェラルド相手に立ちまわるルキア恋次を、白哉一護の許へ向かわせます。「此処にお前達の力は必要無いと言っているのだ」という言い回しですが、白哉は以前にも同様の言葉を述べたことがありましたね。

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久保帯人BLEACH』44巻67頁)

 字面だけを見れば白哉のプライドの高さを思わせるような言い方ですが、どう見てもそれだけではないですよね。遠慮無く自分を置いていけるようにするための気遣いとしてこういう自信に満ちた言い回しをしているのであって、内容的にはいわゆる「ここは俺に任せて先に行け!」というアレです。一見すると冷たく見えることが多い白哉ですが、実は内側に熱さや優しさを秘めているのが彼なんですよね。身近な人物にはそれを結構見透かされているのもカワイイ。

 この白哉の判断に対して日番谷「友と人間とを守り死すべし」という霊術院での教えを引用して、死神としては友のために戦うことが「正しい」と言って支持します。これを白哉「正誤の秤」と表現し、また「死神らしい」とも言っていますね。なぜ「正誤の秤」が「死神らしい」のかと言えば、死神とは世界の魂魄の天秤を司る「調整者(バランサー)」だから、ですね。

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久保帯人BLEACH』6巻51~52頁)

 

 場面が変わってこの「秤」という言葉を受けるのがハッシュヴァルトです。やはり彼は「天秤」とは切っても切り離せない人物なのでしょう。「拮抗したその天秤を傾けるのが私の役目です」というセリフから言えば、彼こそはある意味「アンチ死神」の最右翼とも言えそうです。

 で、ここでのハッシュヴァルトと雨竜の問答なんですが、雨竜の返答がなかなか興味深いというか、かなり大事なポイントなんじゃないかなと。「お前が秤にかけ 選び続けて為した筈のお前の姿が見えない」「お前は何者だ」という問いは、つまるところ「雨竜がどういう価値観を持っているのか、何を正しいと思っているのか、誰の味方なのかが分からない」というくらいの意味合いになると思います。「振り分けられた正誤の破片が折り重なって人の姿を為す」というのは、つまりはそういうことのはずです。

 ハッシュヴァルトがこうした疑問を抱くのは、「雨竜は最初からユーハバッハに対して叛意を抱いていたはずなのに、なぜか滅却師としての立場を前提にした行動をし続けている」というあたりで混乱しているということかなと思います。「どうせ裏切るのであれば、滅却師としての生まれや立場など捨て去って自由に行動すれば良いのではないか」というのは誰しも思うことですよね。しかし雨竜は「自分は滅却師である」という点について、一定の責任感のようなものをずっと持ち続けていたんですよね。一護と雨竜が顔を合わせるたびに、この点は強調されていたように思われます。「滅却師が起こした戦いは滅却師である自分が片を付ける」というような、帰属意識に基づく責任感です。この辺については第660話の感想記事で詳しく述べています。

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久保帯人BLEACH』68巻154頁)

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久保帯人BLEACH』72巻147頁)

 このように雨竜は滅却師の一員として滅却師と敵対する」という、ある意味で「どっちつかず」というか、少なくとも傍目には内心がイマイチ見えにくくなるような振る舞いをしているわけですね。それに対して「お前は何者だ」という問いが出ているのだと思います。この疑問が出ること自体はさほど不思議ではありません。

 ただ、それに対する雨竜の答えが「そんなもの答えられるもんか」「僕にとってそれは君達を倒して漸く解る事だ」というものだったことが私には驚きなんですよね。「僕は滅却師だ」とは答えないんだな、と。雨竜は滅却師としての強い自覚と誇りを持つ少年であり、これまでの戦いでも、彼はあくまでも誇り高き滅却師を名乗り続けていました。まあある意味では滅却師としての立場・自意識に囚われ続けていたとも言えるわけですが、とにかく、そんな彼がここに来て「自分が何者なのか、自分でも分からない」という境地に至ったわけです。少なくとも「滅却師だ」と自信満々に答えることはできなくなったと。石田雨竜というキャラクターを語るにあたって、これは非常に大きな転換点にあたると思います。結局のところ雨竜は何者なのか、あるいは何者に「なる」のか、今後が楽しみです。

 

 そして場面が変わって。背景を見るに帝国のどこか屋外でしょう。一心&竜弦の父親コンビが参戦です。宗弦がはるか昔に持ち逃げしたらしい『太陽の鍵』を用いてやって来たとのことですね。ハッシュヴァルトは真世界城地下の『太陽の門』は破壊したと言っていましたが、城と現世とを往還するためには現世側にも『太陽の門』が準備されていたはずですから、竜弦らはそれを使って、城の地下ではない別の門へ渡ってきたのだと思われます。

 「手癖の悪い親を持った事を初めて感謝しよう」と竜弦が言っていますが、〈破面篇〉ではこの手癖の悪さを雨竜も学んでしまっているらしいことを窺えるシーンがあったのがちょっと面白いですね。

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久保帯人BLEACH』29巻131,134~135頁)

 宗弦って、なんかこう、「親の目を盗んで孫に余計なことばっかり教え込もうとするクソジジイ」的な趣があるんですよね・・・。竜弦の教育方針に明らかに反していた「滅却師としての修行」など、そうした「余計なこと」の最たるものと言えるでしょう。孫からの覚えはめでたいが、子供夫婦からの覚えは必ずしも芳しくない、というタイプのお爺ちゃんだったのかなと。また、宗弦が『見えざる帝国』から逃亡したのが「何十年も前」ということも分かりましたね。帝国から足抜けしたあと、現世で家庭を築いたのでしょう。逃亡の理由などについても気になるところです。

 また、一心が「自分の親をそんな風に言うからオメーも息子に悪く言われンだぜ」と竜弦をからかっていますが、このセリフも示唆的ですよね。「黒崎家は親子仲がそこそこ良好だけど、石田家はちょっとヤバいでしょ」というところを前提にした言い方です。

 黒崎父子は、父から子へ、その出生の真実を聞かせてやることで、己のルーツを、その実存の依って立つところを示してやり「息子の自立とそれを認める父」という段階をすでに迎えました。一方で石田父子の関係は、おそらく息子のほうが頑なに父を拒絶していることによって、未だにまともな対話にすらなっていない様子です。二つの父子の対照的な現状をそのまま示したかのようなセリフですね。父親たちが登場して早々「父と子の関係」に言及しているあたり、やっぱり久保先生はそこを意識的に大きなテーマとして位置づけているんだなと思います。石田父子の関係がどう転がっていくのか、本当に楽しみです。

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久保帯人BLEACH』60巻128頁)

 

 今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。