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『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

『BLEACH』第641話「BABY,HOLD YOUR HAND 4[When I am sleeping]」の感想・考察

こんばんは。ほあしです。

今週のBLEACHの感想です。

 

BLEACH』第641話「BABY,HOLD YOUR HAND 4[When I am sleeping]」

 ネムが危惧していた涅の変調というのは、薬品の持ち忘れによるものだったのですね。たしかに、常に十重二十重の準備を整えてから戦いに赴く涅ですから、いつも必ず触るはずの棚を触らず、補肉剤すら持ち忘れていたというのは、少なくとも「いつもどおり」とは言いがたいですよね。ネムが懸念を抱くのも無理からぬことのように思えます。涅も言っていますが、ネムは涅のことを「気味が悪い」ほどに「良く見ている」んですね。涅がそのように育てたからなのか、あるいはネムの愛情ゆえなのか。

 ただ、ネムから涅への気持ちというのは、愛情というより、「道具が持ち主に対して抱く忠誠心」みたいなもののようにも見えるんですよね。「この持ち主の力になりたい」「この持ち主のために自分の力を余すところなく発揮したい」みたいな、そういう「道具としての健気さ」とでも言うんでしょうか。少なくとも、一般的な意味で「娘が父へ抱く愛情」というようなものからは相当かけ離れた心理のように見えます(そもそも一般的な意味での父娘関係を想定した場合、涅のような「父親」はまず愛されそうにありませんし)。ネムが最も好んでいる呼び名が「七號」という人造人間としての通し番号であるというあたりにも、そういった精神性が窺えます。「涅マユリの娘」というよりも、「涅マユリの所有物」とでも言ってしまった方が、彼女のアイデンティティのあり方にはより近いのかなと。

 涅と雨竜の戦いのあとでネムが話していた言葉にしてもそうで、「あんな親でも居た方がいいんですか…?」という雨竜の問いに対して、ネムは「わかりません」と前置きした(=一概に肯定はしない)うえで、「生きているのがわかった時…少し安心したから…」と答えているんですね。涅のことを必ずしも「親」として見ているというわけではなさそうなんです。「”親”として大事に思っているのかと訊かれるとよく分からないが、少なくとも生きていてほしいとは思う」くらいの、なんとも言えないニュアンスの感情のようなんですよね。自分自身を「涅マユリの役に立つために造られた道具」と見なしていて、それゆえに「自分の所有者としての涅マユリが居なくなってしまうと(自分の存在する理由が無くなってしまうから)困る」とか、そういう行動理念がネムの中にはあるんじゃないかなと、そんなふうに思いました。

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久保帯人BLEACH』15巻56~57頁)

 

 今週のタイトルは「BABY,HOLD YOUR HAND 4[When I am sleeping]」です。括弧内のフレーズを直訳すると「私が眠っているとき」ですが、このフレーズにどういう意味合いがあるのか、正直言って現時点では全くわかりません。"sleep"という語から考えればおそらくはネム(=『眠七號』)に関係しているのですが、もしかすると、来週以降の内容と併せて読むことで初めて意味がわかるというタイプのタイトルなのかもしれません。今週の終わり方は、いかにもネムか涅あたりの回想から始まりそうなヒキになっていますし。

【2015年9月7日22:23追記】

 と思ったんですが、今回のタイトルについて、あり得そうな解釈にひとつ思い至りました。

 それは、”Baby,hold your hand when I am sleeping.”というふうに、タイトル全体をひとつの文と見なして読んでみる、というものです。こうすると、「愛しい人、私が眠っている間は手を繋いでいてください」というような、愛する人へお願いする言葉になるんですね。おそらくは恋人同士か、さもなくば子から親へ(つまりネムからマユリへ)向けたものという読み方が主になるかと思いますが、マユリからネムへの懇願として読むことも現時点では可能でしょう。”BABY”と”I”とがそれぞれ誰を指しているのかまだ判然としませんから、どれと断言はできませんが。今週の締め方からして、ネムとマユリのどちらか(あるいは二人とも)が絶命しても全く不思議ではありませんから、今際の際にこの言葉がどちらかの口から出て来たりするかもしれません。

 それにしても、久保先生のこうしたタイトルの使い方は見事だと思います。最初は「霊王の左腕」であるペルニダに対する挑発の言葉としか考えられなかったフレーズが、涅親子の心のつながりを示唆するような言葉へと変貌してしまったのですから。脱帽です。

【追記ここまで】

 

 飛廉脚シューズを使って、涅はとうとう空を飛び始めました。自らの霊圧で足場を作って空中に立つことができる死神といえども、空中を「飛行」するのは基本的に不可能(天賜兵装クラスの道具による補助が不可欠)のはずですから、この飛廉脚シューズは、実は天賜兵装に匹敵するレベルの発明品なのかもしれません。

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久保帯人BLEACH』14巻31頁)

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久保帯人BLEACH』18巻108頁)

 屹立した三本の「左腕」による神聖滅矢の波状攻撃、圧巻ですね。ペルニダに”神経凝固剤”を打ち込んで活動を止めるという作戦ですが、ここでも「血」が戦術のカギになっています。「血装」といい、ジジの『死者(the Zombie)』といい、ナックルヴァールの『致死量(the Deathdealing)』といい、〈千年血戦篇〉と銘打っているくらいですから当然なんですが、つくづく「血」にまみれた戦いだと思います。思えば涅の『金色疋殺地蔵』も、そもそもは「涅の血液から精製した致死毒を撒き散らす」という能力でしたね。

 

 ペルニダの口調が、今度は剣八のような粗暴なものに変化していますね。これを見た涅の「神経を繋いだ全てのものの情報を吸い上げて進化している」という推量は、ペルニダの振舞いを見るかぎりではどうやら信用してもよいようです。剣八の喋り方だけでなく、『魔胎伏印症体』の能力そのものまで獲得しているようですから、神経を介して得た情報を元にして成長しているのは間違いないでしょう。もっとも、これが霊王の左腕が司る前進の権能によるものなのか、あるいはペルニダが持つ滅却師能力(周囲の霊力を奪って戦う能力)の一環なのかは判断しかねるところですが。この辺りはペルニダの正体ともあわせて考える必要があるでしょうから、いまは保留です。

 また、涅が「神を否定する者」という役割を与えられている、という話はこれまでにも述べてきましたが、そういう役割を持つはずの涅が、聖書の一部を構成する書物である「マタイ福音書」にあやかった能力を行使しているのは妙な話ではあったんですよね。しかし、この『魔胎伏印症体』は、もしかしたら今週行なわれた「ペルニダ(=神)の奇跡的な再誕」を演出するための布石として準備されたものなのかもしれないなと思いました。体表の皮膚が剥がれて復活したペルニダの手首にアスタリスクの紋章が直接刻まれているところを見ても、ペルニダがいよいよ「神」としての性質を獲得しつつあるように考えられます。「神を否定する者」であるはずの涅が準備した武器によって逆に「不全の神」の神格を高めてしまうというのは、涅にしてみればたいへん皮肉な話ですが。まあ、ペルニダがそもそも「霊王の左腕」である以上、ある程度の神性を具えているのは当然なんですけどね。

 

 ペルニダ復活からの完全な不意打ちに反応しきれず一転して窮地に立たされる涅と、それを見て即座に涅を助けに動くネムを描いたところで、今週は終わりです。涅親子にとってはあからさまに不穏な気配が漂う展開となっていますが、果たしてどうなることか。ネムが涅を庇う、涅がネムを庇う。どちらも同じくらいありうる流れだと思います。[When I am sleeping]というタイトルがどのように繋がるのかも含めて、次回を楽しみにしておきましょう。それにしてもネム、デカいですね。何がとは言いませんが、デカい。大好きです。

 

 今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

 それでは。