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Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。寄稿のご依頼などはhoahoahoashi@gmail.comまでどうぞ。

『BLEACH』第648話「THE THEATRE SUICIDE SCENE 2」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週の『BLEACH』の感想です。

 

BLEACH』第648話「THE THEATRE SUICIDE SCENE 2」

 一護らがナックルヴァールと会敵したようです。グリムジョーともども見失ったのを一度散開して探していたはずですが、少なくとも岩鷲・チャド・織姫らは会話ができる程度の距離に固まっているようですね。一護だけが少し離れて探索していたのかもしれません。一護がナックルヴァールに斬りかかろうとした瞬間に、京楽の卍解が解放されたんですね。先週までの京楽の口ぶりとしては、他の仲間を巻き込まないくらいの距離は取ったつもりだったようでしたが、それでもなお巻き込んでしまったのだとしたら、この卍解の影響範囲はその時時によって大きく変化するものなのかもしれませんね。で、今回は京楽の見積もりを遥かに超えて広大な範囲を巻き込んでしまったということかも。まあ一護らの現在位置がはっきりと分からないため、これについてはあまりはっきりしたことは言えませんが。

 ところで、今週のナックルヴァールの「あっちで寝てる」という言い方では、グリムジョーはまだ絶命してはいないように思われますね。あるいはすでに事切れたことを「寝てる」と表現しているだけなのかもしれませんが。

 

 今週のタイトルは「THE THEATRE SUICIDE SCENE 2」です。京楽の卍解に倣ってそれっぽく訳すなら「心中演劇・二段目」といった感じでしょうか。歌舞伎や文楽では、一つの演目を「段」と呼ばれる場面ごとに切り分けて上演します。この卍解もそれを踏まえているのだと思います。

 

 チャドたちと同様に異変を感じたリジェが地上に降り立ちます。この完聖体、変形まで出来るんですね。歩行形態もいい感じに人間離れしていて非常にカッコいいです。

 「暗く寒く感じさせる卍解というのが面白いですよね。チャドが「寒気」と表現しているように、これはあくまでも「世界の見え方・感じ方」が変わっただけであって、実際の気温や天候そのものが変わったわけではないという。「暗くて淋しくて絶望的に見えてるかい」という京楽の言葉もあわせて考えれば、これはおそらく「死への道行を歩く恋人たちが抱いている、悲惨で絶望的な心象風景」を実感させる演出のようなものなのだと思います。「この世ではどうしても結ばれることはないと悟り、せめてあの世で結ばれようと思い切って命を捨てる」というのがいわゆる「心中物」の大前提ですから、その恋人たちの胸中が晴れやかなものであるわけがありません。そもそも近世日本の芸能における「心中物」の大半は、当時実際に起きた心中事件に取材して物語として仕立て直したもの(こうした作品をとくに「世話物」と呼びます)ですから、筋立てとしてはかなり悲惨で救いが無いものがほとんどです。「人目につく場所で使うもんじゃない」という浮竹の言葉は、こうした悲惨な演出について言っていたのかもしれませんね。

 

 リジェは自らを「神の使い」と言っていますね。まさしく「天使」そのものを指す単語です。滅却師の軍勢はキリスト教モチーフですよ」というのをこれほど明快にわかりやすく提示してくれるといっそ清々しくすら感じます。

 

 リジェの『万物貫通』が市街をごっそり吹き飛ばしたところで、いよいよ京楽の卍解が威力を発揮します。『一段目』”躊躇疵分合”で、京楽の負わされた傷がリジェの身体にも現れます。刃物を用いた自殺にはためらい傷が付き物です。『二段目』”慚愧の褥”で、リジェが「癒えぬ病(おそらくは解除不可能な呪いみたいなもの)」をかけられます。心中で死にきれなかった人が心身を病むというのもよく分かる話です。『三段目』”断魚淵”で、リジェと京楽の霊圧量の比べ合いになるようです。明らかに入水自殺をモチーフにしていますね。「心中」という名前から「道連れ」系の能力かとも思いましたが、蓋を開けてみればかなり一方的に敵を攻め立てる能力のように見えます。霊圧量については京楽は(浮竹と並んで)昔から群を抜いて優れていたという話がすでに出ていますから、そうそう負けることはないように思われますし。

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久保帯人BLEACH』18巻129頁)

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久保帯人BLEACH』68巻107頁)

 ところで、「断魚淵」というのは島根県に実在する地名のようですね。

 断魚渓(だんぎょけい)は、島根県邑南町(旧石見町)に位置する渓谷である。(中略)断魚渓という名は、下流の神楽淵にある断魚の淵に因んでおり、鮎の遡上を遮ることから名付けられた。

 (断魚渓 - Wikipediaより引用)

 

 また、「幕の合間の…」以降の京楽のセリフを声に出して読んでみると、以下のようにほぼ完全な七五調になっていますね。浄瑠璃のテキストは基本的に七五調で書かれるものですから、それを踏まえてのものだと思われます。京楽自身も明らかに語り手の側に立った物言いをしていますし。

 

 幕の合間の

 語りはこれまで

 幕の最中は

 黙(だんまり)で

 さて 二段目

”慚愧の褥” 

 相手に疵を

 負わせた事を

 悔いた男は

 慚愧の念から

 床に伏し

 癒えぬ病に

 罹ってしまう

 あれよあれよと

 三段目

 ”断魚淵”

 覚悟を決めた

 ものたちは

 互いの霊圧の

 尽きるまで

 湧き出る水に

 身を投げる

 

 ところどころ七五調から外れてるじゃないかと思うかもしれませんが、実際の浄瑠璃のテキストもそこまでガチガチに七五調を死守しているわけではありませんから、さしたる問題にはならないと思います。形式に頑なにこだわることよりも文章の美麗さに価値が置かれる表現様式です。

 

 ところで、京楽の卍解の名前が先週披露されたものとは少し違っていますね。「黒松」だったのが「枯松(からまつ)」になっています。今週のジャンプに載っている京楽のこれまでの戦闘のハイライト(本誌398頁)にも「枯松」のほうで表記されています。先週の「黒松」という表記が単に誤植だったのか、あるいは久保先生が考えた末に名前を変えたのか。「くろ」と「から」とは音がよく似ていますから、何らかの連絡ミスなどで表記が勘違いされたという可能性もありそうですが、現時点ではよく分かりません。

 「枯松(かれまつ)」という単語について調べてみたところ、長崎県長崎市下黒崎町に「枯松神社(かれまつじんじゃ)」という神社があるようです。

  これは全国的に見ても珍しい「キリシタンを祀った神社」だそうで、江戸時代、この地域は禁教令下の隠れキリシタンの拠り所になっていたのだとか。この神社が『枯松心中』の元ネタになっているのかどうかはちょっと分かりませんが、少なくとも現時点ではそれと思わせるような描写は見当たりませんね。来週以降の描写を注視するほかないと思います。

 また、「黒崎」という名のこの地域にこういう背景があるという事実そのものが非常に興味深いですね。『BLEACH』における「黒崎家」はもともと純血統滅却師(繰り返しになりますが滅却師という種族はキリスト教がモチーフです)の生き残りですから、「黒崎」という家名の由来はここにあるのかもしれません。

 

 それと、京楽の卍解の名前についてもう一つありそうな可能性として、「『花天狂骨』の卍解には名前が二つある」という線も一応考慮に入れておいてもよいのかなと思うんです。『花天狂骨』はもともとが二刀一対の斬魄刀ですし、先週の最後のコマで現れていたはずの「黒松の影」や「女性の人影」が今週は忽然と姿を消しています。「『枯松心中』で殺しきれなかった場合のために『黒松心中』もあって、先週現れていた「影」は『黒松心中』の能力だよ」みたいな、二段構えの卍解だったりするのではないかなと。総隊長ならそれくらい無茶苦茶な斬魄刀を持っててもいいと思うんです。元柳斎の『残火の太刀』もかなりいろいろ出来る卍解でしたし。

 

 今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。