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Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。寄稿のご依頼などはhoahoahoashi@gmail.comまでどうぞ。

深読み4 ~ユーハバッハの最終目的~

こんばんは。ほあしです。

今回は、ユーハバッハが〈千年血戦篇〉で世界に戦いを仕掛けた最終目的は何なのかを探ってみます。それと同時に、『BLEACH』世界の構造や、作品全体に通底するテーマなどについてもお話ししてみようかと思います。例によって、作中の描写をその手掛かりとしながら。

 

※本記事には『BLEACH』単行本未収録内容のネタバレを含みます。本誌未読の方はご注意ください。

先日、Twitterで、こんなことをふと思ったんです。

 Twitterでの発言なのでイマイチ断片的でとりとめの無い話にしかなっていないのが申し訳ないのですが、この辺りの考えをまとめておこうというのが今回の記事の目的です。

 

ユーハバッハの最終目的=「生と死の入り混じる渾沌」?

200年前の滅却師殲滅作戦

 〈千年血戦篇〉においてユーハバッハが戦いを仕掛けた目的が「霊王を殺すこと」にあるらしい、というのはすでに明らかですよね。

 では、彼はなぜ霊王を殺そうとするのでしょうか。世界の「楔」である霊王を殺せば世界は崩壊してしまうというのに、彼はそんなことをして一体何を得ようとしているのでしょうか。

 それを考えるヒントとして、200年前の滅却師殲滅作戦の時に危惧された、ある「現象」のことを思い出してみましょう。

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久保帯人BLEACH』6巻51~53頁)

 200年前の滅却師たちは、現世と尸魂界間の魂魄バランスを大いに乱したことで、世界崩壊の危機を招きました。それを放置しておけば最終的には現世と尸魂界の境目が崩れ、「生と死の入り混じる渾沌」が生まれるかもしれない、という危惧が尸魂界側にはあったわけです。だから200年前、滅却師は滅ぼされてしまった。

 筆者は、この「生と死の入り混じる渾沌」を生み出すことこそが、ユーハバッハの最終目的ではないかと思うのです。200年前の滅却師たちが死神に滅ぼされるまで魂魄の滅却を止めなかったのも、この作戦行動に従事していたからだとすれば説明がつきます。少なくとも、「霊王を殺して世界を崩壊させ、それとともに私も死ぬ」などという無理心中まがいのことを考えるようなタマではないでしょう。だとすれば、ここでさらなる疑問が生じるはずです。

ユーハバッハは、なぜ「生と死の入り混じる渾沌」を生み出したいのでしょうか。

 

「生と死の入り混じる渾沌」=ユーハバッハが目指す「平和」?

 ユーハバッハは、「平和」という言葉をたびたび口にしています。皇帝補佐として仕えるハッシュヴァルトも、そのような主旨の発言をしています。

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久保帯人BLEACH』55巻103,118頁)

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久保帯人BLEACH』56巻77頁)

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久保帯人BLEACH』61巻129頁)

 これらの発言に鑑みるに、ユーハバッハはこの戦いが「平和」に繋がるものであると考えているらしいことが分かりますね。霊王を殺して世界を崩壊させることによって平和な世界を創ることができるのだ、という意識があるようです。

 わたしは、「生と死の入り混じる渾沌」こそが、ユーハバッハの思い描く「平和」のあり方なのではないかと思うのです。だからこそ、彼は霊王を殺し、世界を崩壊させようとしているのではないか、と。

 先程も言ったように、ユーハバッハは、争いの絶えない世界に嫌気が差して世界中を巻き込んだ無理心中を図るほど繊細な人物には見えません。「この世界の全ては私が奪い去る為にあるのだ」などという言葉を本気で口にできるほどに傲慢な精神性の持ち主です。ということは、「霊王を殺して崩壊した後の世界でも、魂魄は生き残ることが可能である」という目算がユーハバッハにはあるはずなんです。このことは、第615話でユーハバッハが語っていた「霊王の役割」からも推測できます。

『BLEACH』第615話「All is Lost」の感想・考察 - Black and White

 「霊王は大量の魂魄が出入りする不安定な尸魂界を安定させる為に創られた」とユーハバッハは語っています。これはすなわち、「霊王が創られて魂魄運行の流れが安定化するよりも前から、この世界には魂魄(=生命)が存在していた」ということを意味します。であれば、霊王を殺して魂魄運行の安定を破壊したとしても何らかのかたちでこの世界は存在し続けるし、魂魄もまた存在できるはずです。つまり、「霊王を殺したとしても世界そのものが消えて無くなったりはしない」はずなのです。ただ、従来の世界のあり方とは違う「生と死の入り混じる渾沌」へ変化するというだけで。

 という具合に、ユーハバッハの最終目的を考えてみることで、『BLEACH』世界の仕組みそのものにも迫ることができました。

 

 また、この仮説は、以前にご紹介した「ユーハバッハの正体」に関する仮説と併せて考えてみると、より納得度が高まるように思います。 

 ユーハバッハが「生と死の入り混じる渾沌」を生み出そうとするのは、他でもない彼自身が「人間と虚(=生者と死者)の間に生まれた存在」だからである、という考え方です。この考えでいくと、ユーハバッハは自分の「同類」を欲しているのかもしれない、というセンでの推測もできそうですね。

生者の世界と死者の世界がはっきりと分断された現在の世界では、人間と虚の子供などほとんど生まれようが無いでしょう。現に、ただ虚の力を強く受けただけの存在である「完現術者」ですら、ごく少数のイレギュラーな存在として描かれています。

しかし、「生と死の入り混じる渾沌」と呼ばれるような世界が仮に実現されれば、人間と虚の垣根は今よりもずっと低くなるのではないでしょうか。人間と虚の間で心の交流は可能であるということは、〈破面篇〉を通じてはっきりと描かれています。織姫とウルキオラの「心」に関する問答はもちろんですし、一護たちはネル・ペッシェ・ドンドチャッカの三人と強い絆を得ています。そういう状況であれば、人間と虚の間に子供が生まれることもおそらく普通に起きるでしょう。そういう世界を、ユーハバッハは望んでいるのかもしれません。

 『BLEACH』ではこれまで、藍染惣右介や銀城空吾など、特異な力を持つが故に大きな「孤独」を抱えてしまった人物が、「仲間」のために戦う一護と対比的に描かれてきています。ユーハバッハについても、そういった描き方が為される可能性は考慮に入れてよいと思います。

 

 しかも、先に列挙したTwitterでの発言の中でもすでに言ったことですが、ユーハバッハの母親が人間で、父親が虚であったと仮定した場合、それは恰も聖母マリア処女懐胎のように見えてこないでしょうか。

普通の人間の目には、虚の姿は見えません。つまり、周囲にいる「人間」の男とは交わっていないはず女性が子を身籠り、その女性が本当に子を生み、しかもその子が「触れた者の欠落を埋めてくれる」という奇蹟のような力を持っているという話になるわけで、そこに「宗教的な背景」を見出されたとしても不思議はないでしょう。たとえば聖書宗教の唯一神YHWH」と同一視されるといったようなかたちで。

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久保帯人BLEACH』63巻82,84頁)

このように、彼がユーハバッハ(=YHWH)という神の名を僭称するに至った経緯を考えるにあたっても、この仮説はそれなりに有効に機能してくれるように思います。「見えざる帝国」=キリスト教的宗教団体、という読み方がより説得力を増してきたのではないでしょうか。


作品テーマとしての「生と死の狭間」

「生と死の狭間」=「生命や心を失うことで新たな力を得る」

 『BLEACH』という作品全体に通底するテーマとして、「生と死の狭間を描く」というようなものがあると私は思うんですね。そのテーマを作品中で最も分かりやすく体現しているのは、「死神の虚化」や「虚の死神化」でしょうか。〈千年血戦篇〉に入ってからも、様々なアプローチで「生と死の狭間」のような状態が描かれています。生者が死者へ近づき、死者が生者へ近づく。「生きている者と死んでいる者の境界が失われてゆく」という表象が『BLEACH』という作品には溢れかえっています。この話は、「生命や心を失うことで新たな力を得る」という趣旨で、こちらの記事で大きく触れたことです。

 もちろん、この記事で挙げたもの以外にも、「生と死の狭間を描く」というテーマに符合するような描写はあります。この記事の公開以降にジャンプ誌上で展開された描写については、当然ながら記事内でフォローできていないわけですし。しかしここでは、〈千年血戦篇〉よりずっと以前に描かれている、とりわけ象徴的ながら「一見すると大した意味はなさそうに見える」というシーンをご紹介します。

 

「生きながら死んでいる」という言葉

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久保帯人BLEACH』26巻109頁)

破面篇〉の序盤、一護虚化修行を傍観しているラヴとローズの雑談です。今までにも何度かご紹介してきたような、「もしごっそり削って別の内容に差し替えたとしてもお話の展開としては全く困らない」というタイプの会話です。

ここでラヴが引用している「お前はもう死んでいる」という言葉は、明らかに『北斗の拳』の主人公・ケンシロウの決め台詞でしょう(ラヴの手の中にある単行本の裏表紙には「JC(=ジャンプ・コミックス)」のロゴマークが見て取れます)。この台詞についてのラヴの深遠な解釈を聞かされたローズは、「そんなシーレみたいなセリフじゃないよ」と返しています。

ローズの言う「シーレ」とは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したオーストリアの画家、エゴン・シーレのことと思われます。

エゴン・シーレ - Wikipedia

 シーレが生前に残した言葉として、「あらゆる者は 生きながら死んでいる・・・」というものがあるようです。ローズが「そんなシーレみたいなセリフじゃないよ」と言ったのは、この言葉への連想があったからでしょう。

シーレのこの言葉を調べるに当たっては、こちらのサイト(http://www.diegoro.net/contents/03.html)の記載を参考にしました。また、このサイトに記載されているシーレの言葉は、一部を除き、二玄社から発行されている下記の書籍からの抜粋であるとのことです。わたし自身がこの書籍に当たって確かめたわけではないので、本記事での引用はいわゆる「孫引き」に等しいものになってしまっていることをご承知おきください。

エゴン・シーレ 魂の裸像 (ART&WORdS)

エゴン・シーレ 魂の裸像 (ART&WORdS)

 

 繰り返しになりますが、ここでのラヴとローズの会話は、仮にその全てを削って別の内容に差し替えたとしてもお話の展開上特に困らないであろう、取るに足りない雑談です。そういう会話の中で、わざわざ他の漫画作品や西洋画家の言葉を引用するかたちで、『BLEACH』という作品のなかで繰り返し描かれている「生と死の狭間」という表象を強調して引き立たせるようなキーワードを登場させているわけです。わたしはここに、久保帯人先生の創意というか、遊び心を感じずにはいられません。作品テーマの一端をこういうところで仄めかしておいて、読者がそれに気付いてくれるかどうかを密かに楽しみにしているのではなかろうかと考えてしまいます。

 とはいえ、ここで述べたことは全てわたしの憶測にすぎず、何もかもが大外れに終わる可能性もあるわけですから、物語の決着もついていない現時点ではあまり真に受けないようにと言いますか、「とにかく漫画本編で描写される事柄が全てである」ということは忘れずにいたいものです。

 

おわりに 

 「生と死の入り混じる渾沌」という、作品中に登場するキーワードに沿って『BLEACH』という作品を眺めてみましたが、いかがだったでしょうか。楽しんで頂けたなら幸いです。

 

 今回の記事は以上です。

 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

 それでは。