Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

深読み2 ~「滅却師の未来」に関する幾つかの覚書~

こんばんは。ほあしです。

今回は、〈千年血戦篇〉のテーマについて、「未来」と「血」という言葉を手掛かりに考えてみようと思います。〈千年血戦篇〉を読む上ではこれらの言葉が大きなキーワードになってくるはずだと筆者は考えています。その辺りについて、とくに結論らしい結論があるわけではない(強いて言うなら「未来」「血」がキーワードになるはずだ、という話そのものが結論になる)のですが、現時点で考えていることをある程度まとめておこうと思います。そういうわけで今回は「覚書」なのです。

 

「未来」をめぐる物語

「お前は預言者か?」

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久保帯人BLEACH』55巻117頁)

リューダースが「遠い未来の話」をすることを、ユーハバッハは拒んでいます。これはユーハバッハが『全知全能』(=未来を見通す力)の持ち主であるということの伏線にもなっていますし、「預言者」という単語そのものが聖書宗教との関連を想起させるものにもなっています。

「未来を視る」というのはユーハバッハの特権と言っていい能力ですから、ユーハバッハにしてみれば、自分以外の者がまるで未来を見通しているかのような言動を取ることは許しがたい、ということだったのかもしれません。

 

「喜びが無ければ未来に目を向ける事などできない」

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久保帯人BLEACH』59巻185頁)

真咲との関係について片桐と話している竜弦の言葉です。彼に言わせれば、「喜びがあること」と「未来に目を向けること」とは分かちがたく繋がっているようです。彼の言葉を言い換えれば、「未来に目を向ける事ができる者には、喜びがある」ということになります。

「未来を見る」と言えばまずユーハバッハの『全知全能(Almighty)』が思い起こされますが、雨竜もまた”A"の文字を与えられていますから、そのうち「未来を見る」ことになるのかもしれません。ただ、そのときには、雨竜が自分自身の人生について何らかの「喜び」を見出している必要があるのではないかと筆者は思うのです。なぜなら、「喜びが無ければ未来に目を向ける事などできない」のですから。雨竜にとっての「喜び」がいったいどういうものなのかはまだ語られていませんが、雨竜の「未来」と「喜び」については今後注視していきたいです。

もっとも、同じ「”A”の文字」を与えられているからといって、それが必ずしも「同じ言葉」であるという保証はありません。「同じ”A”の文字」から始まる「別の言葉」を与えられている可能性は、現時点では全く捨てきれませんから。

  

「見えざる帝国の未来について」

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久保帯人BLEACH』61巻71頁)

バンビエッタは、雨竜が『見えざる帝国』の次期皇帝に指名されたことについて、「見えざる帝国の未来」を揺るがしてしまうほどの重要な事態と考えているようです。そもそもこの戦いの末にどんな未来が待っていると彼女が考えていたのかはついに分からず終いですが、「未来」という言葉がここにも登場しています。

 

「過去を見通す力」

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久保帯人BLEACH』66巻39頁)

「過去を見通す」という言い回しをしていますが、実際のところは、涅自身の説明にもあるように、「未来を奪う」とでも言うべきものです。ある時点以降の未来へ進むことができなくなるわけですから。やはり「未来」というキーワードが登場しています。

またこれは余談ですが、この薬、名前の上では、ユーハバッハの持つ「未来を見通す力」とそのまま対をなすものになっていますよね。涅は〈破面篇〉でザエルアポロと戦ったときにも、「神」を否定するかのような発言を行なっています。歴史上、自然科学的世界観と神話的世界観はしばしば衝突を繰り返していますから、根っからの「科学者」である涅は「神を否定する者」という役どころを与えられているのかもしれません。

 

ユーハバッハの『全知全能』

BLEACH』第610話でその概要が明かされたユーハバッハの能力『全知全能』は、「未来の全てを見通すことによって全てのものを”知る”ことができ、そうして知った”力”の全てを味方につけることができる」というものです。まさしく「全知全能」と呼ぶにふさわしい能力ですが、この能力は「未来のことを知る」という行為が一つのポイントになっています。逆に言えば、「ユーハバッハが”知る”ことのできない力を味方につけることはできない」はずなのです。

『BLEACH』第612話「DIRTY」の感想・考察 - Black and White

先日のこの記事では、ユーハバッハに対抗しうる存在として、「神に等しい力を持っている者」である織姫を挙げましたが、「ユーハバッハが知ることのできない力を持っている者」という線で考えれば、ありとあらゆる霊的資質を持ち合わせている(=ある種の「全能者」になってしまっている)一護は勿論のこととして、雨竜もまたその候補になりうるはずなんです。

というのも、雨竜が次期皇帝に指名された際の雨竜とユーハバッハの会話の中で、「お前には私の力を超える何かがある」という言葉が述べられているからです。

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久保帯人BLEACH』61巻64頁)

雨竜は聖文字も含めてその力のほとんどが謎のままですから、何らかの隠し玉があるのでしょう。

 

こんな具合に、「未来」というのが〈千年血戦篇〉に底流するキーワードになっているように見受けられるんですね。敵の首魁であるユーハバッハの能力が「未来」に関係するものなのですから当然と言えば当然なのですが、その伏線も〈千年血戦篇〉の冒頭の段階ですでに準備されていたわけですから、当初からこのキーワードをある程度決め打ちしていた、ということは間違いないように思います。

 

「血」をめぐる物語

「未来」がキーワードになっている一方で、〈千年血戦篇〉はその字面の通り「血」にまつわる物語でもあります。「血装」をはじめとした滅却師の能力はもちろんのこととして、一護が「自分のルーツ」としての「血脈」を知るための物語でもあるからです。一護は二枚屋王悦の導きによって自分自身の出生の秘密(=自分のルーツ)を知ることで初めて、自分の中に眠っていた真の斬魄刀を得ることができました。本当の自分を知ることができたわけです。

そして今後は、雨竜もまた一護と同じように「自分のルーツ」と、自らの「血脈」と、向き合うことになるのではないかと筆者は思うのです。〈千年血戦篇〉における雨竜の考えや狙いはほとんど不自然と言っていいほどに全く描かれていませんが、一護=闇に生まれし息子」、「雨竜=Prinz von Licht(ドイツ語で”光の王子”の意)」という対置的な描き方をされていますから、雨竜が一護と同じ問題系に向き合うことは十分に考えられると思います。

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久保帯人BLEACH』60巻127頁)

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久保帯人BLEACH』60巻132~133頁)

一護と雨竜は闇と光で対になる存在なわけです。また〈破面篇〉では、一護虚化修行シーンの中でローズがこんな言葉を口にしていたりします。

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久保帯人BLEACH』25巻53頁)

 「プリンス・オブ・ダークネス(闇の王子)」という言葉です。これは、イギリスのへヴィメタルバンド「ブラック・サバス」のボーカルとして知られる歌手オジー・オズボーンの愛称の一つです。ただ、作劇上、このシーンでこの愛称を出さなければならない理由というのはどこにも無いんですよね。日本人にも通りの良い「オジー・オズボーン」という名前を出してもいいでしょうし、もっと言えば敢えてオズボーンにこだわる必要もなかったはずです。わざわざこの愛称を作中に登場させたのは、この言葉自体に何らかの意味があったからではないでしょうか。先程述べたように一護と雨竜を「闇と光」という対立項だと見做してみると、やはりこの「プリンス・オブ・ダークネス」という言葉は一護のことを表す隠喩だったのではないかと思えるんです(この言葉が登場したのは、虚化修得のために一護が自分の内なる虚と向き合おうとする回の中ですから、エピソードの焦点は一護にありますし)。

 

まあ私が一番言いたいのはこの「プリンス・オブ・ダークネス」の話ではなくて、「雨竜は明らかに”一護と対になる存在”として描かれてるので、彼の内面や過去についてはそのうちしっかりバッチリ描かれるよね」という話なので、この話はここまでにしておきます。雨竜について考えていることは、また別個にまとめようかなと思っています。先に言及した「雨竜の力の秘密」などについて考えていることも、そこで。

 

本当にとりとめのない記事になってしまいましたが、覚書ということで一つご容赦ください。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

それでは。