Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

深読み3 ~石田雨竜とその家族について~

こんばんは。ほあしです。

今回は、石田雨竜とその家族について思うところを述べていきます。

石田家という家族については今後の〈千年血戦篇〉のなかで大きくフィーチャーされるであろうと考えられます(なにせ「血」をテーマにした物語です)から、今のうちにまとめておきたいのです。

「自分のルーツ」としての「家族」

深読み2 ~「滅却師の未来」に関する幾つかの覚書~ - Black and White

 

 こちらの記事で、〈千年血戦篇〉は、一護が「自分のルーツ」と向き合うための物語としての側面を持っていると述べました。そして、一護と対になる存在として描かれている雨竜もまた、一護と同じように「自分のルーツ」と向き合うことになるだろう、とも。

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久保帯人BLEACH』59巻135頁)

ここでいう「自分のルーツ」とは、やはり「家族」のことであると筆者は思うのです。人間にとっての家族、とくに両親や祖父母というのは、その人間が生まれるまでに受け継がれてきた「血脈」そのものですから、〈千年血戦篇〉が孕んでいる「血」というテーマにもそのまま合致します。一護が自分の家族について真実を知らなかったように、雨竜もまた自分の家族やその過去について、何か知らなければならないことがあるのではないかと思うのです。今回はそういう「雨竜が知らなければならない石田家の過去・秘密」について、現時点で提示されている情報を基にアレコレ勘繰ってみようというわけです。

 

石田竜弦の「守りたいもの」

滅却師の修行をするな」

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久保帯人BLEACH』15巻13頁)

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久保帯人BLEACH』22巻29頁)

 雨竜の父親・竜弦(りゅうけん)は、雨竜の幼い頃から「滅却師の修行をするな、死神には関わるな」と言い続けていました。しかし心根の優しい少年だった雨竜は虚に襲われる魂魄を捨て置くことができず、祖父・宗弦(そうけん)の指導の下、滅却師としての鍛錬を重ねます。

 そもそも、なぜ竜弦は、雨竜を死神と関わらせまいとするのでしょうか? なぜ雨竜に滅却師としての道を歩ませまいとするのでしょうか?

それは、雨竜を戦いから遠ざけるためではないかと筆者は思うのです。つまり、竜弦は雨竜のことを守りたかったのではないか、と。

この発想は、冷血漢を絵に描いたような現在の竜弦からは想像もつかないかもしれません。〈千年血戦篇〉で明かされた「20年前の出来事」を参照しながら、これを確かめてみましょう。

 

真咲との訣別

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久保帯人BLEACH』60巻15,19,95,105~106頁)

 20年前の竜弦は、純血統滅却師という貴重な血統を保持することが自分の使命だと考えていました。「純血統滅却師は易々と血を流すべきでは無い」というセリフがその信念を物語っています。「滅却師の修行をするな」と息子に言い聞かせ続けている現在の人物像とは、似ても似つきません。

また同時に、従妹でありながら半ば婚約関係にあった真咲のことを、「純血を保持するため」という大義名分を超えて本心から愛していました。このことは「真咲の虚化を防ぐためには、真咲は一心と生涯を共にしなければならない」という事実を突きつけられたときの竜弦の打ちのめされようを見れば容易に推察できますし、上記の画像にあるとおり、一心の「恩人を見殺しにした自分を、明日の自分は笑うだろう」というセリフ(真咲とほぼ同じ言葉)を聞いたあとの悔しげな表情もそれを物語っています。「真咲は自分よりも一心と結ばれた方が幸せになれるだろう」ということを、一心が他意なく口にしたこの言葉で納得させられてしまったわけです。

 このときに、竜弦は滅却師を守り通す」ことを諦めました。真咲を失ったことによって、純血統を保持する希望がほとんど絶たれてしまったわけですから無理もありません。

 

片桐叶絵とともに築いた「家族」

 これは筆者の個人的な推量なのですが、「石田家の純血統を保持すること」を自らの使命として生きてきた竜弦は、ここで真咲と訣別したのをきっかけに、のちに片桐叶絵(かたぎり・かなえ)とともに築くことになる「家族」を守りたいと思うようになったのではないでしょうか。

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久保帯人BLEACH』60巻106頁)

 後に竜弦の妻となる片桐叶絵は、幼少の頃から石田家の使用人として竜弦の傍近く仕え、また竜弦のことを異性として慕っていました。竜弦の心が真咲の方を向いていると分かっていても、なお。真咲を失った後でようやく叶絵の揺るぎない愛情に気付いた竜弦は、叶絵とともに生きていくことを決意します。

叶絵は、竜弦がどんなに情けない姿を曝しているとき(たとえば、愛する女性を他の男に奪われてしまった悲しみに暮れているとき)でも絶えず傍らにいて支え続けた女性です。ある意味では「竜弦の最も身近にいた人」なわけですから、竜弦がそれに絆されるのも無理はないでしょう。

こうして結ばれた竜弦と叶絵のあいだに、雨竜が生まれたわけです。叶絵は混血統滅却師ですから、当然雨竜も混血統滅却師です。つまり石田家の「純血統」としての血筋はここで途絶えました。滅却師にとっては一見嘆かわしいことのように思えるこの事実は、しかし、ある意味では非常にポジティブな考え方もできるはずなんです。「純血統の家系を何としても守らなければならない」という、「血」の呪縛とでも呼ぶべき強迫観念から逃れることができたわけですから。

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久保帯人BLEACH』59巻185頁)

この竜弦のセリフからも分かるように、純血統滅却師としての石田家の人間は、個人の幸福よりもイエの幸福のため、滅却師という種族全体の幸福のために生きることが要求されていました。真咲が事実上竜弦の婚約者として石田家に養われていたのもそのためです。

しかし、真咲が藍染虚化実験に巻き込まれたことで、自分の力では逃れようがないものと思われていた窮屈極まりない人生から、竜弦たちは図らずも解き放たれたのです。竜弦の言い方に倣って言えば、滅却師の未来」ではなく、「彼ら自身の未来」を夢見ることが許されるようになったのです。

こうして生まれてきた雨竜は、竜弦と叶絵にとって、いわば「彼ら自身の未来」の結晶というわけです。そんな雨竜を、どうして竜弦が大切にしないことがあるでしょうか。純血統滅却師として「血」に縛られることの苦しみや悲しみを嫌というほど味わってきた竜弦だからこそ、息子がわざわざ滅却師になろうとすることを頑なに認めないのだと考えられると思います。余談ですが、竜弦が雨竜に対して「お前には才能が無い」と言っていたことも、「純血統」という、滅却師としては何物にも代えがたい強力なアドバンテージを雨竜が有していないことを示唆していたものと考えられますね。

 

「雨竜」という名前

 また、「雨竜」という名前そのものにも、竜弦・叶絵夫妻が息子に託した願いのようなものが見て取れます。

雨竜の祖父の名は宗弦、父の名は竜弦です。どちらにも「弦」という字が使われています。弓や楽器の弦を意味する漢字ですから、弓を扱う滅却師の家系として実に相応しい名づけです。もしかすると先祖代々「弦」の字を受け継いできたということも可能性としては考えられるでしょう。しかし、「雨竜」という名前には「弦」という字は含まれていませんね。その代わりとしてか竜弦の「竜」の字が与えられ、そこに「雨」という字が加わっています。なぜ竜弦と叶絵は息子にこういう名前をつけたのでしょうか。

筆者の考えでは、滅却師という種族をある種象徴する「弦」という字をあえて名前に用いないことで、滅却師としてのしがらみや苦しみに囚われず、自分のために生きてほしい」というような願いを込めたのではないかと思うんです。自分たちが滅却師としてのしがらみに振り回されてきたからこそ、息子にはそんな思いをしてほしくない。そんな願いの表れなのではないでしょうか。そして「弦」の字を用いない代わりに、「竜弦」の字のうちのもう一方である「竜」の字を付けたのではないか、と。

また、「雨」という字を付けたのは、竜弦と叶絵が心を通じ合わせた最初の瞬間がまさしく雨の日だったからではないかと思うんです。

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久保帯人BLEACH』60巻106頁)

愛する真咲を唐突に失ったことで失意のどん底にあった竜弦に対してさえ、それでも生涯支え続けると、叶絵は涙ながらに言います。竜弦にとってこの雨の夜は、真咲を失った夜であると同時に、叶絵の愛情に気付いた夜でもあったわけです。竜弦と叶絵のお互いへの愛情を象徴するものとして、あるいは自分たちの息子は間違いなく望まれて生まれてきたのだということの証明として、彼らは息子に「雨」という字を名付けたのではないでしょうか。

 

竜弦の「守りたいもの」を知ることで自分の「守りたいもの」を知る

そして、この「竜弦の守りたいものは家族である」ということを、雨竜は〈千年血戦篇〉の戦いのどこかで知ることになるのではないかと思うのです。というのも、過去の雨竜の戦いの中に、そのような示唆が存在しているからです。

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久保帯人BLEACH』15巻16~18頁)

〈尸魂界篇〉における涅マユリとの戦いの中に挿入された回想とモノローグです。「父さん(=竜弦)の守りたいものが分かるようになったとき、自分の守りたいものも分かるだろう」という宗弦の言葉は、〈千年血戦篇〉の只中にいる今の雨竜にこそ必要な言葉のように思えます。というのも、「竜弦の守りたいものは家族である」と考えると、その事実を知ることは雨竜にとって「自分のルーツ」を知ることに直結するわけですから、冒頭で申し上げた〈千年血戦篇〉のテーマにもシームレスで接続されるんですね。物語の作り方として大変鮮やかと言えるのではないでしょうか。

というような感じで、雨竜はそのうち「自分のルーツ」と向き合うことになるんではないかと筆者は考えている次第です。個人的な願望としては、一護が「自分のルーツ」を知ったことで黒崎父子の絆が深まったように、石田父子にも和解が訪れてほしいなと思っています。みんなに幸せになってほしい・・・。

竜弦についてはひとまずここまでとして、次に「雨竜の力の秘密」について考えてみます。

 

雨竜の力の秘密

「最後の生き残り」としての雨竜

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久保帯人BLEACH』61巻64頁)

 雨竜が「知らなければならないこと」のもう一つは、「雨竜自身の力の秘密」です。「雨竜にはユーハバッハの力を超える何かがある」と、ユーハバッハ本人が言っています。9年前の『聖別(アウスヴェーレン)』をどういうわけか免れて生き残った唯一の混血統滅却師だから、というのがその理由です。筆者は、この「雨竜の力の秘密」は、「石田宗弦による指導」に隠されているのではないかと考えています。

 

「過去の遺物」に固執した石田宗弦

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久保帯人BLEACH』56巻30~31頁)

 宗弦が雨竜に伝授した「滅却師最終形態」という戦闘方法は、キルゲのセリフによれば「概念自体が200年程も昔に死滅した「過去の遺物」」であって、『見えざる帝国』の滅却師が使用する「滅却師完聖体」とは別物なのだそうです。

ところで、200年前というと、

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久保帯人BLEACH』5巻38頁)

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久保帯人BLEACH』6巻46頁)

滅却師にとっては大きな節目の時期に当たります。死神の手で滅却師が絶滅させられたのと同時期だからです。これをキルゲのセリフと併せて考えれば、200年前に「滅却師最終形態」が棄却されて「滅却師完聖体」という戦術の刷新が起きたのは、この滅亡がきっかけだったのではないかと考えられます。「最終形態では勝てないようだから別の戦い方を見つけなければ」ということです。

しかし、このように考えると、宗弦が生まれた時代(どんなに古く見積もってもせいぜい80年前くらいまででしょう)にはすでに「滅却師最終形態」など忘れ去られて久しかったはずです。にもかかわらず宗弦がこの「古い戦い方」に強く固執したということは、何かそれ相応の事情があったのではないでしょうか。

 

宗弦は雨竜を『聖別』から守ろうとした?

ここからは筆者の個人的な憶測なのですが、宗弦は、竜弦と叶絵のあいだに生まれてくるであろう混血統の孫(=雨竜)が、『聖別』によって生命を奪われることを防ぎたかったのではないでしょうか。そのために、同時代の滅却師たちとは異なる古式ゆかしい修行方法を模索していたのではないでしょうか。

 どういうことかというと、純血統滅却師ではない雨竜は『聖別』によって命を奪われるであろうということを、石田家の人々はある程度予想していたのではないかと思うんです。そこで宗弦は、孫の生命をなんとか永らえさせるために、「ユーハバッハが力を奪えなくなるような方法」を模索していたのではないでしょうか。その結果として、200年前に棄却された「古い戦い方」に辿り着いたのではないかと。雨竜が9年前の『聖別』を逃れられたのは、その「古い戦い方」による訓練のおかげだったのではないかと、筆者は思うのです。

では、宗弦が雨竜を『聖別』の脅威から守るために指導した「古い戦い方」とは、具体的にどういうものだったのか。これも筆者の個人的な憶測ですが、それは「”血装”を修得しない」ということだったのではないかと思うのです。

 

”血装”と「ユーハバッハの魂の欠片」

「”血装”を修得しないというだけで、なぜ『聖別』から逃れられることになるのか。順を追って説明します。

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久保帯人BLEACH』60巻118~119頁)

 ”血装”とは、その名の通り、滅却師「血」に宿る能力です。純血統なら生まれつき使うことができて、混血統でも鍛錬をすれば身につけられるという、滅却師としての「血の濃さ」に左右される能力なわけです(純血統を保持するために従兄妹同士での結婚を迫られていた竜弦と真咲の境遇も、これで説明がつきます)。また、尸魂界側が”血装”の詳細を知らなかったということから考えて、”血装”能力は、200年前の滅却師滅亡よりも後の時代に編み出された戦闘術ではないか(つまり、”血装”を使わずに戦うというのは非常に「古い戦い方」である)と考えられます。ただ、特に隠された秘伝の技術というものでもなく、真咲や竜弦と同時代の滅却師であれば誰でも扱えて不思議はない、そんな能力のようです。

 しかし、少なくとも『BLEACH』第614話までの時点では、雨竜が”血装”を使用したシーンは一切ありませんし、「使用できる」ということを断言したり示唆したりするシーンも一切ありません。雨竜は混血統滅却師ですから、”血装”を使えないことそれ自体は別に不思議ではありません。単に「鍛錬を行なわなかっただけ」ということで説明がつきますから。

しかし、そう考えると、なぜ師匠である宗弦は雨竜に”血装”の鍛錬をさせなかったのかという疑問がやはり生じますよね。”血装”は滅却師が持てるなかでも強力な戦術の一つですから、滅却師としてのノウハウを伝授していくなかで"血装”の鍛錬だけはさせない、というのはいかにも不自然な話です。とすると、”血装”を雨竜に修得させたくない特別な事情が宗弦にはあって、それゆえにわざと修得させなかったのだと考えられるはずです。

 

 以上の推論から、筆者は、混血統滅却師が”血装”能力を得るためには、自らの血に宿っている「ユーハバッハの魂の欠片」と対話するなり何なりして、そこから滅却師の力を”分け与えてもらう”必要があるのではないかという仮説を立てました。ユーハバッハから分け与えられた力は、いずれ必ずユーハバッハの許へ還ることになっています。これはつまり、「”血装”を修得する」ことによって、その者は自動的に『聖別』の対象になってしまうということを意味しています。宗弦はこのことに気付いていたがために、雨竜に”血装”を修得させなかったのではないでしょうか。そもそも「ユーハバッハの魂の欠片」から力を与えられさえしなければ、力を返還する必要など生じないはずだ、という考え方です。

死神と滅却師の子供という滅茶苦茶な血筋を持つ一護の精神世界にすら「斬月のオッサン」として「千年前のユーハバッハ」が存在していたのですから、普通の滅却師一人一人の中にも「千年前のユーハバッハ」が存在するだろうと考えることは、決して無理筋ではないはずです。

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久保帯人BLEACH』63巻82,89頁)

 そのように考えると、ハッシュヴァルトが言った「陛下は全ての滅却師と繋がっておられる」という言葉も腑に落ちると思います。ユーハバッハは、血脈を通じて受け継がれた「魂の欠片」によって全ての滅却師と繋がっており、その繋がりを利用することで、強制的な「力の再分配」である『聖別』を行なうことができるのです。そして『聖別』の対象者は、ユーハバッハの「魂の欠片」から”血装”の力を分け与えてもらった者に限られる。だから雨竜は混血統滅却師でありながら9年前の『聖別』を免れることができた。こういうことだったのではないかと筆者は考えているのです。

 「雨竜の力の秘密」については以上です。拙い説明で恐縮ですが、なんとかご理解いただければ幸いです。

 

雨竜=次期皇帝という展開の伏線

 最後に伏線の紹介を一つ。〈千年血戦篇〉で、雨竜はユーハバッハの後継者(=次期皇帝)に指名されましたが、この展開の伏線になっていたと思われる描写が作中に存在しているのです。

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久保帯人BLEACH』5巻51,53頁)

 〈死神代行篇〉で、雨竜が一護に対して「どちらがより多くの虚を退治できるか」という勝負を仕掛けたシーンです。「対虚用の撒き餌」を使用したことで空座町に無数の虚が押し寄せることになってしまったこの状況を、雨竜は「賽は投げられた」と表現し、また同時にルビコンの対岸」という意味深な言葉をも述べています。

 世界史に興味がある方ならこれだけでもすぐに分かるかと思いますが、これらの言葉は、古代ローマの軍人にして政治家であったガイウス・ユリウス・カエサルにまつわる有名な故事に由来するものです。

 

賽は投げられた - Wikipedia

は投げられた(さいはなげられた)」(古典ラテン語alea iacta est、アーレア・ヤクタ・エスト)は、ガイウス・ユリウス・カエサル紀元前49年1月10日元老院に背いて軍を率いて南下し北イタリアのルビコン川を通過する際に言ったとして知られる言葉。当時のカエサルは一軍人だった。出典はスエトニウスの文章 (iacta alea est) である。現在は、“もう帰還不能限界点を越してしまったので、最後までやるしかない”という意味で使われている。

 

 雨竜は「対虚用の撒き餌」を使ってしまったことで、まさしく「後戻りはできない」という状況を自らの手で作りました。雨竜は、こうした自分自身の状況を「ルビコン川を渡ったユリウス・カエサル」になぞらえて表現したわけです。

 これのどこが「次期皇帝」の伏線になっているのかとお思いでしょうか。ではこちらをお読みください。

 

ガイウス・ユリウス・カエサル - Wikipedia

カエサル」の名は、帝政初期ローマ皇帝が帯びる称号の一つ、帝政後期には副帝の称号となった(テトラルキア参照)。ドイツ語のKaiserカイザー)やロシア語のцарьツァーリ)など、皇帝を表す言葉の語源でもある。

 

 お分かりでしょうか。「カエサル」という人名は、それ自体がドイツ語のKaiserの語源となっているのです。カエサルというのは「皇帝」という地位をこれ以上ないほどはっきりと象徴している人物であり、つまり、雨竜は自分自身を「のちに皇帝と呼ばれる人物」になぞらえているわけです。それも何らの必然性も無く。

というのも、別にカエサルの引用などしなくても「一護と雨竜の虚退治対決」というストーリーラインはちゃんと分かりますから、はっきり言ってしまえば、この時点において雨竜のこのセリフは「削除してしまっても問題が起こらない余計なノイズ」でしかないわけです。そういう「徒花」としか言いようがない言葉をこれほど意味ありげに配しているということは、そこには何らかの意味が隠されていると考えられるはずです。そしてその「隠された意味」が、〈千年血戦篇〉におけるユーハバッハの「後継者指名」によってようやく明かされたというわけです。

 このように考えてみると、『BLEACH』55巻の作者コメント欄で久保先生が

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久保帯人BLEACH』55巻 作者コメント欄)

このように書いていることにも説得力が生まれるように思います。最終章への伏線が、作品の初期からいくつも見出されるわけですから、続きがますます楽しみになります。

 

おわりに

 今回の議論をまとめます。

「雨竜が知らなければならないこと」は二つあります。一つは、「竜弦の守りたいものは家族である、ということ」。もう一つは、「自分自身の力の秘密」です。これらの事柄を知ることが、〈千年血戦篇〉における雨竜のターニングポイントになると筆者は考えています。

ただし、これらの結論を導くまでの過程には筆者による個人的な解釈と推論が多分に含まれていますから、その点にだけはご注意ください。

 

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

それでは。