Black and White

『BLEACH』を愛して止まない男・ほあしが漫画の話をします。当ブログに掲載されている記事の無断転載を固く禁じます。

はじめに ~本ブログの趣旨~

「Black and White」にお越しくださり、誠にありがとうございます。

はじめまして。「ほあし」と申します。

 

 

はじめに

本ブログでは、2014年10月現在、週刊少年ジャンプ誌上で連載中の作品『BLEACH』についての所感(感想・考察・批評etc...)を中心に更新していこうと考えています。

 

説明文にもある通り、『BLEACH』以外、もっと言えば漫画以外の話もするかもしれません。というか間違いなくします。その場合はおそらくアニメの話が主だったものになるだろうと思われます。

またその過程では、個別の作品に対する言及ばかりでなく、アニメや漫画という表現様式一般に対する筆者の観方、読み方を述べることもあろうかと思います。いわゆる「表現論」や「ジャンル論」と呼ばれる枠組みの議論です。

つまるところ、筆者がその時に興味のある作品についてアレコレ語るための場なんだな、と思ってくだされば間違いありません。

 

何故いま『BLEACH』なのか

いま、筆者が何故『BLEACH』について語ろうと思うのか、この点についてお話しします。

TVアニメシリーズが最終回を迎え、漫画本編が「千年血戦篇」と銘打った最終章に突入してからすでに二年余りが経過している現在、なぜ今更『BLEACH』を語ろうとするのか。

端的にいえば、2014年10月現在、主に日本語のインターネット環境において、BLEACH』という作品への評価が不当に低く見積もられているのではないか、という思いに起因します。

 

ネット上でしばしば見られる、或いはかつてしばしば見られた『BLEACH』への評価・反応といえば、

 

  • 先の展開とか考えず適当に描いてんでしょ?「ライブ感」が大事(笑)
  • まーた一護さんが空気じゃん、主人公なんだからちゃんと戦えよ(笑)
  • 「心」かwwwwwwwwwwwww1ページまるごと背景真っ白wwwwwwwwwwwwオサレ過ぎワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

・・・といったような、あからさまな蔑みと悪意に満ちたものが大勢を占めているように思われます。上記の文言は筆者自身の経験と記憶をもとにした架空のものですが、似たような、あるいはほぼ同じ趣旨の発言を見聞きしたことのある方は多いのではないでしょうか。中には、作品そのものに留まらず、作者である久保帯人先生本人の人間性や知性をも愚弄するような内容すら珍しくはありません。

BLEACH』という作品についての感想や評判を知りたいと思い、検索をかけたことのある人であれば、こうした文言は一度ならず目にした経験があるだろうと思います。

 

筆者は、『BLEACH』に対するこうした世間一般の評価を覆したいと考えています。

そのためには、筆者自身の『BLEACH』の読み方を広く世間に提示し、その読み方に対する支持を獲得するほかありません。

そして、最終章に突入し、物語の大枠が明らかになってきた今ならそれが可能である、と、筆者は考えています。

 

だから、わたしは、いま『BLEACH』について語ろうと思うのです。

 

筆者は、『BLEACH』という作品を心から愛しています。

BLEACH』という作品には、「週刊ペースで一度目を通しただけでは到底気づくことのできない伏線・隠喩的表現・様式美」が、至るところに鏤められています。

それは、単行本をすべて購読して繰り返し読み返している熱心なファンであっても見落としてしまうような、きわめて見つけにくいものです。

そうした表現の一つ一つについて、筆者の認知能力が及ぶ限り、詳細な解説を加えてゆきます。ときには外部の作品との影響関係なども参照しながら。

そうすることで、『BLEACH』という作品が、今まで想像すらしなかったような目新しい輝きを帯びて見えてきます。その輝きを、一人でも多くの方に伝えたい、共有したい。そのように筆者は考えています。

 

以上が本ブログの趣旨であり、筆者こと「ほあし」が、いま『BLEACH』について語ろうとすることの理由です。

もっと簡潔にまとめるつもりが、思いのほか長くなってしまいました。

よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。