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Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。寄稿のご依頼などはhoahoahoashi@gmail.comまでどうぞ。

『BLEACH』第622話「The Agony」の感想・考察

こんにちは。ほあしです。

今週の『BLEACH』の感想です。

 

BLEACH』第622話「The Agony」

 藍染惣右介が地下監獄から地上へ出てきました。開口一番にルキアへ皮肉っぽい賛辞を投げている辺りにその性根の悪さがうかがい知れますね(今更ではありますが)。ルキアをはじめとした隊士らは揃って藍染の解放に異を唱えますが、京楽はこれを「面子じゃ世界は護れない」として斬って捨て、「悪を倒すのに悪を利用する事を ボクは悪だとは思わない」と言いきります。『BLEACH』で繰り返し提示されている「戦争における善と悪」という命題についての新たな言及ですね。

 これはじつに京楽らしい考え方だなと思います。彼に言わせれば「大人が誇示したがるもの」であるらしい「面子」というものに対して、彼自身はほとんど執着を持っていないようですから。また、「護廷」という最大の目的を完遂するためには悪人の力を借りることすらも厭わない辺りにも、「自分の正義を貫く」という彼の考え方が見て取れます。

いまにして思えば、「剣八」と呼ばれる大量殺人鬼(=本来ならただの罪人)が代々十三隊隊長格の一端に据えられているのも、「護廷」のためにはあらゆる手段が正当化されうるという思想の表れなのかもしれませんね。更木剣八に斬術を仕込むためだけに卯の花を死なせたというのも、普通は道義的に許されないことですし。一介の隊長から総隊長に就任した現在の京楽にとっては、「尸魂界を護る」ことこそが何を措いても果たすべき「自分の正義」になっているのでしょう。

勿論、亡き師である元柳斎の遺志を継ごうという部分も多かれ少なかれあるでしょうし、「神掛」によってその命を終えてしまった最大の盟友・浮竹の犠牲を無駄にできないという思いもあるでしょう。霊王がすでに死んだいまとなっては、従来想定されてきたような意味での「護廷」が本当に叶うかどうかはきわめて怪しいところですが、そもそも浮竹と京楽は、「霊王の死」をかなり現実味のある状況として前もって想定したうえで行動していましたから、そういう昔ながらの意味での「護廷」を遂げる気があるのかどうか微妙なところではあります。

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久保帯人BLEACH』12巻77頁)

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久保帯人BLEACH』18巻140頁)

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久保帯人BLEACH』58巻114~115頁)

 

 話を戻します。やはりと言うべきでしょうか、もはや藍染は刀を振るうまでもなく十分に戦えるようです(そもそもすでに斬魄刀を失っているのですが)。他の隊士らが刀で払いのけることしか出来なかった「霊王の力の奔流」を、彼は鬼道の一撃で根こそぎ消滅させています。藍染がこういうレベルの力を持っているのであれば、たしかに全身の封印を解いてやる必要は無さそうですね。身体を動かさなくても戦える者があえて身体を動かせるようになる必要など無いわけですから。

京楽が藍染に期待している働きは、やはり霊王やユーハバッハが持つ埒外の力への対処なのではないかと思います。この戦いの中で藍染の興味を惹くものといえば、「霊王」が死んだ後始末をどう付けるのかという点になるでしょうから。そもそも彼がただの戦闘要員として働いてくれるとは思えませんし、「ボクらの利害はきっと近いところにあるんじゃないかと思ってる」という京楽の言葉もありますし。

 

 研究室に退避したときの白哉とのやり取りからも、京楽がまず「護廷」を第一の目標に据えて行動しているらしいことが分かりますね。自分が仲間達からどう恨まれ罵られようが気にするつもりもないようです。

 今週のタイトルは「The Agony」。一般名詞としては「苦悩・苦痛」を意味する言葉です。「護廷」のために藍染のような者の力まで借りなければならないことに対して死神たちが感じている苦悩や屈辱を表しているものと思います。

また、大文字で「the Agony」という場合、キリスト教神学では、イスカリオテのユダの裏切りによってイエスが逮捕される前夜、磔刑を受けることになる苦悩をイエスが嘆きながら祈ったことを意味します(詳しくはゲツセマネの祈りキリストの捕縛を参照)。

 藍染はこれまでも繰り返し「神」になぞらえられていますし、現在は「無間」を出るために自らの意志によって椅子に磔にされていますから、「磔刑にされるために自らすすんで逮捕されたイエス」のありさまになぞらえたタイトルなのだと思います。しかもいま藍染が座らされている椅子は「無間の磔架と同じ作り方をされている」と明言されていますから、この椅子はやはり神を封印するための十字架に等しいものとして描かれているのだと言えるでしょう。

「Return of the God」という非常に分かりやすいタイトルも、つい最近ありましたね。藍染が「神」になぞらえられている描写を一度記事にしてまとめた方がよいかもしれません。いままでは〈破面篇〉の解説のときに軽く触れた程度でしたし。

 

 藍染は『黒棺』の重力によって暗闇の天蓋を破壊し、霊王宮すら地上に撃ち落としてやろうと宣言したところで今週は幕です。

「霊王宮へ行けないなら霊王宮を落とせばいいじゃない(マリー・アントワネット風)」。

本当に実行できるのかどうかは措いておくとして、さすがにこの発想はありませんでした。というか、この発想は、霊王がすでに死んでしまった(=霊王宮を護ることの戦略的な価値がほぼ失われた)らしいことが分かっているからこそ口にできることなんですよね。基本的には霊王を守るために霊王宮へ行こうとしているのに、そのために霊王宮を破壊してしまっては元も子も無いわけですから。本当に藍染が霊王宮を撃ち落としてしまう(そうなると地上に置き去りにされた滅却師たちの反応が気になるところです)のか、予定通り「門」を創って霊王宮へ向かうのかは分かりませんが、楽しみにしておきましょう。

 

 今週の感想は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。